託宣
空を覆いつくす雨雲が天の涙を滴り落とす。王都、グランクレアの往来を歩く人々の頭上に次々と降り注ぐ大粒の雨。農村にて作物を育てる平民たちにとっては定期的に降り注ぐ雨は恵みそのものではあるが、ここ最近毎日のように降り注ぐ雨はもはや田畑に流れるには過剰なほどであった。
敬虔なる精霊信仰の教徒の中には新たに生まれた英雄が没したことを始原の精霊が嘆き悲しんだ結果、こうも毎日大雨が降り注いでいるのだと訴え出るものもいた。
そんな王都にある精霊信仰の教会の本部とも言える大教会ではトアル村か届けられた信書の内容を巡って今日も盛大な議論が交わされていた。
「始原の精霊様より選ばれた〝愛し子〟。彼の者が消えたというのはやはり真であったのか?」
「ええ。数日前、王の元に今回の事件〝歓悲の生没〟と名づけられた件の出来事のあらましを伝えるためにル・ローゼス家の当主であるウィングラム殿が訪れた際にそう報告をされたとこちらにも既に話しが届いております」
教会の中でも特に重要な役職に就く者たちが集まるために備えられた会議場。そこには非常時や教会にとって重要な決議を決める際にのみ人々が集まる。
非常時でさえ三割も用意された席が埋まれば上出来。にも関わらず、今回の一件に関してはその過半数が既に埋められて日夜議論が繰り返されていた。
「なんということだ! 全く、愚かしいことこの上ない! 我らが敬愛し、崇めるべき精霊様に選ばれた待ち人がついに現れたというのに!」
王都に届けられた報告。始原の精霊が選び、精霊の存在を知覚しあまつさえ契約を交わすことができる彼らにとっての待ち人がついに現れたと思えば、姿を消した。そのことが事実だという裏づけが取れたことに憤慨する年老いた男性。
「ですが、本当に彼の少年は事実として精霊様と契約など交わすことなどできたのでしょうか?」
まだ年若い、といっても既に四十は過ぎた男性が議題となっている精霊士の天職を授かったいう少年に対する疑問を口にする。
「貴様! 精霊様の言葉に対して疑問を抱くというのか! 不敬極まりないぞ!」
「いえ、単に疑問に感じただけです。実際我々の誰もその少年を見ていないのですから。事実、これまでの不信心な者のように、精霊様のお言葉を騙る偽者の可能性もあるのではと考えを示しただけです」
「うむ、彼のいうことにも一理ある。で? 実際のところその真偽はどうであるのだ?」
議題となっている件についての報告を行う女性教徒に対して噂の彼が本物であったのかどうか。その答えを信徒の一人が問いかける。
「皆様の誰もが件の議題に対する事実確認。その答えが真か、偽かを知りたいと思っているとは思います。
結果を申し上げさせていただけば、その答えは〝真〟であると告げるべきでしょう」
女性教徒がそう告げると、この場に集まった精霊信仰の信者たちから驚きと歓喜の声が口々に上がった。
「王へともたらされた彼の少年の報告ですが、〝早世の英雄〟と既に呼称が付けられたアレンという少年の親友と呼ばれた彼、カイトはアレンとともに〝魔王〟へと立ち向かい逃げ惑う人々の盾となり戦ったそうです。
その際、魔術など習っていなかったカイトは〝英雄〟の天職を授かったアレンとともにあの〝魔王〟と互角の戦いを繰り広げられていたそうです。精霊様のお力を借りて……。
その光景をウィングラム殿の臣下の騎士や彼自身が目の当たりにしております」
「おお! では、カイト。いや、カイト様はやはり本当に精霊様と言葉を交わし、そのお力を借りることができるというのだな!」
「ええ。ほぼ間違いなくそうなのでしょう」
次第に会議場の中は人々のざわめきで満たされるようになる。収まりきらない興奮の渦が彼らの周囲に広がっていく。
だが、そんな彼らの様子に水を差すようにこれまで、この会議場にて沈黙を保っていた老齢の女性がピシャリと水を差すような言葉を告げた。
「静まりなさい。ですが、その少年。カイトは結局姿を消してしまった。そうでしょう?」
それまでの興奮が嘘のように誰もが一斉に静まり返る。そうなのだ、彼らがある意味〝英雄〟以上に待ち望んだ少年は事実として姿を消してしまい、その足取りは現在つかめていない。
