78. 最悪の記憶
そこは、人界。日向の里の出口。背後に里の入り口を示す鳥居と、侵入者を防ぐ岩壁。
奏太の目の前には、篝火に照らし出された里の武官が四名いた。そして首に鎖を巻かれた三体の鬼。更にその足元には、血だらけの仔犬姿の朔。
「……何……で……」
奏太はポツリと呟く。遠い昔の記憶。
日向の里での叛乱。
護衛役である亘を排除し、守り手である自分を連れ去ろうとする悪意。
奏太の前に、亘と椿が出た。奏太自身を守るように。
亘は苦い表情で武官達を睨みながら、奏太の腕を掴み、背後に隠す。その手には、痛いくらいに力が込められていた。
それに気圧されたように、鬼の鎖を持つ三人がザッと迎え撃つ姿勢を取る。敵方の一人が、その様子を悠然と眺めて薄く笑う。
「やはり、貴方が先に出てこられましたか、奏太様。次期御当主は、結様を亡くされて、随分貴方に御執心と伺いました。あちらで何かがあれば、真っ先に貴方を逃がすだろうと思いましたよ」
それは、あの時と、同じ言葉。しかも――
「そんなのはどうだっていい。晦はどこだ? 二人を返せ」
奏太は、自分の口を思わず塞いだ。意図した言葉ではない。自分の口から勝手に言葉が出てくる。記憶をなぞるように、そのままの場面を演じさせられる。
亘に腕を掴まれたままの奏太の低い声に、武官はわざとらしく首を傾げた。
「別に捕らえている訳では無いのです。亘の手を振り払って、こちらへいらっしゃっては如何です?」
そう言うと、朔を思い切り踏みつける。
「やめろ!!」
「奏太様、落ち着いてください!」
吐き気がする。何が、どうなっている?
心の中は混乱したまま。でも、口と体が勝手に動く。
飛び出しかけた奏太を亘が力いっぱいに引き止め、立ちはだかる武官達を睨んだ。
「拓眞の差し金か? このような反逆行為が許されると思っているのか」
「亀島家の方に対して不敬が過ぎるぞ。証拠が残らなければ良いのだろう。この場で門番と護衛役二名が死に、守り手様が行方不明にでもなれば、何の問題もない」
「奏太様をどうするつもりだ?」
「そのような事、これから死ぬお前が知って何になる?」
ドクドクと、動悸がする。このあとの光景は、見たくない。
「四名とも飛ぶことができます。このまま逃げるにしても分が悪いですね。戻りますか?」
椿が前方と背後を警戒しながら言う。
しかし、それが聞こえたのか、武官はクッと声に出して嘲笑した。
「戻れると思うか? 今頃、姿を消して潜んでいた仲間が、結界で入口を中から塞いでいる。」
「それはまた無駄な事を。そのうち、柊士様が淕達を連れてこちらへ来るぞ」
硬い表情のまま挑発するように亘が言うが、武官は平然とした姿勢を崩さない。
「無用の心配だ。その前に終わる」
すると、亘は一歩踏み出し、後ろ手に奏太の体を岩壁の方に押した。前をじっと見据えたまま、声を潜める。
「奏太様、貴方には陽の気があります。背を壁につけ、誰にも背後を取られぬようにしながら、貴方に近づく者があれば、陽の気を躊躇わず放ってください。直に柊士様達がいらっしゃるでしょう。それまで、目の前で何が起ころうと、絶対に壁から離れてはなりません」
「……この数相手に、亘達はどうするんだよ……」
「時間を稼ぎます」
そう言うと、亘と椿はスッと刀を構え敵を見定める。
『目の前で何が起ころうと』それは、つまり。
「だ、ダメだ。勝ち目のない相手に、時間を稼ぐためだけに捨て身で向かっていくなんて。それじゃまるで……」
「何を仰ってるのです。相手を殲滅するだけが勝利ではありません。此度においては、柊士様が自らの護衛役と妖界勢と共にここへ来るまで、貴方を御守りすることこそが我らの勝利条件です」
「でも……」
「覚悟をお決めになってください。何を捨てても自らが助かる覚悟を」
手が震える。息がしにくくなるほどに胸が苦しい。
「大丈夫ですよ。我らの事は御心配なさらず。必ず御守りしますから」
椿が安心させるように柔らかく微笑む。
しかし、それを破るように武官の一人がぱっと手を上げて軽く振った。
「やるぞ」
指示と共に、武官達が鬼の首についていた鎖を手放し、同時に鬼達がダッと駆け出す。足元にいる朔を無視して、鬼たちは我先にとこちらへ向かってくる。まるで武官の指示に従うように。
それに合わせて相手方の四人が刀を手に翅や翼を羽ばたかせ、上空へ飛び上がった。
「上は私が食い止める。椿は鬼の始末を優先しろ」
「はい」
