交渉
涙とともにパンドラが立ち去る。それをカイトは黙ってみることしかできなかった。
ただの精霊でないことなど出会ったその場でわかっていた。おそらく神託の儀でカイトに天職や加護を告げた精霊たちと同格の高位の存在であることもなんとなく予想はついていた。
だが、彼女が魔族を生み出すことになった闇の精霊の同属だということは予想していなかった。考えればその答えに辿り着けたのかも知れないがカイトは彼女が何の精霊なのかということに固執していなかった。
全てを失い、力を求めて再び絶望から立ち上がった。だが、まだカイトは十にも満たない子供なのだ。その精神こそ成熟しているものの、それでもまだまだ年盛りの子供だ。
今のカイトにとっての世界はこの森とイヴだけが全てだった。だが、そこに突如としてもう一人。パンドラという存在が現れた。
師と弟子という関係以上に何を考えているのかが読めないイヴと違いパンドラは今のカイトにとって何の気なしに話ができる唯一の存在だった。まだまだ重ねた月日は少なく、浅い付き合いでしかないものの彼女と過ごす夜の時間はカイトにとって心底気を休めることができる僅かな時間でもあった。
だから、イヴが告げた彼女の正体はカイトの心を揺さぶった。心を許した相手が自身の仇敵の生みの親ともいえる存在だったからだ。
「やれやれ、無粋な輩じゃったがようやく自分の立ち位置を理解したか。
すまんのう、カイト。せっかくの修行の時間をあのような形で水をさされてはお主も嫌であったろう」
未だ動揺が収まらぬカイトの心情を理解しているにも関わらず、遠慮の欠片もなくイヴが言葉を紡ぐ。嘲るような笑みを浮かべながら。
なるほど、確かに彼女はパンドラが口にしたように〝悪〟だ。口を開けば向かい合う相手の心を抉る毒を吐き、心を揺さぶり傷つける。そしてそのことに何の罪悪感も感じていない。
いったいどんな人生を歩めばこのような歪んだ性格になるのか? それともこれは生来の気質か。
考えたところで意味はないのだろう。今のカイトは彼女に縋ることでしか先に進むことができないのだから。
だが、それでも……。
「ん? どうした。ああ、そういえば我が命じたせいで言葉を発することができなかったな。
すまぬ、すまぬ。今命を解く」
そう口にして自身が口にした〝黙っておれ〟という命令をカイトから解くイヴ。ようやく言葉を発する自由を再び手に入れたカイトは意を決してイヴへと想いをぶつける。
「師匠。俺、パンドラのところに行くよ」
「ほう……。それは、先ほどの我と奴とのやり取りを見ていてなおそう言っておるのであろうな?」
カイトが言葉を発した瞬間、ようやく緩んだ空気が再びきつく絞められる。師である自分よりの元を離れ、敵対の言葉と態度を示した相手の所へカイトが向かうなどと言えばそれも仕方がないのかもしれない。
カイトとイヴの視線が交わる。ここで引けばもう二度と彼女とは会うことができない。そんな予感をカイトは感じていた。未だに彼女に対してどう接するべきかカイトは決められずいた。
それでも、今は彼女と言葉を交わしたい。その結果、彼女と別れることになってもそれは仕方がないことだといえる。
「頼むよ。知らなかったとはいえ、俺パンドラのこと嫌いじゃなかったんだ」
「あやつは闇の精霊じゃ。主にとっては仇敵である魔族と変わらぬのではないのか?」
「……違う。確かに、魔族を生み出したのは闇の精霊かもしれない。でも、彼女じゃないはずだ」
「ふむ。確かにそうかもしれんが、それは屁理屈ではないか? では、お主は相手の正体を知らずに接していて知らぬ間に好意を抱いていた相手が例えば魔族であった場合、躊躇いなく殺すことができるのか?
