第三話 僻地潜入のガイドライン
・戦争難民を装うこと
・戦闘技術は隠した方が無難だが、能力を出し惜しみしては異郷で生きていくのは難しいと心得よ。
・現地では地味に生活水準は低目に。
・有力者に近づくチャンスがあれば逃さないこと。
・地元の娘を娶り家庭を持つと地域に溶け込めるので有効。
・但し女がらみのトラブルは往々にして土地の者同士の絆さえ壊すので注意を要する。
・そして時が来たら一斉蜂起する。
◇◇◇
困った事に、人里に下りる時、唯一、毛布代わりに担いできた熊の毛皮は思った以上に人目を引くらしかった。
巻いて背中に背負っても大きな頭や鋭い爪のついた手足は隠しようもなく、何でもいいから何か仕事をさせてくれと声をかけても、人々は顔を引きつらせて断ってきた。
断るだけでなく、大抵は走って男から逃げた。
子供は親に抱き寄せられ背後に隠された。
仕方がないのであぜ道から、農作業中の人に、熊の毛皮を売りたいと言ってみると、人々に引っ張られるように中年の親爺が出てきた。
どことなくタヌキを思わせる顔の親爺だった。
「これは山の主だ。あんたが仕留めただか」
道端にいつしか出来た黒山の人だかりに遠巻きにされる中、親爺は男に言った。
「あんたには違うのかもしらんが、こいつは普通の者には一生に一度の大物だで、そう簡単に手放さない方がええと思うだ」
「じゃあ、これはどうだろう」
刃渡りが腕ほどもある、ほとんど刀のようなナイフを差し出すと、周囲の人々の間から悲鳴のようなざわめきが上がった。
「山であんたの命を護ったモンだろが。正直、ここに居る間は預らして貰いてぇだが、手負いの熊が暴れとる山ン中じゃあるまいし、こういうモンはここではあまり使い道がねぇだ」
「でも俺には仕事もないし、知り合いもいないし、今日の飯の当てもない」
親爺は男をしばらく見ていたが、ようやく言った。
「詰まらねぇ力仕事で良ければ少しオラの所を手伝ってくれろ。オラたちと同じモンで良ければ飯くらい食わせるだ」
んだ、んだ、村長さまの所なら仕事はいっぺいあるだ、と人々の間から声が上がった。
男はそのまま村長の農場に行き、その日一日、言われるままに力仕事をした。
村長の農場は野次馬でごった返し、男が鍬やスコップを振るい、石や木の根を動かすのをそれこそ村中の者が遠巻きに見物した。
人々は、男が道端に熊の毛皮を下ろすと悲鳴をあげて一旦逃げ、男が槌で杭を打ったり、重い物を動かしたり、ぬかるみに足を取られてよろけたりするたびに悲鳴のような喚声をあげた。
日が暮れると男が振る舞われた夕飯を食べる姿も見物になった。
いくらよそってもよそっても男は黙々と平らげたからだ。
もっとも誰も怖がって近寄らない。
平らげると男はそっと置く。
本当はもっと食べたいのだが遠慮というものはある。
村長だけが隣に座って、何度でもお代わりを入れてくれた。
かなり大量に用意されていたらしい料理はすぐなくなったが、人垣が割れて、大鍋を持った娘が現れた。
差し入れを持って来たのは固い表情で顔色の悪い若い娘で、人々が息を飲んで見守る中、皆がまだ遠巻きにして近寄らない男の側に、大鍋を持って歩み寄り給仕を始めた。
「ありがとう」
男は礼を言ったが娘は終始無言でかすかに頷いただけだった。
彼女が現れた辺りで人々の間からざわめきが消えた。
男が食べながら涙を流していたからだ。
クスンクスンと鼻を鳴らしながら男は際限無く食べ続けた。
久しぶりの、火を使って調理した人間らしい食べ物だった。
村長と呼ばれた親爺は大きな農場を持っていて、男のような若い作男と呼ばれる季節労働者が何人も働いていた。
彼らが寝泊まりする小屋もあった。
村長は小屋に泊まれと言ったが、男は断った。
他の男たちがあからさまに男を怖がったからだ。
男は村を流れる大きな川のほとりの林の中で、熊の毛皮にくるまって眠った。
ナイフを村長に預けてしまったので丸腰になっていたが、不安を感じるどころか思い出す事さえもなかった。
少し風があったが、林の中は枝が揺れる音が少しするだけだった。
男はその晩、山で見た白いヤマネコが何度も頭の上を飛び越える夢を見た。




