生き延びた者
――〝早世の英雄〟。
世界からその生誕を祝福されることなく突如として現れ、そして消え去った英雄がいた。人類の歴史上史上初めてとなる神託の儀での〝英雄〟の天職を授かった少年は、その身に授かった運命と使命に従うかのように対極に存在する〝魔王〟と戦い、生命の炎を燃やし尽くしたのだった……。
――ここは中央国家セントライドの王城。今、王城の謁見の間では、彼の戦いをその目に刻んだル・ローゼス家の当主であるウィングラムにより、起こった出来事の全ては余すことなくセントライド王国の王であるヴァンダム・ラ・イドへと伝えられた。
ウィングラムの臣下である騎士が新たな〝英雄〟の誕生を早馬にて伝え、歓喜に震えて新しい〝英雄〟を出迎えていた所、続いて届けられた続報が彼の者の喪失なのだ。期待を寄せていた分、その落胆は計り知れないものであった。
だが、その相手は〝魔王〟であったのだ。いったい誰がウィングラムを責めることができよう。
結局、王はウィングラムから事の全てを聞き終えると、労いの言葉をかけてしばらくの間心身を休めるよう命じた。王の命令を受けたウィングラムは後悔と、やりきれない思いを胸に抱きながら謁見の間から退室をするのであった。
王城に配属された騎士に付き添われ、王城の城門までウィングラムは進んだ。城の外は今の彼の心を表した彼の様な今にも雨が振り出しそうな鉛色の雲が広がっていた。
城門前にて待たせていた馬車に乗り込み、ウィングラムは王都であるグランクレアにある屋敷へと向かうよう御者に指示を出す。
ガタ、ゴトとデコボコの地面を馬車は進む。王城から離れてしばらく。ようやく、緊張感から開放されたウィングラムは深い、深いため息を吐き出した。
「辛うじて、命は繋いだか……」
そう、彼は今回の報告を王にもたらすことが自分の命を懸けてもなお足りないほどの失態だと考えていた。そう考えるのも無理はない。なぜなら、それほどまでに〝英雄〟という存在は人類にとっては大きなものであり、一領主程度の命と天秤に懸けたところで全く釣り合いが取れないほど重たいものであったからだ。
今回、彼の失態を王は責めなかった。だが、貴族の中にはこれ幸いと今回の出来事を話の種に彼を責めたてる者は少なくないはずだ。
何故命を賭しても新たな〝英雄〟を守らなかったのだと。
「あれは……ただの人が立ち入れる領域ではなかった」
自分自身に言い訳するかのようにウィングラムは一人呟く。アレンと〝魔王〟の戦いはまさに人外の領域。とてもではないが、あの場に自分が割り込めば一瞬で命を落としていたと想像するに難くない。だが、それでも他に何か道はあったのではないのか? そう思わずにいられないほどウィングラムは後悔している。
きっと彼はこの後悔を生涯を通じて背負い続けることになるだろう。だが、彼が今その胸に抱いている悔恨はなにも〝英雄〟であったアレンの喪失だけが原因ではない。
あの日。神託の儀を行い、世界から祝福を受けた少年がもう一人いた。少年の名はカイト。
礼儀正しく、常に周りに気を配り、実年齢から考えれば遥かに大人びていた少年だった。以前、トアル村を訪問した際に出会ってから、将来性を見越してウィングラムが密かに目をつけていた少年だ。
そんな少年が前代未聞の〝精霊士〟という天職を授けられ、あまつさえこの世界の信仰を一身に集める精霊から祝福されるという加護を与えられたのだ。
〝英雄〟と〝精霊士〟。手にすることができれば、一体どれだけの影響力があるか分からない二人。そんな存在を一度は掴みかけ、結果としては二つとも取りこぼしてしまった。
アレンはまだ仕方がないことと割り切れる。あの場に突如〝魔王〟が現れることなどたとえ聖女や巫女だとしても予期できぬことであっただろうし、彼がいたからこそ今こうして自分は命を繋ぐことができていると思えば少なくとも心の慰めにはなる。
だが、カイトは違う。彼はアレンが命を賭してまで守り抜き、そしてあの〝魔王〟とも戦うことができう力を自分たちに証明して見せたのだ。