お主は契約の際我にこう言ったな? たとえ何を犠牲にしても力が欲しいと」
「ああ、そうだ」
「にも関わらず、今の貴様はある意味仇敵とも言える存在を前にして、怒りや憎悪を抱くよりも前に言葉を交わしたいと我に向かって告げおる。
これはいったい何事か? 我に告げた言葉は偽りだったのか? 疑わしいことこの上ない」
「違わない。誓った想いも、怒りも、憎しみも全て真実で本物だ」
「そうかのう? 上辺だけの言葉だけならいくらでも口にすることはできよう。想いも時間と共に風化する」
「どうしたら納得してくれる?」
「納得するとでも? ああ、なに。勘違いするでない。我は心配なのだよ。可愛い、可愛い愛弟子が言葉を弄され、道を迷ってしまわないかとな。
目の前で師である我に啖呵を切り、敵対した相手にも情を向ける。そんなどうしようもなく優しく、甘い心を持った弟子が我が許しを出したことで傷つくことが怖いのだよ。
すまぬなぁ、過保護で心配性な師を許しておくれ」
どの口がそんな言葉を並べ立てるのだとカイトは心の中で唾を吐く。イヴは何かを試している。今の彼女とのやり取りでカイトはそう理解した。
本当にパンドラの元に行かせたくないのであれば先ほどカイトに命じたように隷属の魔術をもって、ただ一言〝行くな〟と告げればいいだけなのだ。
だが、イヴはカイトにそのように命じる素振りを見せない。問答を繰り返し、カイトが自分を納得させる何かを条件を提示するのを待っているようにも見えた。
しばしカイトは思案する。ただパンドラの元に行くだけでは駄目なのだ。そこに行くことで、カイトにとってもイヴにとっても納得することができるだけの何かを得る要素がなければ決して、彼女はカイトをパンドラの元へと向かわせないだろう。
カイトは思考を巡らせた。今のイヴが求めるものは何だ? 敵対的な態度を取り、カイトにとってもある意味仇とも言える闇の精霊たるパンドラの元へ向かってもいいだけの理由は?
まずは自分にとっての得を考える。既に切れかけているといっても過言ではない彼女と縁を抑えようとすることによる生じるメリット。
彼女は精霊で自分は人間。そう考えたところで、これは少し意味が違うとカイトは考えを少し改める。
パンドラは〝精霊〟で自分はそんな彼女と契約をすることができる〝精霊士〟だと。
ハッとして視線を上げると、そこにはカイトが考えを読んだかのように正解だと言わんばかりにニヤニヤと微笑を浮かべるイヴがいた。
そんな彼女の姿を見て、カイトは己の考えの方向性が間違っていないことを確信する。
〝魔王〟ヴァルドとの戦いの際、カイトは無意識にトアル村に存在していた精霊たちの力を借りて戦った。それは何の力も持たなかったカイトを一時的ではあったとはいえ、〝魔王〟と戦えるだけにまで導いた。
しかも力を借りたのはおそらく神託の儀に現れた精霊やパンドラよりも下位と思われる精霊。それでさえ、あれだけの力を得ることができたのだ。もし、パンドラのようにこの世界に現界するほどの力を持った精霊の力を借りることができればどうなるのかなど考えるまでもなかった。
パンドラと契約をすれば自身は力を得ることができる。そして、それはおそらくではあるがイヴにとっても望むところなのだろう。彼女が何の意図を持ってカイトと師弟契約を結んだのかは未だ定かではない。だが、今のカイトには彼女の考えに思考を向ける時間はなかった。
考えを纏め、再び師であるイヴとの交渉に臨む。
「俺は、パンドラのところに行きたい」
「先ほども言うたな。それは何故じゃ?」
「それは、俺がパンドラを追うことで力を得ることができるかもしれないからだ。
彼女が闇の精霊だったのは意外だったが、彼女は〝精霊〟で俺は〝精霊士〟だ。たとえ相手がアレンの仇の〝魔王〟や魔族を生み出した闇の精霊の同属だとしても……いや、同属だからこそ。もしもその力を借りることができれば俺はあいつらと戦うための力を得る可能性がある」
「ふむ、悪くない答えじゃ。それで、力を借りられぬ場合はどうする?」
「その時はその時だ。元々力を手に入れるために師匠に修行をつけてもらってるんだ。けど、もしも彼女の力を借りることができるのなら、俺はもっと短期間で力をつけることができる。
元々〝魔王〟と戦うのが目的なんだ。今更手段を選んでいる余裕なんて俺にはないんだ。力を得るためなら例え仇と呼べる存在の生みの親たる闇の精霊の同属だろうと何だろうと構わない」
考え抜いた末に搾り出した言葉をカイトは並べ立てた。イヴはカイトの言葉を聞き終えると満面の笑みを浮かべ、
「そうまで言われては仕方あるまい。可愛い愛弟子が力を得るためにここまで懇願しておるのだ。ここで折れねば師である我が先ほどの些細な一件で意固地になっているようではないか。
ふむふむ、力を得るためにそこまで形振り構わぬ姿勢はよいぞ。力に貴賎など元よりない。清濁合わせ飲む心意気を早々に理解してくれたようで我も非常に気分がいい。
さて、そうと決まれば早く行くがよい。奴はまだそう遠くへは行っておらぬはずだ。今ならお主でも追いつくことができよう」
交渉の末、イヴからの許可を勝ち取ったカイトは脇目も振らずに駆け出した。先ほどイヴに発した言葉など既に頭から抜けている。今はただ、涙と共にこの場を去ったパンドラの元に一刻も早く駆けつけたい。
……その一心で。