亘の言葉に椿が短く返事をするのが早いか遅いか、二人はダンと地面を蹴った。亘はバサリと翼を広げて上空に舞い上がり、椿は鬼に真っ直ぐに向かっていく。
椿は、鎖を放され真っ先に駆け出した鬼の目の前ギリギリまで走り寄り、鬼が爪を突き出そうとした瞬間を狙ってタンと地面を蹴った。ふわりと宙を舞い、体を翻しながら鬼の首の後ろめがけて刀を振るう。
篝火にきらめく刃がザンと的確に鬼の首に下ろされ、どっと音を立てて地面に転がった。
もう二体の鬼は、遅れを取ったとばかりに最初の一体を追いかけていたが、椿に首を落とされた鬼を見て駆け寄る足を緩め、椿を敵と見定めたように距離を取って警戒を始める。椿は再び刀を構え直し、鬼二体と向き合う。先程の不意打ちのような攻撃と違い、互いに出方を窺っている。
更に上空では、明かりに照らされる範囲よりも少し上で人影がせわしなく動き回り、刀を激しく合わせる音が響いている。四対一の構図ではあるものの、戦いは拮抗している。
不意に、「奏太様!」という椿の叫ぶような声と、
「そのように余所見をしていて良いのですか?」
という声がすぐ近くから響き、ザワリと総毛立った。
反射的にパンと手を打ち付ける。
それは、神の力を得る前。守り手・日向奏太であった時に、陽の気を放つために繰り返した動作。
しかし、視線の先に見覚えのある男の手で無造作に持ち上げられた一匹の仔犬が見えて、奏太は動きを止めた。
一体どこに潜んでいたのか。そこにあったのは、晦の首根っこを掴む拓眞の姿。
「やはり、奏太様はお優しいですね。この駄犬諸共は焼けませんか」
拓眞は嘲るように笑う。それから、片手に持った刀の切先を奏太の首元に突きつけた。
「両手をこちら側に見えるように上げてもらいましょうか。このまま喉を一突きにされたくなければ、妙な動きはしないことです」
拓眞は、選びたい方を選べとでも言うように、わざとらしく肩を竦める。
奏太が両手を上げて言う通りにすると、拓眞は満足そうな表情を浮かべて、ボトっと晦を地面に落とした。
その時だった。
ダーンッと突然何か大きなものが上空から拓眞の後方に降ってくる。
そこには、呻き声を上げて地面でのたうつ男の姿。空を見上げると、亘が別の者の刀を受け止めながら「奏太様!」とこちらを気にしながら叫んでいるのが見えた。
しかし、亘は目の前の者達の相手で精一杯で、こちらに来たいのに来れないような状況。しかも激しく動く亘からは、ボタボタと何かが垂れ落ちて来る。地面に、赤黒いものが染み込んでいく。
拓眞は亘の様子を確認したあと、チラと地面に落ちた武官を見やり、「役立たずが」と悪態をついた。それから、苛立ちをぶつけるように、足元にいた晦を蹴り飛ばす。
「晦!!」
声を上げて駆け寄ろうと踏み出す。瞬間、首に鋭い痛みが走った。
「御自分の状況を理解できていないようですね。動けば一突きにすると申し上げたはずですが?」
そう言いながら、拓眞はおもむろに懐から、コルク栓の詰まった小瓶を取り出した。手に収まる程度の大きさの小瓶の中で赤黒い液体が揺れている。サラサラした水のようなものではなく、少しだけとろみがある液体。
それは、対象を意のままに操ろうとする、悪意に満ちた毒。
拓眞はそれを奏太の方に差し出し、手に取れと言うように顎でクイと示した。刀の先を押し付けられる。
奏太がそれを受け取ると、拓眞は嫌らしく口角を引き上げた。
「それをお飲みください」
奏太は視線を亘と椿に向ける。二人とも、こちらを気にしながらも、目の前の相手で精一杯で、その場から動けないでいる。
奏太は、あの時と同じように、体に導かれるまま、小瓶のコルク栓を引き抜いた。その途端、甘ったるい嫌な臭気が一気に上がってくる。あの頃に起こった、思い出したくもない記憶が全て蘇るような、強烈な匂い。
うっと吐き気を催し、奏太は思わずそれを取り落とす。
その途端、体がダンッと思い切り岩壁に押し付けられ、拓眞が体に半分伸し掛かってきた。更にそのまま、身動きの取れない状態で、乱暴に顎を掴まれる。
拓眞は懐から、先程と同じ瓶を取り出した。中には、先程と同じように、どろりとした赤黒い液体が揺れる。
「量があるわけじゃないんだ。無駄にするなよ」
拓眞は囁くような声で言いながらコルクを引き抜く。瓶が唇に押し付けられると、赤黒い液体を口の中に流し込まれた。
甘い匂いと鉄っぽい味が口の中いっぱいに広がり、更に吐き気がする。吐き出したいのに、顎を力いっぱい掴まれ上を向かされているせいで吐き出せない。喉を通さないようにするので精一杯。
