76. 従兄との会話
「……ここ、本家だ……昔の……」
奏太は、ポツリと呟く。
大きく立派な日向本家。建て替えられたばかりで真新しい、しかしどっしりとした日本家屋。その玄関前。
空は夕暮れ。いつも御役目に向かうくらいの時間帯。
普段なら、そのまま何も気にせず玄関を開けて、伯父さんや柊士の元に向かう。けれど、今日は足が動かない。
「何してんだよ、そんなところでボーッと突っ立って」
不意に、懐かしい声が背後に聞こえ、ドクンと心臓が大きく跳ねた。鼓動が激しく胸を叩き、その部分が熱くて痛くなる。奏太は激しい動悸を抑えるように胸を押さえ付けて恐る恐る振り返る。
そこに居たのは、訝るように奏太を見る、三百年前にいつも見ていた従兄の姿。
「……柊……ちゃん……」
喉に、熱いものがこみ上げ、胸が詰まったようになる。それ以上、声が出てこなかった。
「お前、何かあったか?」
従兄の瞳に、心配の色が浮かぶ。いつも、何事かに奏太が巻き込まれた時に見せていた顔。もう一度、その顔をみられるなんて。
「……う……うぅ……、柊……ちゃん……」
涙が、ボロボロと溢れ出す。
「はぁ!? 何だよ、急に!」
柊士が驚きに目を見張り、素っ頓狂な声を出した。
「……あ……会いたかった…………ずっと…………」
奏太は立って居られずに、ストンと座り込み、顔を覆う。止めどなく出てくる涙に、押しつけた袖がどんどん冷たく濡れていく。
「何があったか知らないけど、急に泣くなよ」
座り込んだ奏太の前に、柊士もまた、ストンとしゃがむ。仕方がなさそうな深いため息と共に、ポンと頭に手が乗せられた。
何も言えないまま、どれほどそうやって泣いていただろう。
グス、グス、と鼻をすすりながら、ようやくゆっくり息を吸えるようになったのは、それからしばらく後のこと。
「もういいか?」
奏太の様子を見ていた柊士の手が、奏太の頭から離れていく。それを、奏太は慌ててグッと掴んで、再び自分の頭の上に置いた。
「いや、何やってんだよ?」
「やめないでよ」
「は?」
赤くなった目で睨むと、柊士は意味不明とばかりに眉根を寄せる。しかし、奏太はその手を放すつもりはない。
「もっと、撫でてよ」
奏太が言うと、柊士は唖然とした顔で奏太をまじまじと見た。
「はぁ? お前、いくつだよ?」
完全に呆れた声。
「そんなの、覚えてないよ。随分前に、数えるのやめた。妖連中には誕生日を祝う習慣がないから、ハクが死んで祝ってくれる人が居なくなってからは、誕生日も気にしなくなった」
「だからって――」
「いいだろ、減るもんじゃないし! 俺が、どれだけ、柊ちゃんに……会いたかったと……」
じわりと、また目に涙が浮かぶ。情けないことなんて承知の上だ。この年で言うことじゃないのも分かっている。けれど、この手を、どうしても離したくない。
柊士を掴む手に力を込めると、柊士から、もう一度、「はぁ~、」という深いため息が聞こえてきた。
更に、奏太の頭に、グッと押し付けるような柊士の力が加わる。先程よりも乱暴に、ぐちゃぐちゃっと頭を撫でられた。
「これでいいだろ」
柊士はそう言うと、パッと手を離す。
「あっ」
撫でられた拍子に離れて行く手を掴み損ね、奏太は寂しくなった頭に自分の手を置く。ぐっと奥歯を噛んで俯いていると、今度はグイッと腕を掴まれ、無理やり上に引き上げられた。
「こんなところで座ってたってしょうがないだろ。来い」
柊士はそう言うと、奏太の腕を掴んだまま、引きずるように庭の方に足を向けた。トンと背中を押されたのは、本家の庭に向いた縁側。
「座れよ。話、聞いてやるから」
「……柊ちゃんには、話したくない」
「そんな顔して泣いておいて、なんだよそれ? 話さなきゃ、何にもわかんねーだろ」
柊士はそう言いつつ、縁側に腰をかける。それから、自分の隣を叩いて示した。
「いいから、座れ」
「……」
「奏太」
じっと自分を見つめる目。奏太が言いにくいことがある時、柊士はいつもこの目で奏太を見据えた。奏太がちゃんと、自分の言葉で説明するまで。いつまででも。
奏太は、柊士に促されるまま、ストンと柊士の隣に座る。
「それで?」
責めるのではなく、ただ促す柊士の声。
奏太はチラッと柊士に視線を向ける。変わらない、真っ直ぐな瞳。
奏太はその目を見ていられずに、地面に視線を落としたあと、ゴクッと唾を飲み込んだ。それから、震える声で、ようやく、絡まって黒い塊のようになった思考の端から言葉を絞り出した。
