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蜻蛉商会のヒトガミ様 ~死にたがりな神様は、過保護なあやかし従者たちに執着され、今日も鳥籠の中から出ることを許されません〜  作者: 御崎菟翔
第二部

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80. 凪の目覚め

 奏太は、淡いランプの光が漏れるベッドの上で目を覚ました。厚いカーテンで光が遮られていないのは、床に座ったままベッドに突っ伏して眠る亘の大きな体が邪魔をして、カーテンが閉まりきっていないから。


 亘の側には、燐鳳の白い絹布が無造作に置かれ、奏太の手を縛るものはない。代わりに、亘の手が包むように奏太の両手を握っていた。


 ひどく心地の良い夢と、心を切り裂かれるような悪夢を見て、胸が飽和したような感覚。眠る前まで心に占めていた、罰せられなければ自分自身が壊れてしまうような焦燥感が、今は凪いだようになっている。瞳には金が僅かに残るものの、黒が多い状態で安定していた。

 

 奏太は、ぼんやりとした心地のまま、何となく亘の指先を軽く握る。


 すると、ハッと亘が目を覚ました。そのまま、「奏太様……」と呟くと、力強く抱きしめられた。


 痛みのない、温かさ。感情が動かない空虚な心で、どこか遠くを見つめ、奏太はなされるがまま亘の体に身を任せる。

 

「…………罰さ……ないの……?」


 ポツリと、奏太の口から溢れた。

 何も起こらず抱きしめられる状況への、純粋な疑問。

 

 奏太を抱きしめる亘の腕に、力が入った。


「そのようなもの、必要ありません……貴方が、貴方であることは、罰を、受けなければならないようなことでは、ありません…………申し訳、ございません……」


 奏太の肩に温かい涙が落ち、冷たく濡れていく。


「……そう」


 わかっているのか、いないのか。それすらわからないまま、奏太は虚空を見ながら、小さくそう返事をした。


「奏太様、お目覚めに?」


 不意に、汐の声がした。ヒラリと舞う青い蝶が、ピタリと奏太の頬にとまる。その色を見て、奏太はふと、幸せだった先程までのことを思い出す。


「……ねえ、汐……、柊ちゃんは……どこ……? 柊ちゃんが、俺のこと、存在してて良いって……認めて、くれたんだ……」


 自分を認め、繋ぎ止めてくれる従兄。どこにも行きたくなくなる、陽だまりのような温かさ。奏太にとっての、唯一の居場所。


 しかし奏太の問いに、汐はすぐには答えない。

 亘の腕にもう一度力が込められ、汐がヒラリと再び舞い上がると、ふっと少女の姿に変わった。それから、汐は両手で包み込むように奏太の手を握り込んだ。


「奏太様。貴方がここで、こうして……日向奏太様として存在してくださることは、柊士様だけでなく、私も、亘も、この屋敷にいる皆が、望んでいることですよ」


 優しく言い聞かせるような声音。けれど、奏太が求める答えは、それではない。

 

「ねえ、柊ちゃん、どこ……?」

「奏太様」

「柊ちゃんに、会いたい。仕事の邪魔、しないから。ちょっと、顔、見るだけでいいから」


 姿が見えず、不安で、居ても立ってもいられなくなる。心が、地につかない。


「ねえ、汐」


 奏太がもう一度、汐に問いかけると、汐の細い指にギュッと強い力が加わった。

  

「奏太様、貴方は、夢を御覧になっていたのです」

「…………ゆめ……?」


 意味が分からず、奏太はそう小さく繰り返す。


「ええ。温かな柊士様の夢を、御覧になっていたのですよ」

「……い……いないの……?柊ちゃん……」

 

 奏太の瞳から、ポロッと涙が零れ落ちる。それと共に、安定していた黒色が揺らぎ、瞳の金の割合が増す。


「奏太様」


 宥めるような、汐の声。

 

「……お……俺……柊ちゃんが……い、いないと……存在、して……居られ……」


 震える声で、そう言いかける。しかし、奏太が全てを言い切る前に、亘が奏太から身体を離し、視線を合わせるように奏太の金と黒の瞳を覗き込んだ。

 

「奏太様。貴方は、貴方として、存在していて良いのです。柊士様が居なくとも、我らが、奏太様と共に歩みます。ですから、こちらを見てください」


 しかし、奏太の視点は定まらない。


「……しゅ……、柊ちゃん……、うぅっ……」

「亘、変わって」


 汐が、張り詰めたような声を出す。亘が戸惑いながらその場を退くと、今度は汐が小さな身体で奏太を抱きしめた。その手が、ゆっくりと背を擦る。


「大丈夫です、奏太様。貴方は、存在していて良いのですよ。私が、御側に居ります」

「う、汐……」

「大丈夫ですよ」


 温かみを与えるように、汐は、ひたすらそうやって奏太の背を擦り続ける。小さく、けれど、確かな熱を、少しずつ。


「大丈夫」

 

 いったい、どれほどそうしていたか。次第に、奏太の身体の震えが収まっていく。そして、汐の服を、奏太は小さく掴み返した。呼吸が安定し、瞳は先程よりもほんの少し金が多くなったものの、揺れが収まる。