その将来性にはどれほどの金銀財宝を積んだとしてもお釣りがでると言えただろう。
友を殺されたことを知ったときのカイトの気持ちは推し量ることはできない。だが、深い悲しみにその心が沈んだことはあの時の彼の表情を思い出せば理解ができる。
大粒の涙を流し、嗚咽を漏らす彼にどんな言葉を掛ければよいのか。そんな迷いがあったのも事実。幼い子供に全てを任せ、のうのうと戦いを見ていることだけしかできなかった自分にかける言葉などない。そんな迷いがウィングラムの選択を決定的に誤らせた。
今にして思えば何でもいいから声をかけるべきだったのだ。同情でもいい。労いでもいい。彼の心の慰みになるのであれば何でもよかった。
だが、ウィングラムがその選択を取る前に彼の娘であるイオナはカイトに向かって信じられない言葉を投げかけた。
『あなたが……あなたがアレンの代わりに死ねばよかったのに!』
その言葉を聞いたとき、ウィングラムの頭の中には打算など微塵も存在しなかった。ただただ、そんな言葉を娘であるイオナが信じられず、気づけば怒りに任せて愛娘に手を上げていた。
その言葉はただでさえ傷心して深い絶望を感じていたであろうカイトを奈落の底へと突き落としたのだろう。その証拠に、心身ともに誰もが疲れ果て眠りにつき目を覚ました翌朝に彼の少年の姿はどこにも存在しなかった。
〝迷いの森〟に彼が向かったことまでは分かった。幼い子供の足跡が森に向かって残されていたからだ。だが、生き残った村人や臣下である騎士たちを動員し、どれだけ彼を探そうとその姿を見つけることはできなかった。
手にすることができたはずのもう一つの巨大な存在の喪失。己の選択次第で、それが回避できたと思うからこそ、ウィングラムの後悔は深いものとなった。
気づけばいつの間にか馬車は自身の持つ屋敷の前へと到着していた。御者が扉を開き、ウィングラムが車内から降りるのを補佐する。馬車を降り、ウィングラムは屋敷へと足を進める。
屋敷に常駐するメイドが彼を出迎え、入り口へと案内をする。その後に続き、屋敷の中へと足を踏み入れる。
入り口の扉を開いた先には愛娘であるイオナが彼の帰りを待って立っていた。
「お、おかえりなさいませ。お父様……」
「ああ……」
ビクビクと怯えた様子で父であるウィングラムを出迎えるイオナ。アレンの死から約一月。以前は見るものが羨むほど良好であったはずの親子関係には傍から見ても明確なほど悪化したものとなっていた。
イオナは己が慕っていたアレンの死を未だうまく消化しきれないでいた。そして、自分が衝動に任せてカイトにぶつけてしまった取り返しのつかない言葉によって尊敬する父へ大きすぎる損失を与えたことに対しても深い後悔と罪悪感を抱えていた。
対するウィングラムもそんなイオナに対して手を上げたこと。そのことに対して謝りたくても彼女がしたことを思えば謝罪などけしてすべきではないということからお互いに歩み寄るための妥協点を未だ見出せずにいる。
結果として、彼の臣下やイオナの面倒を見ているメイドたちが心を痛めるほど二人の関係性はぎこちないものとなってしまっているのだった。
「あの、お父様! 私今日……」
二人の間に流れる気まずい空気をどうにか払拭しようと意を決してイオナが声を上げる。だが、王との謁見で心身ともに疲れ果てていたウィングラムはその言葉を手で遮り、
「すまない、イオナ。今は話を聞いてやれる余裕はない。また今度にしてもらえないか?」
「……わかりました。お時間を取らせてしまい、すみません」
「……いい。すまない、今度ゆっくりと時間を作ろう」
そう言い残し、ウィングラムはその場を後にして自室へと向かった。ウィングラムの姿が完全に見えなくなると、堪えきれなくなったのかイオナは涙を零し始め、その様子を見たメイドが彼女を宥めるために言葉を尽くすのであった。
あの戦いを生き延びたものは誰もが心に傷を負った。それはアレンの親友のカイトだけではなく、彼らに多大な期待を抱いたウィングラムや彼を慕っていたイオナもまた同じであった。