「……俺……ホントは、存在してちゃ、いけないんだ……」
声に出した途端、ポタリと、冷たい涙が落ちた。
「は?」
柊士は、思っても見なかったような声を出す。
「…………俺が……俺のワガママで……このままで居ようとしたから……全部、壊れたんだ……」
「は? どういうことだよ? ちゃんと順を追って話せ」
柊士はそう言うが、奏太はフルフルと首を横に振るう。
「柊ちゃんにまで失望されたら、俺は俺で居られなくなるから、嫌だ」
「失望? 今まで散々厄介事を持ち込んできたくせに、今更そんなこと気にしてどうするんだよ?」
「…………それは……ごめん」
奏太はポツリと呟く。すると、トンと背中を叩かれた。
「お前が何を言おうと、何をしていようと、失望なんてしない。一人で思い詰めるなって、いつも言ってるだろ」
「…………うん」
そう返事はしてみたものの、言葉が出てこない。
「お前の口から話すまで、俺は待つからな」
柊士はそう言うと、本当に、黙ったままの奏太を、そのまま何も言わずに待ち続けた。奏太はその間も、何度か口を開こうとして閉じるのを繰り返す。
「……その……」
ようやく、勇気を振り絞って声に出す。
「うん」という、重くて、それでいて心地よい柊士の声に促され、奏太は足元の小さな石を見つめたまま、ポツリ、ポツリと話し始めた。
「……俺……人でいたかったんだ……神になんてなりたくなくて……亘達と、そのまま一緒にいたくて…………自分が、意識ごと神に飲み込まれるのが……怖くて…………」
柊士の視線が痛いくらいに突き刺さる。怖くて、声が震える。柊士にまで突き放されたら、どうしたらいいのだろう……
奏太はギュッと強く瞼を閉じる。何故話し始めてしまったのだろうと、言葉にしてしまったことを、後悔する。
すると、そっと、背に手が当てられた。じんわりと、染み入るような温もりが伝わってくる。
「ゆっくりでいい」
励ますような、柊士の声。低く、温かく、心地のよい重み。ずっと、求め続けていた、支え。
奏太は、すぅっと深く息を吸い込んだ。それから、吐き出すように、続きを声に出す。
「……だから、俺……人の体を維持する為だけに……神の力を、使い続けたんだ……世界に使うべき力を………自分の為だけに…………搾取……し続けたんだ……」
ドクドクと、心臓の音が耳に煩く響き始める。次第にそれが、キーンとした耳鳴りに変わった。それでも、もう、吐き出し始めた言葉を、止められなかった。
「それだけじゃない。俺が……私欲で、この体を維持、してたせいで、闇の女神を……この世に繋いでしまってた……俺のせいで……何人も、犠牲が……」
喉が掠れて、それ以上、続けられなかった。
すると、視界の端で、柊士が手を上げたのが見えた。奏太の肩がビクッと跳ねる。次に来る衝撃を覚悟して体が硬直する。
けれど、その手はそのまま、優しくポンポンと髪を撫ぜただけ。外の世界で与えられてきた、罰をあたえる荒々しいものではなく、包み込むような、柔らかな感触。
「そんなの、お前のせいじゃないだろ」
不意に、柊士の声が、優しく響いた。
「よく、耐えたな」
じわりと、胸が熱くなってくる。
「三百年、よく、頑張った」
ポンポンと、軽く頭を叩くその手にあるのは、奏太を丸ごと肯定する、慈愛。
「……赦して……くれるの……?」
「赦すも何も、お前は、悪くないだろ。お前は、お前でいたかっただけなんだから」
その声は、奏太が何より求め続けた、存在していて良いという、赦しであり、許し。
「…………うん……」
奏太は堪えきれず、両手に顔を埋めた。胸も、喉も、張り裂けそうに熱くて痛い。嗚咽を堪えようとしたけれど、勝手に声が漏れだす。辛くて、辛くて、けれど、ひどく温かくて。
「……ごめん……なさい……」
「謝るな。お前は、お前で居ていい。それは、誰かに否定されるようなことじゃない」
柊士の手は、ゆっくりと、奏太の頭を撫で続けた。奏太が泣き止み、落ち着くまで、ずっと。
それから、どれほどそうしていただろう。
ずずっと鼻を啜ると、柊士は心配気な目を奏太に向けた。
「大丈夫か?」
それに、奏太はヘヘッと笑う。
「うん。柊ちゃんが、存在してて良いって認めてくれたから、もう大丈夫」
「存在してちゃいけないなんてこと、あるわけないだろ」
「そうでもないんだよ」
奏太は諦め混じりに眉尻を下げた。ここから出れば、きっと、元の通り。自分を認めてくれる柊士は居なくて、また、罪と罰に晒され続ける。
