外伝-1『キラー・ビギニング〈前編〉』
「暴人、あなたはお兄さんなのよ。お兄さんは、弟にとって誇れる存在でなければならないの」
「暴人、これからお前は俺たちの息子じゃない。弟の教科書だ。決して弟に負けるな、勉強も、スポーツも、何もかも。それが悪魔が宿ったお前に出来る唯一の善行だ」
「暴人!」
「暴人!」
「暴人……」
また、あの声が聞こえる。
◇ ◆ ◇
俺に弟ができたのは、小学三年生の時だった。それはもう可愛い弟だった。目に入れるのも痛くない、食べてしまいたいほどに。
名前は太郎。普通の家庭では、太郎という名前は大抵、一人目の子どもに付けるものだ。
んで、二人目が次郎、三人目が三郎。そう相場が決まっている。
だが、我が家は違った。
我が家では、太郎は弟、二人目の名前……、いや両親にとっては、こっちが一人目だったのだろう。
というのも、我が家、阿波連家には代々伝わる言い伝えがあった。
「白い眉の子どもには、悪魔が宿っている」
もちろんただの迷信だ。医学を勉強した今の俺には、それがどんなにくだらない伝承なのかがはっきり分かる。
だいたい、俺が白眉だったのは生まれてすぐのときだけで、今はもうすっかり普通の眉になっている。
だが、両親はその言い伝えを完全に信じ切っていた。ずっとそう言われて育てられていたせいで、当の俺自身もそのことになんの疑問も感じてはいなかった。
両親はそんな忌み子の俺をいつもこういって育てた。
「お前が忌み子だとしても、俺たちはお前を育てないわけにはいかない。頼むから迷惑だけはかけるなよ」
「暴人、いい? 外では私のことをお母さんと呼ばないでちょうだいね。恥ずかしくてたまらないから」
両親は何度も、冷たい目をしてそういった。俺に言い聞かせるように。俺をわざと傷つけるように……。
俺は悔しかった。悔しかったから、目いっぱい努力した。
少しでも認められるように、学校では勉強もスポーツもナンバーワンを目指した。
そして、実際ナンバーワンを取ることが出来た。全てにおいて、俺は常に良い成績を残し続けた。
しかし、それでも両親からの扱いは変わらなかった。
「暴人、お願いだから学校で目立つようなことは止めて。気持ち悪いったらありゃしないわ」
「暴人、やはりお前は悪魔だな。お前のせいで親戚や近所からの目は悪くなる一方だ。なんでお前みたいなやつが生まれてきたんだろうな」
俺は言われ続けた。
しかし、そんな風な生活は、弟が生まれたことをきっかけに一変することとなる。
悪魔の宿っていない、両親にとって心から愛せる、本当の子どもが生まれたのだ。
両親は太郎を溺愛した。最初は、それが気に食わなくて仕方なかった。
だが、そんな憎しみもすぐに消えてしまった。
それは弟が、太郎が、どうしようもなく可愛かったからだ。
俺が何かをするたびに、太郎は「スゲー!」と、目をキラキラさせて褒めくれた。
「兄ちゃんスゲー! またテストで百点取ったの!」
「マラソン大会で一位! マジで!?」
「一秒間に十九連射!? どうやんの!?」
ずっと忌み子として扱われてきた俺にとって、初めて本当に認めてくれる存在が現れたような気がした。
心地よかった。それを聞くたびに、俺はどんな辛いことでも頑張れた。
そしてそれがきっかけで、両親の俺に対する目も変わりだした。
忌み子の俺を、太郎の教育係、教科書代わりとして利用しようと考えたのだ。
立ち振る舞い、行動、学業、スポーツ、ありとあらゆることで弟の手本を求められた。
同時に両親が仕事で忙しい日には、弟の世話も任せられた。
「悪魔の宿った俺に、大事な息子を任せて良いのか」
前に聞いたことがある。
母さんはこう返した。
「本来なら生きる価値の無いあなたに、少しでも価値を与えてあげているのよ」
父さんはこういった。
「お前は悪魔だが、いや悪魔だからなのか、頭の出来が良いらしい。ならば少しでも利用してやったほうが良い」