「はい、そのとおりです。〝魔王〟との戦いの翌日、突如として我らが待ち人は姿を消してしまわれた。トアル村の近くにある〝迷いの森〟にまで向かったところまでは足取りが掴めているのですが、それ以降は彼の行方はわからないというのが現状です」
〝迷いの森〟。その名を聞いて、この場の揃った者の多くが顔を歪めた。
「〝迷いの森〟……か。それはあの魔女の領域であったな」
「ええ。史実では既に没したとされている〝鮮血の女王〟、〝いばら姫〟。ですが、我ら教会の高位に属するもの、また王や一部貴族にのみ伝えられている真実は違います。
彼の魔女は未だ存命であり、〝迷いの森〟に座して世界の成り行きを静観している。それは、あの森に張られている結界が切れていないことから読み取れます」
説明役の女性教徒が語る言葉に益々教徒たちの顔が醜く歪む。かつて、この世界に絶望と悪意を振りまいた魔女の生存はけして許容すべきものではない。そう理解しているものの、かつてあった出来事が彼らに魔女の排除という選択を取らせることを躊躇わせていた。
その出来事というのは真実を知り、義憤に燃えた教徒の一人がかつて力ある冒険者や信者を秘密裏に集い魔女討伐を行おうとしたが、事を起こす前にその全員が無残な姿で殺されたというものであった。その際、死骸には〝いばら姫〟と件の魔女がつけられることとなった二つ名にふさわしい魔術が用いられており、教会内では魔女、イヴ・グランテーゼに手を出してはならないと暗黙の了解がされていたのだった。
「ま、まさかとは思うが我らが待ち望んだカイト様はあの魔女の手に落ちたということはないだろうな?」
最悪の想像を思い起こした信者の一人が声を震わせながら告げる。再び会議場にざわめきが巻き起こる。
「事実は不明です。ですが、あの森はイヴ・グランテーゼの領域であり、森の奥へ進めば進むほど強大な魔獣の生息地ともなっているとの噂です。そんな場所にいくらわれらが信仰する精霊様の加護を受けたとはいえ、まだ幼い少年が一人踏み込めば……」
「生存は絶望的、ということか」
「はい。であれば、魔女が気まぐれに彼を保護している可能性にかけたほうがまだ望みはあるかと」
「馬鹿な! たとえ、今言ったようにあの魔女が気まぐれに彼の命を助けたとしよう。だが、その後はどうなる!
この場にいる誰もが知っている! あの魔女の残虐非道さを! そんな奴に我らが待ち望んだ存在が無事に保護などされるはずなどなかろう!
よくて人体実験の対象。悪ければその存在を利用され、再びこの世界へ絶望を降り注ぐための道具にされるのがオチではないのか!」
この場にいる誰もがかつてイヴが起こした出来事や、実際に教会に牙を向いた彼女の本質を理解しているため、当然ともいうべきその懸念を否定することはできなかった。
「では、どうするというのだ?」
「決まっておろう! すぐさまにでも討伐隊を組み、今度こそ彼の魔女を打ち滅ぼすのだ。仮にカイト様が彼の魔女の元に捕らえられていた場合、すぐにでも助けなくてはならない」
「だが、奴に彼を人質として差し出された場合はどうする? その場合、我々には何もできないのだぞ!」
「では貴様はこのまま黙って生存不明の我らが待ち人が再び現れるのを待てというのか!」
再び熱が会議場に篭り始める。議題となった少年、カイトの存在が彼らにとってあまりにも大きいもののためか、話が進んでいるようでいて一向に進んでいない。
そんな彼らの様子を見て、先ほど一度彼らに喝を入れた老齢の女性、バアヤ・クラフトが再び声を上げる。
「静かに! 全く、玩具を与えられた子供のように喚き散らしてみっともありません。それでもあなたたちは教会の高位に属する信徒なのですか?
この状況をあなたたちの部下が見たら失望するするでしょうね」
溜息を吐き出しながら額に手を当てて痛む頭を抑えるバアヤ。
「ですが、クラフト様。我らがこれまで待ち望んできた精霊様に真の意味で選ばれた者がついに現れたのですぞ。この状況で落ち着いていられるほうがどうかしています」
「ええ、そうでしょうね。仮にも私も精霊様より選ばれた一人ですもの。事の重大さは重々理解しています」
「では! 何故そのように落ち着いて……。いえ、待て。まさか、何か心当たりがあるのでは?
彼の少年の生存についてあなたは何かご存知ではないのですか?
