12
月明かりが城の壁を照らしていた。
突風が壁の淵にしがみ付く僕の体を攫おうとする。
「ひっ・・・。こんな所から出るんじゃなかった・・・。」
信じられないほど高いこの位置から落ちれば、体は粉々にちぎれてしまう。
少し前の自分の選択を呪わすにはいられなかった。
テラスを降り、そのまま城の壁の出っ張りを利用すればすぐに城外に出られるだろうという算段だったのだが、大間違いだった。
「くっ・・・うぅ・・・。」
足を延ばして次の足場に移る。
「ふう。これ、夜が明けちゃうんじゃ・・・。」
その時、嫌な感触が足裏に生じた。
ふわりと頼りない浮遊感が全身を襲った。
「うそおおおおお!!!!」
夜の城に大声が響いた。
夜の城下街は賑わいを見せていた。
皆祭りの準備に追われている。
浮かれた雰囲気が満ちていた。
皆がジロジロと見てくる気がする。
確かにこの時間帯でこんな盛場に僕のような年齢が一人でいるというのは奇異にみえるのだろう。
「急がないと。」
トラブルに巻き込まれる前に目的地へ行かないと。
目的の店の前に立った。
この店はやっぱり今日も賑わっている。
大衆酒場ドランク。
リリシアさんが切り盛りする最高の酒場だ。
ドアを開き中へ入る。
沢山の客が思い思いの料理を酒を楽しんでいた。
「がはははは!!!」
「いいぞお!やれええ!!」
・・・この店はいつも誰かしらが争っているようだ。
「ライルくん!危ないからこっち来なさい!」
カウンターの中にいるリリシアさんが大声で手招きしている。
そちらの方へ走っていく。
「こんばんは!リリシアさん。」
「はい。こんばんは。ってそうじゃないわ、ライルくんたら本当に来ちゃったの!?」
「え・・・?お店に来るのダメですか?」
「くっ・・・。か、かわいい・・・。」
リリシアさんが生唾を飲み込んだ。
一体何のことだろうか。
「ち、違うの。店には幾ら来てくれても住んでくれても良いんだけど・・・。でも・・・。」
逡巡するようにリリシアさんが言った。
「ドランに会いに来たんでしょう?」
「はい。約束したので。」
「はあ・・・。良い子過ぎる・・・。」
リリシアさんが何かを悩むかのように頭を抱え、腕を組んだ。
「ライル君。ひとつだけ約束して。」
「は、はぁ・・・。」
「君は本当に良い子。その性格はこれから先、沢山の宝物を生み出すことになるわ。だけど、同時に厄介事も招き易い・・・。良い?命が危なくなったら約束も目的も全部諦めて逃げること!」
「はい!わかりました!」
大きく返事をした。
すると胡乱気な視線をリリシアに向けられた。
「ほんとうにぃ?」
「はい!」
「はあ・・・。よろしい。」
リリシアがため息を吐き頭をゴシゴシと撫でてくれた。
「えへへ・・・。」
「全くドランのやつ・・・。こんな子に何かあったら承知しないわよ・・・。」
「へ?」
「独り言。ドランは調理場の奥の部屋よ。」
そういってリリシアが調理場の方を指さした。
「リリシアさんの言ってたこと忘れません!ありがとうございます!」
調理場の方へ進んだ。
「心配だわ・・・。」
調理場は料理人たちが忙しなく動き回っていた。
腹を空かせた客たちにいち早く料理を出してやる為に一生懸命だ。
その隙間を縫って歩いていく。
リリシアさんが言っていたように調理場の奥にはドアがあった。
そこをノックした。
「入ってくれい。」
太い声が聞こえてきた。
ドアを開き中へ入った。
常温で保存できる食材の保管室のようだった。
そこに二つの椅子とテーブルが並べてあった。
一つには大ジョッキを煽るドランが座っていた。
威勢よくテーブルに大ジョッキを置いた。
「ちょうど良かったぜ坊主。これ以上飲んだら完全にスイッチが入るとこだったからなぁ。」
口元をやたらと太い前腕で拭いながら言った。
ドランがぽんぽん、と椅子を叩いた。
座れということだろう。
椅子に腰かける。
「よく来てくれた。逃げ出すと思っていたから正直驚いてるぜ。」
「ドランさんには命の恩がありますから・・・。」
「おう。良い心がけだ坊主。にしてもお前さん・・・。」
ドランにじろじろ見られた。
街の人にもリリシアさんにも同じ視線で見られた一体何なのだろうか。
「その汚れ・・・。血か?」
「え?」
言われて自分のシャツを見ると、確かに赤黒く染まっていた。
所々破れてもいる。