奏太の表情が暗く沈んだのを見て取ったのか、柊士はトンと奏太の背を叩いた。
「護衛役と案内役にも、言い聞かせておくべき事がありそうだな」
柊士はそう言うと、スッと立ち上がりかける。奏太は慌てて、その腕をつかんだ。
「待ってよ、どこに行くの?」
「亘達を呼んでくるんだよ」
「嫌だ、行かないでよ。それに、呼んだところで、どうせ亘達は、ここには来られない」
奏太がきっぱりと言い切ると、柊士は怪訝に奏太を見た。
「どういう意味だ?」
「だって俺は、柊ちゃんが居てくれたら、それでいい。他の奴らは入れたくない」
「……お前が決めた奴しか来れないってことか?」
「うん。……あ、でも、汐は居てもいいよ」
奏太がスッと手を前に差し出すと、どこからかともなく、ヒラリと青い蝶が舞い降りる。手の甲で、緩やかに動かす蝶の翅を、奏太は指の背でそっと撫でた。
「何で、汐はいいんだ?」
不思議そうな柊士に、奏太は小さく首を傾げた。
「汐は、柊ちゃんと同じだからだよ」
「俺と?」
「うん。俺の罪を知っても、俺を罰しなかった」
奏太の言葉に、柊士は眉を顰める。
「他の奴らだってそうだろ。お前を傷つけたりしないはずだ」
柊士は、まるで当たり前のように言う。呆れたような声音。いつもの、何気ない返答。
けれど、奏太はそれに何も応えず、薄く微笑んだ。
あの頃の当たり前は、もう、目の前から消えてしまった。奏太の罪が露見した瞬間に。
「ねえ、柊ちゃん、俺、ずっとここにいたいな」
「馬鹿な事言うなよ。お前には帰る場所があるだろ」
その言葉を聞いた途端、奏太の顔から、表情がスッと抜け落ちる。
「……ないよ、そんなの。もう」
「奏太?」
奏太は、もう一度、表情を取り繕って柊士を見る。
「俺、ここに居ちゃダメ?」
「子どもみたいなこと言うなよ。いつも子ども扱いするなって言ってたくせに」
面倒そうな顔も、見慣れたもの。
「じゃあ、子どもでいいよ。これからは、文句も言わない」
「あのなぁ、」
そう言いかけた柊士の言葉を、奏太は最後まで言わせずに遮った。
「仕事の邪魔はしないよ。俺、ここで待ってる。柊ちゃんが戻ってくるまで。俺、いつまでだって待っていられるよ。だって、二百年も耐えたんだ。待つくらい、何ともない。だから、ここにいさせてよ」
どこにも行きたくない。温かくて、静かで、心穏やかにいられて、柊士が来てくれるこの場所に、ずっといたい。自分でいていいと、言ってくれる人の側にいたい。
「外は、怖い。痛くて、冷たくて、耐えきれなくなる。ここがいいんだ。ずっと、ここが。幸せで居ていいって、言ってくれたでしょ?」
「待ってる奴らがいるだろ?」
「神を待ってる奴らならいるよ。戻ったら、また、罰を受けなきゃならなくなる。そうじゃなきゃ、俺は存在していちゃいけないから」
「奏太」
言い聞かせるような声音。でも、それ以上は聞きたくない。
「お願いだから、帰れなんて言わないでよ。俺は、俺で居たいんだ。柊ちゃんが、認めてくれるから。……けど、そうじゃなくなったら……俺は、何で俺で居たいのかも、もう、わからないんだ……」
奏太は、縋るように、柊士の袖を強く掴んだ。
「……頼むよ……どこにも、行きたくない……」
声が、擦りきれる。
不意に、フッと周囲が暗闇に包まれた。確かに掴んでいた柊士の袖はどこにもなくなり、隣にあった息遣いも消えている。
「……柊ちゃん?」
真っ暗闇の中、奏太は必死に周囲を見回す。
「柊ちゃん! 柊ちゃん!!」
奏太の叫び声は、虚しく、何処までも続く黒に飲み込まれて行く。
「い、嫌だ!! 置いて行かないで!!」
苦しい。息遣いが浅くなる。
「柊ちゃん!! 一人にしないでよ!! ……俺……柊ちゃんが居なくなったら……そ……存在……して、居られない……」
涙が勝手に浮かび上がってくる。足が震える。自分の中から、強大な何かが湧き上がってくるような恐怖に支配される。
「……柊……ちゃん……」
そう、もう一度呼んだ時。
暗闇の向こうに、小さな光が見えた気がした。揺れる濃い橙色の光。奏太は、それに縋りつくように、足を動かした。
あそこに、柊士がいるかもしれない。先程と変わらず、奏太を待っているかもしれない。
気づけば、足の震えも無視して駆け出していた。
息を切らし、必死に光を追う。それがだんだんと近くなってきて、パアと視界がひらけると、奏太は見知った場所に辿り着いていた。




