閑話.眷属達の休息日
――数年前
「じゃあ、奏太様、三日ほど、僕らはお休みをいただきますけど……本当に大丈夫ですか? 玄さん達はいますけど……」
鬼界の片隅にある先代秩序の神が残した塔。天まで高く聳えたその根元の玄関扉の前で、奏太は荷物を抱えた亘、巽、汐、椿と向き合っていた。
「大丈夫だって。巽は心配性だな。こっちのことは気にしないで、ゆっくり休んで来なよ。こういう時でもないと、のんびりできないだろ?」
年に数度の亘達の休息日。常に自分の側で世話を焼き、神経を尖らせて周囲を護る護衛役と案内役が、奏太から離れ、思うままに自由になれる時間。眷属として自分に縛りつけているのだ。こういう息抜きも必要なことだと、奏太は思っている。そうは言っても、いつも不要だと断られ、命令混じりに休みを取らせることになるのだが。
「寂しげな御顔をされているようですが」
一番最後まで抵抗していた亘が、フンと鼻を鳴らす。未だに不満だと言わんばかりに。
「からかうなよ、亘」
奏太は笑いながら、それをいなす。
「我らがいないからといって、ダラダラ過ごされてはダメですよ。きちんと規則正しく過ごされてくださいね」
汐が心配げに眉尻を下げた。
「母さんみたいなこと言うなよ、汐」
「やはり、私だけでも残りましょうか? 寂しいようでしたら、私が翼で温かく包んで添い寝――」
「あ、ううん、遠慮しておくよ、椿」
いつまでもダラダラと出発しない一行に、奏太は呆れた息を吐く。
「もう、決定事項だって言ってるだろ。ここまで準備が終わってるんだから、粘ってないで、さっさと行ってこいって」
奏太はそう言いつつ、渋る亘達の背を押して明るい外へ押し出す。そうやって何度か押し問答を経たあと、亘達はようやく渋々と塔をあとにした。
奏太は、たびたび振り返る皆にヒラヒラ手を振って笑顔で見送る。その姿が見えなくなるまで見届けると、深く息を吸い込んでから、震える息を吐き出した。
亘達にとって大事な時間。けれど、奏太にとっても、亘達と離れるこの時間には、重要な意味がある。
パタリと扉を閉じ、差し込んでいた外の明るい光が石づくりの塔の中で途切れると、ひやりとした声が響いた。
「さあ、邪魔者も消えました。わかっておいでですね、我が君?」
待ち構えていたように、背後から玄が進み出る。
奏太はその気配を視線の端に捉えながら、ギュッと拳を強く握った。玄に伝わらないように、震えを喉の奥で押し殺す。
「……わかってるよ」
奏太の返答に、玄は満足げに唇の端を吊り上げた。
冷たくゴツゴツとした細い指が奏太の腕を取り、抵抗は許さないとばかりに、跡が残るほどに強く握る。
(大丈夫。たった三日、耐えればいい。そうすれば、また、あいつらの居る明るいところに帰れる)
それは、罪を清算するための、禊の時間。
奏太は、諦めと共に、そっと目を伏せた。
――三日。
恐怖と絶望の末に奏太の意識が焼ききれるか、必死の抵抗に玄が興味を失うか、神の力が漏れ出し満足するか。はたまた、さすがにやり過ぎだと白が見かねて止めに入るか。途切れ途切れでも、苦痛の時間は繰り返し訪れる。
目覚めるのが怖くなるほどの、永遠のようにも思える時間。その間、何度、このまま楽になってしまえればと思ったことか。
けれど、その度に亘達の顔を思い出しては、すぐに帰ってくると、それだけを頼りに、奏太はただただ耐えた。これが終われば、また、日常が戻ってくる。
「奏太様、亘達が戻ったようですが」
白の呼びかけに、玄の舌打ちが聞こえた。
金の混じる瞳。涙で濡れたままの頬。赤紫色の指の跡。爪を立てられ肌に滲む血。荒く乱れる息。
玄は、床に膝をついたままの奏太を冷たく見下ろした。
「そろそろ、神を解放していただけませんか、我が君」
奏太は俯き床の上で拳を握り締めたまま、声も出せずに首を横に振った。
フンと鼻を鳴らす声が聞こえ、玄の立ち去る足音と、ガチャリとドアが開く音がする。
「奏太様」
「……白……あいつら……足止め、しておいて……少し、時間がほしい……」
奏太が言うと、白は奏太の状態を見やったあと、感情の見えぬ声音で「承知しました」とだけ応えて扉を閉めた。
痛いほどに胸を打ちつける鼓動。身体の震えが止まらない。罪を責め立てる玄の言葉が頭にこびりついて離れない。
奏太はそれらをなんとか押し殺すと、傷を修復し、着替え、血のついた服が誰の目にも入らないように隠した。
「……これ、白に処分しておいてもらわなきゃ……」
小さな呟きが、静まり返った広い部屋に落ちる。
何もなかったように。何も知られないように。あいつらの前だけは、ただ、いつもと変わらない、あの頃のままの日向奏太でいられるように。
身なりを整え、亘達の待つ部屋に向かうと、送り出したときと同じ元気そうな顔が並んでいる。この三日。泣きたくなるほどに、焦がれた顔ぶれ。
「――ごめんごめん、ついさっきまで寝ててさ」
奏太は、皆を見回してニコリと笑う。
すると、汐が呆れた息を吐いた。
「規則正しくお過ごしくださいと申し上げたのに」
「ごめんって。それより、ゆっくりできた?」
短い休み。その間に、それぞれの旅で起こった話を聞いていく。人界の里に戻った話、妖界での旅で起こったちょっとしたアクシデント、笑いと驚きと愚痴と、ちょっとした口論と。いつもの温かな輪の中、奏太はそこに満ちる空気を目いっぱいに吸い込んだ。
夜。亘が部屋の外の扉を守り、ようやく訪れた、玄に虐げられることのない静寂。
奏太は誰もいない部屋で、そっと、机の引き出しから小箱を取り出した。
それは、三百年前に手渡された古びた御守を閉じ込めた箱。そこに込められているのは、逃げてでも、生きて自分の役目を果たせという戒め。
愛おしくて懐かしいそれを、奏太はそっと撫でた。
「……俺は、まだ、大丈夫だよ……柊ちゃん……ハク……」
この温かな日常を、まだ、もう少し。