「うわっ!?これ、一体なんなんですか・・・?」
「俺に聞かれてもなぁ・・・。」
ドランが頭をぼりぼりと搔いた。
「トラブルにでも巻き込まれたか?」
「いえ・・・。あ。」
「なんだ!?」
「えっと・・・。お城の壁から落ちました。」
「・・・。何を言っとるんだ坊主?」
「いや、お城から出ようと思って・・・それで・・・。」
「落ちたのか。」
「そうみたいです。落ちた時の記憶が無いので多分なんですけど・・・。」
「ほほう・・・。」
ドランにまじまじと見られる。
なんだか居心地が悪い。
「な、何でしょうか?」
「む、すまんすまん。面白い坊主だと思ってなあ。」
ドランがにかりと笑うと白い歯が整えられた髭の間から見えた。
「どうして僕生きているんだろう・・・。」
「そりゃあ、あれだな。坊主が思っていたより高くなかったって事だ。恐怖を感じる対象は何事も大袈裟に目に映るもんよ。」
「そういうものでしょうか・・・?」
「ああ。そういうもんだ。」
ドランに言われるとやけに説得力を感じた。
「それで、城の一日はどうだった?」
「大変でしたよ・・・。」
昨夜、王とヴァレシアの再開を街門広場で見た後僕は急いで地下牢へ戻ることになった。
「坊主。もう一度地下牢に戻ってくれんか?」
王の帰還を喜ぶ民衆の声が遠くに聞こえる。
「せ、せっかく出られたのにですか!?」
「ああ。何心配するな。やばくなったときは俺が何とか助け出してやる。」
「でも・・・。」
「頼む!恩を返すと思ってこの通りだ!」
ドランが両手を合わせ拝むように頭を下げた。
確かにドランには命の借りがある。
恩や借りはその人が生きている内に返さないとずっと返せなくなってしまう。
「わかりました・・・。僕もドランさんが生きている内に恩返しをしたいと思っていたので。」
「そうか!ありがたいぜ!」
「で、でも僕何もできませんよ?腕力だってないし・・・。避けたりするのが精いっぱいで・・・。」
「なあに。心配はいらんぞ。お前さんに荒事を頼むわけじゃない。」
ドランがポケットから何かを取り出した。
「ペンダント・・・ですか?」
「ああ。これをお前さん預かっていてくれ。それだけでいい。」
「これを持って地下牢にですか。まあ、それくらいなら・・・。」
「ああ。簡単だろう?あと隙を見て城の様子を伝えにドランクまで来てくれ。」
「え!?それは難しいんじゃ・・・。」
「ようし!決まりだ!早速地下牢へ戻してやる!」
「え、ちょ、もうちょっと外に居たいですうう!!」
ドランに今日見聞きしたことを話した。
「いやあ坊主。災難だったなあ!がははははは!!」
「笑いごとじゃないですよ!すごく大変だったんですから!」
「がはは。すまんすまん。しかしヴァレシア姫とまさかそんな事になっているとはなあ。今坊主は世界中の男から嫉妬されているぞぉ。羨ましい奴めっ!」
ドランが大きな手でガシガシと頭を擦ってきた。
ドランの重い手を両手でどける。
「やめてくださいよっ!それにどうして僕が嫉妬されなきゃいけないんですか?」
「何だ知らんのか。ヴァレシア姫といえば男嫌いで有名なのだぞ。
セント王国に咲く大輪ヴァレシア。名だたる英雄、一国の王が幾ら言い寄ろうと、自らの実力を持って退かせる。下手を打った求婚者はその国ごと侵略されてしまったという。ヴァレシアを手に入れたくばセント王国を手に入れよ。なんて冗談も流行るくらいだ。」
「ごくり・・・。」
昼間のヴァレシアを見ているせいか妙に説得力がある。
「しかし・・・。ヴァレシア姫はあの獅子ゴリラをまだ使うつもりなのか・・・。」
「獅子ゴリラ?」
「ああ。お前さんが倒したギギサナスって魔獣のことだ。あれが出てくるとなると王は苦戦を強いられるが果たしてどうなるか・・・。」
ドランが太い腕を組み、髭を弄っている。
「坊主。王はどの魔獣を使うか聞いたか?」
「い、いえ・・・。」
「まあそりゃあそうか。手の内は明かさんよなあ。」
「あ、あの。ドランさん。本当にヴァレシアさんとあのおじいさんがその、殺し、合うんですか?」
「うむ。それが王位継承戦であるからなあ。」
何の事もなくドランが言った。
「でも、あのお爺さんがヴァレシアさんと戦うなんて・・・。」
「無理だと思うか。」
「はい・・・。」
「まあ、ダギラル王は普通の人種だからなあ。ちなみに坊主。あの王は幾つだと思う?」