都合がいい。都合がよすぎる。散々俺をよく分からない迷信で傷つけておいて、今更利用しようだなんて。
だが、それでも俺は、歯向かいもせず、言われるがまま、素直に親の言うことに従った。
いや、親に従ったというより、ただ純粋に、弟にカッコいい姿を見せつけたいだけだった。
「お兄ちゃんスゴい!」
「お兄ちゃん天才!」
弟はいつも俺を褒めてくれて、俺を憧れにしてくれた。キラキラした目で、いつも俺を見つめてくれた。
俺は嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
……それと同時に、俺はどんどん、自分が追い詰められるのも感じていた。
(弟に、負けちゃいけない)
俺が言うのもなんだが、弟は俺に似て天才だった。頭が良いし、スポーツもできる。俺ほどでは無いが、十分過ぎるほどに。
弟が俺の背中に迫ってくるたびに、俺の頭のなかに、両親の声が響いた。
「暴人、あなたはお兄さんなのよ。お兄さんは、弟にとって誇れる存在でなければならないの」
「暴人、これからお前は俺たちの息子じゃない。弟の教科書だ。決して弟に負けるな、勉強も、スポーツも、何もかも。それが悪魔が宿ったお前に出来る唯一の善行だ」
俺は頑張った。勉強も。スポーツも。何もかも。絶対に追い越されないために、絶対に憧れであれるように。
憧れで在り続けることができれば、両親も太郎も、俺を認めてくれるから。
しかし、高校三年生のころ。俺にライバルが出来た。
名前は初代しろみ。俺と同じ学年で、夏から入ってきた特別編入生である。
スラっとした細い身体に整った顔立ち、成績優秀、頭脳明晰。まさに才色兼備と呼ぶに相応しい、ナンバーワン美少女。
クラスでも常にみんなからの人気者だった。
俺はその女にすぐに追い越された。いつもはテストでもスポーツでも、常に学年ナンバーワンだったのに、テストでナンバーツーを取ってしまったのだ。
俺が人生でナンバーワンを取れなかったのは、生まれてこの方これが初めてのことであった。
その日の晩、太郎が眠ったあと、俺は両親に和室へ呼び出された。
和室では母さんと父さんが、険しい表情で座っている。俺はその前に正座し、尋ねた。
「こんな夜中に、何のようですか」
「聞いたぞ。お前、今回のテストで学年二位だったそうだな」
「……」
やはり、その話だった。
「どういうつもりだ」
父さんが俺に厳しく冷たい目を向ける。
「申し訳ありません」
「自覚が足りないんじゃないのか。お前の命に価値はない。弟のための教科書でしかないんだ、だいたいお前は……」
父さんはクドクド続ける。これだけ酷いことを言われても、今の俺はもうすっかり慣れてしまっていた。
「もうやめましょうよ」
珍しい。見かねた母さんが割って入った。いつもなら俺を庇ったりなんかしないのに。
「無茶だったんですよ。暴人が生まれた時点で分かっていたことじゃないですか。この子自身がどんなに頑張ったって、宿った悪魔が必ず悪さをするんです。だから私たちのように完璧に出来ない」
(悪魔……)
それは庇っているわけではなかった。失望だったのだ。
母さんはこう続けた。
「現実はおとぎ話とは違う。どんなことをしたって、醜いアヒルはハクチョウにはなれないんですよ」
その言葉が深く刺さった。どれだけ俺が頑張ったところで、両親にとって俺は醜いアヒルでしかない。
……認められたと、思っていたのに。
俺が俯いていると、父さんは俺に更に語気を強めてこう言い放った。
「暴人、次のテストでは全教科で学年一位となれ。失敗は許されない。取るのはナンバーワンただ一つだ。それがお前に与えられた責務のはずだ」
俺は静かに頷いて答えた。
「分かっています。必ずや……、必ずやナンバーワンを取ってみせます」
〈後編へつづく〉