瞬間、ふっと急に拓眞の手が緩んだ。
何事かと確かめる余裕もなく、奏太は身を捩って口の中に入れられた赤い液体を吐き出す。
涙目になりながら、唾と共にできるだけ口の中の異物を出し切り、なんとか体を起こすと、何故か拓眞の体が目の前に倒れていて、そこには別の影が立ちはだかっていた。
ただし、その影もまた、ぐらりと揺れて、その場に膝をつく。その影が何者かをようやく理解すると、奏太は大きく目を見開いた。
「亘!!」
呼びかけると、亘は俯き加減で苦しそうに、ふーっと深く息を吐き出してから、ザッと向きを変え、奏太を背に庇うように刀を構えた。
「近づく者があれば、陽の気を迷わず放てと申し上げたでしょう……誰を盾にされようと、貴方自身の武器を捨ててはなりません」
苦言を呈す亘の前には、武官が一人刀を構えて立っている。刀からは血が滴り、亘の背には大きく切り裂かれた傷が出来ている。
恐怖で、息ができない。
「……拓眞を始末したまでは良かったのですが……少ししくじりましたね……」
亘は軽口を叩くように言うが、傷の様子と、絶え絶えに発せられる言葉から、かなり状態が悪いことが分かる。それなのに、刀を血で濡らした武官の他に、もう一人がふわりと地面に着地して亘に向かって武器を構えた。
周囲をみると、最初に空から落ちてきた武官、呻き立ち上がれない様子の拓眞の他に、もう一人が鳥の姿に変わり地面に倒れ伏している。
椿の方は、一体の鬼の片手を落としたようだが、肩で息をしながら未だ二体と向き合っていた。
「奏太様、先程申し上げたことと同じです。壁を背に、向かって来る者があれば、躊躇いなく陽の気で焼いてください。誰を盾にされても」
しかし、奏太は答えられない。そのまま固まっている奏太に、亘は小さく息を吐いた。
「御自分の身を、誰よりも、何よりも、優先してください。必ず」
亘はそれだけ言うと、目の前の武官が隙を突こうと思い切り振り下ろした刀を刀身で受け止めて押し返す。更に、グッと足を踏み込んで、思い切り刀を突き出した。亘の背から血が溢れ出る。
刀を合わせ激しく打ち合う二人を他所に、もう一人の武官が翼を広げて飛び上がったのが見えた。手を突き出してこちらに向って構えている。
亘もそちらの動きに気づいていたのか、チッと舌打ちをした。更にバサリと翼を広げて飛び上がり、奏太の真上に覆いかぶさるように着地する。
同時に、バタバタバタと激しい雨が地面に打ち付けるような、雹が降った時のような音が周囲に鳴り響いた。
亘の翼で視界が塞がれ、周囲に様子はみえない。「亘さん!」という椿の悲鳴が聞こえる。
亘の顔がある場所を見上げると、キラキラしたガラスのような何かが無数に肩の辺りにあるのが見える。
「……亘?」
そう名を呼ぶと、亘はニコリと笑った。その口元からツゥと血が伝う。
亘の翼と地面との隙間から、夥しい数の大きなガラスの破片の様な物が地面に突き刺さっているのが見えた。
大量の血を流し、背を刀で切り裂かれ、体中に鋭利な破片が突き刺さり、それでもなお、奏太を守ろうとそこに立ち続ける亘の姿。
それに、胸が握りつぶされそうなほど痛んだ。
「……もういい。亘」
そう言ったのは、記憶の中の奏太か、それとも、今、ここにいる奏太か。けれど、最早そんなこと、どうだって良かった。
もう、見ていられない。
このまま自分のせいで傷ついていく姿を。命を削っていく姿を。
しかし、亘は奏太に向かって平然と笑う。
「おや、普段なら憎まれ口しか返って来ないのに、まさか心配してくださるのですか?」
安心させるように、あの頃の普通を装う亘。
無情にも、再び先程と同じ様にバタバタバタという大音量が周囲に響く。
奏太を護る亘の表情が歪む。歯を食いしばり声を噛み殺しているのが分かる。背に降りかかる痛みを堪えて、何とか踏みとどまっているのが。
「……亘、もういい! 俺のことは、もういいから!」
そう声を上げても、亘は一歩もそこから動こうとしない。それどころか、ククっと、まるで奏太をからかう時の様に「何という顔をしているのです」と笑う。
しかし、その声は小さく掠れ、ニッと笑うはずの口角は、ほんの僅かにしか上がっていない。瞳の光は、徐々に失われていき、無理やり作った表情も次第に無くなっていく。
「もういい! 頼むから! 亘!!」
翼の内側で護られたまま縋る思いで亘の襟元を掴む。その拍子に亘の体がグラと揺れる。
そのまま倒れ込み、ポトリと落ちたその体は、もう人の姿をしていなかった。