 汐がほっと小さく息を吐き出した。身体を離し、奏太の目を覗き込む。


「お茶を、お淹れしましょう。御身体が温まりますよ」

「……い、いやだ……行かないで。一人に、しないで……」

「亘がいますから、御一人ではありませんよ」

「……いやだ……、汐……」


 奏太が言うと、汐は眉尻を下げた。


「では、貴方が落ち着かれるまで、ここにいましょう。

亘も、共に」


 奏太は、悲痛な顔を浮かべる亘をチラッと見やったあと、汐の服をキツく掴んだまま、コクと頷いた。


「亘、貴方もここに居るのよ。奏太様の御側を、動いてはダメ」


 汐は厳しい声音で、亘を見据えた。



   ◆◆◆


 ――奏太の部屋前、廊下。

 

「お願いです、燐鳳殿! 今は、最初の三人だけにさせてください。一人ずつ、ゆっくり受け入れてもらわないと奏太様の御心が落ち着かないんですって!」


 奏太の部屋に乗り込もうとする燐鳳から死守するべく、巽はピタリと扉に貼り付いた。


「一人ずつ、でも良いのなら、私であっても良いでしょう? ようやくお目覚めになったと言うのに、会うことも許されぬとは、どういうことでしょう? 貴方がた眷属だけで、あの方を囲うおつもりで?」

 

 全て押し隠し綺麗に包み上げたような燐鳳の表情。しかし、その瞳が苛立ちと焦燥とドロドロした嫉妬心といった全ての感情を雄弁に物語っていた。


「ぼ、僕らだけで囲うとか、そういうことではなく……」


 実際には、自分達と栞達人界の者だけで囲って、主に誰も近づけたくないのが本音だ。しかし、目の前のこの男がいる以上、そうもいかない。永遠に退け続けるのは無理だ。

 

 それでも、今はどうにか回避したい。白絹の拘束を見て主が混乱に陥ったことを考えると、燐鳳を主に近づけるのは慎重にすべきだ。


「最初のきっかけになった誤解を解くのが最優先なんです! 奏太様が一番拠り所にしていた亘さんが受け入れられるかどうかで、その後が変わる気がするんです!」

 

 汐の夢のおかげで、亘は一時的にでも主に受け入れられている。凍りついた主の心を溶かす可能性があるのは、どう考えても燐鳳ではない。既に受け入れられている汐と、瑕疵はあっても三百年主を護り続けた亘だ。

 

「ふうん。奏太様の、一番の拠り所、ですか」


 燐鳳の声音が、先程よりも更に一段冷えた。


「あの方に手を上げた不出来な護衛よりも、私の方が、あの方の拠り所に相応しいと思いませんか、巽殿」

「………………お………………思いません……」


 恐怖のあまり、巽はそっと燐鳳から視線を逸らした。

 視界の端で、燐鳳の口角が綺麗に引き上がるのが見えて、ゾワっと全身が粟立つ。

 

「巽殿?」

「と、とにかく、今はダメですからっ!!」


 巽は勢いに任せて叫んだ。


「奏太様に拒絶されるのが目に見えてるんですよ! そうなったら、燐鳳殿は正気で居られないでしょう!? ただでさえ、今は柊士様だけがあの方の全てになってしまってるんです。近くにいる自分を見ずに柊士様の名ばかりを呼ぶあの方を見て、強引な手段に出ずに見守っていられますか? あの方に罰の誤認をさせることなく、寄り添っていられますか?」


 罰の誤認どころか、万が一、何かの拍子に主の心に揺り戻しがあった時、再び『罰して』と言われて燐鳳が耐えていられるかどうかも怪しい。


 今、主に『罰』と感じさせるような出来事を起こすのは厳禁だ。今度こそ、主を取り戻す手段を見失う。


「……柊士様が、あの方の全てに? とっくの昔に死んだ男が?」

「うっ……、は、はい……」


 地を這うほどに低く、それでいて静謐さすら感じさせるような声が怖い。怖すぎる。絶対に部屋に入れてはならないと、警鐘が鳴る。


「あ、あの、燐鳳殿……?」

「過去に縋っていては、苦しみが増すばかりではありませんか。柊士様の影を、完全に消し去って差し上げなければなりませんね」

 

 巽はギョッと目を見開いた。

 

「だ、ダメですって! 奏太様の人間性を唯一繋ぎ止めてくださってるのが柊士様なのに、今、それが消えたら、本当に奏太様、消えちゃいますから!!」


 巽は必死の思いで扉にへばりつく。


「今、あの方は精神的に凄く脆くて不安定なところにいるんです。ちょっとしたことで、すぐに神に取られちゃうんです! 貴方を身内と言ってくださった奏太様が、居なくなってしまっていいんですか!? 神に飲み込まれたら、もう、二度と戻ってきてくださらないかもしれないんですよ!?」


 巽の叫びに、燐鳳の表情が、ピクリと動いた。

 ほんの僅かな変化に、巽は全力で縋り付く。


「今は、耐え時なんです。丁寧に、慎重に、順を追いましょう。あの方が、万が一にも失われないように。今は静かに見守ることが、あの方を護ることにつながります。万が一にも、一番近くで拠り所となるべき者が、あの方を壊さないように。ねっ!」


 まくし立てるように巽がそう言い募ると、燐鳳は少しだけ考えるような素振りを見せたあと、小さく息を吐いた。


「仕方がありませんね。明日、また参ります」

「…………明日って……性急すぎます……燐鳳殿……」

 

 踵を返し去っていく燐鳳の背を眺めながら、巽は扉に全体重を預けてズルズルと座り込む。


「……あれ、明日も僕が止めるの……?」


 絶望にも似た響きが、廊下に小さく落ちた。


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