あの皺、あの髭、あの弱弱しい声。
実際に近くに居たからわかる事かもしれないが、相当に高齢に見えた。
「80歳くらいでしょうか・・・。」
「400歳だ。」
自分の耳を疑った。
「よん、ひゃく?でも、普通のヒト種なんですよね・・・?」
「ああ。エルフや竜人種の血は入ってない。普通の男だ。」
「それならどうやって・・・。」
「命を長引かせる薬、呪文、呪い、医術、アーティファクト、果ては神の遺物にも手を出してるって噂だ。ありゃおっかねえ爺さんだぞ。命を長引かせても精神が崩壊してもおかしくないはずなんだがな。」
ドランが肩をすくめた。
「・・・ヴァレシアさんは、何歳なんですか?」
ドランが呆けた顔でこちらを見てニヤニヤと笑った。
「気になるか?坊主。」
「べ、べつにっ・・・。ちょっと聞いてみただけです!」
「なんだぁ。拗ねるなよ~。」
「拗ねてませんっ!」
「ヴァレシア姫はな、ダークエルフの血が入っている。人間とダークエルフのハーフなんだ。」
「人とダークエルフの・・・。」
「ああ。詳しい年齢は俺には分かりかねるが、人間からするととても長命に感じるだろうな。」
「そう、ですか・・・。」
「そういえば・・・。ダギラル王が長命に執着するようになったのは、ダークエルフの妻を娶った頃かららしいな・・・。ふむ・・・。」
ドランが腕を組んで何かを考えこんでいる。
「それじゃあ、僕は城に戻ります。」
「ん?おう。今度は気を付けて戻れよ坊主。」
「はい・・・。」
自分でも言い表せない気持ちが体の底に満ちていた。
これは一体何なのだろうか。
とぼとぼと歩きながら店を出る。
街の喧騒が遠く感じる。
僕はどうしてしまったのだろう。
「ちょっと触らないでくださいっ!」
突然近くの路地から聞いたことのある声が響いてきた。
切羽詰まった声に聞こえた。
声がした路地に近づく。
外套のフードを目深にかぶった人が冒険者崩れのチンピラに囲まれていた。
「何だかわいい声出して。女だったのか。」
「それならそうと言ってくれれば俺たちもやり方を変えたのになあ。」
「そうっ!そうだぜ!」
何やら面倒ごとに巻き込まれてしまっているようだ。
「女なら・・・。」
一人の男が腰に差していた剣を勿体ぶりながら抜いた。
「身ぐるみ剥いで犯してやるぜえええ!!!」
男たちが一斉にフードを被った人に襲い掛かった。
まずい!
咄嗟に足が動いていた。
男の剣が振り下ろされる。
「・・・釣れた釣れた。」
「なっなにっ!?」
男の剣が宙を舞い、地面に頼りなく転がった。
「くくく・・・。この街の馬鹿は絶滅させたはずだけど、一年も待てば雑草みたいに湧いてくるわね。」
「てめえ!なにもんだ!?」
「無理矢理聞けば?短小不具野郎。」
「てめえ・・・。殺す!」
男が相手に躍りかかった。
外套の裾から褐色の脚が伸びる。
綺麗な回し蹴りが男の顔面を捉える。
地面に吸い込まれるような勢いで男が沈んだ。
風に靡くフードの隙間から爛々と光る双眸が見えた。
「ひっ!ひいい!」
「くそ!逃げるぞ!」
他の男が一斉に踵を返した。
「逃げられるわけないじゃん。」
外套を着た女が二人の肩を掴んでいた。
「てめえっその距離をどうやって。」
「ばいばい。」
男たちの頭通しが凄い音を鳴らしてぶつかり合う。
女の容赦ない両手が男たちの髪を掴んでいた。
屈強な体が三つ地面に転がった。
「死んじゃったかな。加減が難しんだよねえ。」
足先で男たちの体を突いている。
これは逃げた方がよさそうだ。
「そこの君。逃げても追いかけるからね?」
脚が止まった。
後ろから脚音が近づいてくる。
「ダメだなあ。こんな所に来ちゃ危ないよ?」
冷や汗が噴き出る。
「ねえ?聞いてる君?」
肩を掴まれた。
「はっ、離してええええ!!!!」
反射的に足が前に動きもつれて転んでしまう。
「君・・・。」
「ゆ、許してください!何も悪いことしてません!!」
「・・・ぷっ。くくく・・・。あはははははは!!!」
聞き覚えのある声が路地に響いた。
何なのだろうか、一体。
「私です私!ライルさん。」
そういってフードを脱いだ女は僕を見下ろしながら赤いツインテールを夜風に靡かせた。
「セシルですよ。もうライルさんったら怖がりすぎです。」
王族のセシルが汚い路地裏に立っていた。




