75. 『案内役』達の足掻き:side.巽
「奏太様、眠られたんだね」
巽は、汐が奏太の髪を撫でるのを見ながら、ほっと息を吐く。汐は心配気に主を見やった。
「眠られている間に、少しでも御心が落ち着かれると良いけれど」
不意に、主から「うぅん……」と声が聞こえた。続くのは、「……柊ちゃん……」という、遠いところへ行ってしまった従兄の名。
「……今は、それがたとえ死者であっても、奏太様を繋ぎ止めてくれるなら、いくらでも縋りつきたい気分だ」
胸を刺すような痛みを押し殺して巽は言う。眠っても尚、主は御守りを手放さない。
「柊士様との思い出の中に、私達も確かにいたはずなのに……」
椿が呟く。
「僕らは玄さんとは違うと、理解してもらうところから、かなぁ」
そういえば、初めて主の御役目に同行させてもらうことになった日、警戒心むき出しに不審者を見る目で見られていたのを思い出す。今は、あの時以上に受け入れていただく壁が高くなってしまっている。振り出しどころか、負からのやり直し。
「汐ちゃんの話を聞いて眠ってくださったのが、思い出のおかげか、手の温もりのおかげか、それともただ単に疲れが出ただけか……ほんの僅かな希望に縋って、さっき汐ちゃんがしたみたいに、手を握って思い出話を続けてみてもいいかもしれない」
巽はそう言いつつ、ずっと黙って壁際にいる亘に目を向ける。近くまで行きグイッと腕をつかんで主の側まで連れていくと、巽はトンとその背を押した。
「亘さんは、奏太様の手を握っていて差し上げてください。あ、優しく、ですよ。絶対、放しちゃダメですからね。僕と汐ちゃんは、その間に別の方法を考えますから」
完全に思考停止した状態の亘に、主の心を取り戻す手立てなんて考えられるわけがない。かと言って、ただ警護させるだけでは、またいつ飛び出して行ってしまうかわからない。それならば、ここから動かず、人の頃からずっと主を守護してきたその手で、僅かでも温もりを与え続ける役についてもらっていた方がいい。
「椿は悪いけど、亘さんの見張りと、奏太様の警護を頼むよ。特に、燐鳳殿。ちゃんと見張ってた方がいいと思う」
主が罰を求めた時のあの目。いつ飲み込まれてもおかしくない状態だった。万が一にも手を出されては堪らない。
「妖界の武官の皆さんも、お願いしますね。主上を、四貴族家当主の一人が穢すような不祥事を起こさないように。何かあれば、以降妖界は神の慈悲を得られません。妖界で、柴川を含む三家の当主が目を光らせていることもお忘れなく」
燐鳳に命じられて奏太の部屋に詰めていた武官達を見据えて言えば、その場の全員が姿勢を正した。
「その燐鳳殿はどうしたの?」
「塔に戦争を仕掛けに行くのは、一応思い止まったみたい。汐ちゃんの邪魔をさせたくなかったから、縁さんと咲楽君に足止めを頼んだよ。でも、いつまでも大人しくしてるわけないし、そろそろ限界じゃないかな。亘さんも、ちゃんと奏太様を護ってくださいね」
恐る恐る主の手に腕を伸ばし、大きな両手でようやく包み込んだ亘の背に、巽はそう呼びかけた。
汐を連れて廊下に出ると、巽はその足で、人界勢の泊まる部屋に向かう。
「貴方は、あまり動揺はないみたいね」
汐の言葉に、巽は肩を竦めて見せた。
「動揺しかないよ。でも、立ち止まってたって仕方ないし、頭を動かしてないと、自己嫌悪で死にたくなるんだ。あの方が望まないって分かってるからそれもできないし、何かしてないと、本当にどうにかなりそうだよ」
いっそ、亘や燐鳳がしようとしたのと同じように塔に行って玄に一矢報いた方が気が紛れるのでは、なんて思考に向きそうになる。けれど、その行く末は、主――『日向奏太』の消滅にしか行き着かない。主が本当にそれで幸せになれるのか、汐が言う通り、それは主を諦めて見捨てることになるのではないか。ぐるぐると、そんな考えをずっと巡らし、結局足と頭を動かしている。
「汐ちゃんこそ、随分と冷静だと思うけど」
「冷静だったら、亘に平手打ちなんてしてないわよ。けれど、貴方と同じ。立ち止まっていても、あの方は救われない。私達が動くしかないなら、思いつく事を端からやるしかないじゃない」
汐の言う通りだ。自分達が動くしかない。人界の頃から、『守り手・日向奏太』に変わらずずっと仕えてきた自分達が。
「まあ、主の心のケアは、『案内役』の腕の見せどころ、だしね」
「あら、あんなに『案内役』のことを見下してたくせに」
不満そうな汐の声。人界時代から、何度、『案内役』だ『護衛役』だと言い争いをしてきたかわからない。
「僕の場合は、『元・案内役』『元・護衛役補佐』だね。今の僕は、不本意なことに『商会長』だし。頭を使う役回りであることは変わらないけど」
巽はそう言いつつ苦笑した。
「それで、どこに行くの?」
「さっきまでの汐ちゃんを見てて思ったけど、現在と未来があの方を追い詰めるのなら、開き直って過去に縋るのが近道かもって思ったんだ。あわよくば、あの頃を共に過ごした僕らのことも思い出して受け入れてもらえないかって」
主が帰ってきてから、貴方は悪くないと、何度も言葉を重ねてみた。けれど、主の瞳には窓の向こうの空しか映らず、心には届いた様子もない。
200年もの間、気づいて差し上げられなかった今の自分達の言葉など、届くはずもない。
恐らく、主にとって、自分を肯定してくれる唯一のものが、柊士の御守りだけとなってしまっているのだ。心を閉ざし、自分すらも許せない、地獄の中に一人囚われたまま。
「ちょうど、人界の者達がいる。特に、柊士様の案内役だった栞ちゃんがいるのは大きい」
「確かに、手を貸してくれるとは言っていたけれど……」
「栞ちゃんの『夢』に頼りたいんだ」
巽が言うと、汐はピタリと足を止め、ぐいっと巽の腕を引いた。
「危険よ。最悪、戻ってこられなくなる。特に、今の奏太様のように、拠り所がそこにしかない方には」
「だから、汐ちゃんの力も借りたい。『幸せな夢』に引きずり込まれすぎないように、あの方の負担にならず、それでいて戻って来られるくらいの『悪夢』を」
栞と汐の姉妹には、対になる力がある。夢を操る力。姉の栞は『幸せな夢』を、妹の汐は『悪夢』を対象に見せられる。いずれも、やり過ぎれば対象の心を壊してしまう力だ。汐の言う通り、心に強い何かがある場合には特に。
「……今のあの方に悪夢を、だなんて……万が一、御心を追い詰めるようなことになったら……」
汐が不安気な声を出す。
「できたら、今の奏太様じゃなく、あの頃の奏太様が恐れていたもので。ずっとあの方の案内役であり続けた汐ちゃんなら、きっと、大丈夫。最悪、現実の痛みで引き戻そう」
「でも、それじゃあ、あの方が、また罰だと……」
「その時の泥は、妖界に被ってもらおう。奏太様が目覚めないから引き戻してほしいと縋れば、燐鳳殿ならすぐに動く。あくまで僕らは、あの方の『人としての錨』だ。それだけは変えない。そっちは任せてよ」
巽は自分が冷淡な目をしていることを自覚しながら、そう笑った。
前作で、活躍の場がなかった汐の術が、ようやく日の目を見そうです