もしや、精霊様より託宣が……」
「仕方がありませんね。私も別段隠していた訳ではありませんが、あなたたちのやり取りを見ていては中々声を上げることもできない状況でしたので」
「では!」
「ええ。確かに、昨夜精霊様より託宣をいただきました」
バアヤが告げた始原の精霊からの託宣。その言葉を耳にし、この場に集った者たちの注目が一斉に彼女に向けられる。
「始原の精霊様より告げられた託宣はこのようなものです。
まず、彼の少年。カイトは無事です。詳細までは語られませんでしたが、現状命の危機に陥るようなことはないと話されていました」
おお! と室内に座する人々の安堵の声が次々に上がる。
「そして、次に今回新たに生まれ、そして没した〝英雄〟であるアレン。彼の後継たる次代の英雄の生誕についても精霊様よりお言葉をいただいております。
今から遅くとも十年以内に現在空白となっている7番目の〝英雄〟の座に就く者が現れると。
ですが、今回は今まで現れた〝英雄〟とは違う生誕の仕方になるともお話されておりました。
それは、次代の〝英雄〟は突如として現れるのではなく、〝英雄候補〟その証を持つものが複数現れ、その中から真に〝英雄〟足る存在がその空位に座るのだと」
彼らの待ち人たるカイトの生存に関する情報。それだけではなく、今回没した英雄の次がいつ現れるかまで始原の精霊から示唆されたとの事実を話すバアヤ。これまでと違い、いつどこで突如として〝英雄〟が生まれるのではなく、予めその座に就くべき人間が決められているというのも前代未聞の出来事であった。
「これは推測になりますが、ここまで早い〝英雄〟アレンの死は始原の精霊様も望まれていない結果であったのでしょう。
だからこそ、彼のように突如として現れそして消えてしまう英雄を二度と生み出さないため、予め〝英雄〟となるべき候補を複数立て、我々が彼らを保護することができるよう、手配してくださるのではと私は考えております。
私はこの後此度の託宣を王に伝え、すぐさま〝英雄候補〟がこの世界に生まれていないかを確認するよう進言する予定です。
あなた方も今後神託の儀で〝英雄候補〟が新たに生まれる可能性を考慮するよう気を配りなさい。彼らが既に生まれているのか、それともこれから生まれるのかはその時にならなければわからないのですから」
バアヤの指示を受けた一同は一斉にうなずきを返した。
「それと、我らが待ち人たるカイト。彼に関してですが、彼の生存に関しては確定しましたがそれがどういう状況によるものなのかは未だ不明です。
今後も情報は集めるように。ですが、彼の魔女イヴ・グランテーゼが座する〝迷いの森〟の領域にはくれぐれも迂闊に手を出すなどという軽挙な行動をとることなどないように。
藪を突いた結果、災禍が現れれば笑い話にもならないでしょうから」
最後にバアヤより告げられた忠告に誰もが言葉を上げず、ゴクリと唾を飲み込んだ。やがて、説明役を担っていた女性教徒が議会の閉廷を告げる。
「では、本日の議会はこれにて終了としましょう。世界に精霊様の加護があらんことを」
信徒の決まり文句である言葉を持って議会は終了した。
この後、聖女の天職を持つバアヤにより、始原の精霊から受けた託宣は王であるヴァンダムへともたらせれ、次代の英雄候補の捜索が開始された。
一年、また一年と月日は流れる。魔獣や魔族との争いは激化こそせぬものの収まることなく繰り広げられる。
そんな中、セントライド、唐蘭、ノーザイン。三大大国の中から一人、また一人と託宣にて語られた〝英雄候補〟の証を持つものが現れ始めた。
年齢は様々。だが、平均して年若い彼らを各国はすぐさま囲い込んだ。そうして、自国に生まれた〝英雄候補〟の情報をできる限り伏せながら表面上は対魔族に向けて大国は協力し合いながら、他国に対する牽制も欠かさない。
託宣から約八年の月日が流れた。いつまでも停滞する魔族との戦線状況。一向に〝英雄候補〟の情報を開示しない各国に痺れを切らしたセントライドの王、ヴァンダムにより唐蘭、ノーザインへの呼びかけが行われた。
それは、各国が抱える〝英雄候補〟の集結。魔族に対して絶対的なアドバンテージとなる彼らを集め、鍛える組織の設立を行うとの呼びかけであった。
結果、天剣、聖女、導師、聖槍、剣豪、巫女。英雄候補に相応しい天職を持つべき存在が一斉に集うこととなった。
彼らが集う場所はセントライドの王都、グランクレア。次代の英雄候補の集結は人々に時代の変革を予感させた。
……そして、この時を待ち望んでいたというかのように魔女もまた動き出す。手塩にかけて育てあげた己の弟子、精霊士の少年を世に放つことによって。




