鮮血の女王と闇の精霊
ピリピリと空気が質量を持って肌を突き刺す。敵意と、挑発の視線を絡み合わせながら対峙する二人の少女。
両者とも幼く見える外見とは裏腹に、その実長い時を過ごしているという共通点がある少女たち。
「ふむ、初めて実体を伴った精霊を見たが少々拍子抜けじゃな。伝承や書物で言い伝えられてきていたような異形を期待しておったのじゃが。
なんじゃ、これでは多少魔力が多いだけの〝人間〟と変わらないではないか」
隠そうともしない敵意と殺気を自身にぶつけるパンドラを前にしながらも、イヴの態度は微塵も変わらない。精霊という上位存在を前にしながらもこれまでと変わらぬ不遜な態度を貫き続け、むしろ更なる煽りを重ねていく。
対し、挑発を受けたこの世界の生命の上位存在たるパンドラは本来ならば気にも留めない矮小な存在の煽りを真正面から受け止め、更なる怒りを露にする。その証拠に先ほどまでは歪んでいただけの彼女の周りの空間が軋みを立てる音を奏でる。
「ふ~ん。人間? いえ、ハーフエルフ……ね。私たちから枝分かれして生まれた存在が混じった劣化種族如きがずいぶんと大きな口を叩くものね。
それだけ舐めた態度を取るだけの実力がもちろんあるんでしょうね?」
「なんじゃ? 癇に障ったか? 上位存在ともあろうものがまさか取るに足らん虫の鳴き声を気にするとはずいぶんと器量の小さいことよ」
「多少長生きしているだけの劣化種族が」
「無為な月日だけを無駄に重ねてるだけの存在が」
「殺すわよ」
「殺すぞ?」
両者から発せられる遠慮の欠片もない殺気に当てられ、イヴの腕の中に納まっているカイトの全身の毛穴からぶわっと冷や汗が噴出す。〝魔王〟と対峙した時と同じくらい濃密な死の気配をまさかこの場で感じることになると一体誰が予想したのだろう?
バクバクと心臓が警笛を鳴らす。今すぐにこの場から逃げ出せと本能が叫ぶ。この場は既に戦場に成り代わった。その証拠にこの後訪れる災厄の気配を察した森の生物たちは一斉に息を潜め、静寂がいつの間にかこの場に訪れていた。
そもそも、本来は〝精霊士〟の天職を授かっている自分以外に存在を感知することができないはずの精霊と当たり前のように会話をしているイヴに疑問を感じたカイトであったが、そんな疑問も目の前で繰り広げられている危機を脱してからといえる。
とはいえ、彼女たちが争っている原因が自分自身にあるため、たとえこの場からカイトが逃げ出したとしても根本的な解決には何にもならないのだが……。
どうにか、二人の争いを止めようとパンドラに向かって声をかけようとしたカイトであったが、そんな彼の行動を先んじてイヴが彼の口を手で塞いで防ぐ。
イヴの取った行動に驚き、視線を上に向けるカイト。見れば、彼女は心底楽しそうに微笑んでいた。命の危機を感じるこの空気の中でいったいどういう感性をしていたらそんな笑みを浮かべることができるのか。
「互いに意見は平行線。どちらも引く気はないようじゃな。最も、貴様の主張はなんの正当性もないのじゃがな」
「なんですって?」
「……フッ。少し考えれば誰もでもわかることよ。我とこやつは師弟契約を結んでおる。この関係を望んだのはこやつであり、我はそれに対して応えているだけよ。
今も無能で、成長の気配も見せない駄目な弟子を慈しみ、ありきたりな触れ合いを行っているだけであろう。いったいそれの何が悪い?」
「額面どおりの言葉通りに受け取ればそうなんでしょうね。だけど、駄目。あんたの言葉からは嘘の臭いしか感じない。
ただの人間は騙せても私はそうはいかない。あんたからは関わった者に絶望を振りまく〝悪〟の本質しか感じないわ」
「言うではないか。それはお主も同様であろうよ。貴様から感じる魔力の気配は魔族どもと変わらぬ〝闇〟を感じるぞ」
イヴが指摘した事に心当たりがあるのか、それまで怒りの表情一色だったパンドラの表情に始めて動揺の感情が色づく。
それに気がついたイヴは更に口角を釣り上げ、ここぞとばかり追い討ちをかける。
「なんじゃ、隠しておったのか? やはり〝闇の精霊〟か。そうか、そうか。それはカイトに己がなんの精霊か言えるはずもないわのう。
人類と敵対している魔族どもの生みの親たる〝闇の精霊〟がどの面を下げて全種族の精霊から祝福を受け、魔族を嫌悪するこやつの前に姿を現すことができようか」
「嫌悪って……。確かに人類と魔族は敵対しているけれど」
イヴの言葉に心を揺さぶられるパンドラはその言葉の真意を確かめようとカイトに視線を移す。だが、彼女が見たのは彼女が魔族を生み出した闇に属する精霊という事実を知り唖然とするカイトの姿だった。
彼が浮かべた表情でを見たパンドラはイヴが口にした言葉が真実だと知り驚愕する。
そんな二人の表情を見てイヴは益々笑みを深め、更なる言葉の刃を振るう。
「く、くっくっくっ。あっはっはっは! これは傑作じゃ。まさか、何も知らぬとは。いや、何も聞かされておらんかったというべきか。
むしろ哀れじゃな。まるで道化よ! いったいどの面を下げて〝愛し子〟などと口を開き、我と絆を育んでるこやつの前に現れおった。
厚顔無恥もここまでいけばいっそ清清しい。憎き仇敵たる魔族を倒すために力を欲して我に教えを請うこやつの前に仇敵の生みの親たる闇の精霊が近づくとは!
どうした? 先ほどまでの威勢はどこにいった? まさか図星を突かれた程度でもう意気消沈か?
ああ、そうかすまんな。我としたことが配慮が足りなかった。劣等種族たる我の言葉など上位存在たる貴様の耳には届いておらんようじゃのう」
次々にパンドラに突き刺さる無遠慮なイヴの言葉の数々。返す言葉がないのか、心底悔しそうに唇を震わせながら俯くパンドラ。そんな彼女の姿を見てカイトの胸がズキリと痛む。これ以上師に言葉を紡がせてはならない。そう思い、静止の言葉を上げようと口を開こうとした瞬間、
「ああ、カイト〝黙っておれ〟。今は無謀にも我に喧嘩を吹っかけてきた愚か者への制裁中じゃ」
イヴから降された命令がカイトの動きを縛る。隷属の契約により刻まれた魔紋が光り、彼の自由を奪いさる。
「私は……私はただ」
「ただ……なんじゃ? どうせ人の寄り付かぬ魔の集まるこの森で見かけたこやつが珍しくて興味本位で接触しただけであろう。
精霊の癖に人間相手に親しみでも感じたか? 同類以外は劣化存在などと見下しておるくせに。貴様がこやつに感じる親しみも所詮はより上位の始原の精霊が与えた加護によるものであろう。
疾く、失せよ。既にこれ以上下がりようのないほど我の機嫌は悪い。まだ引き下がらぬというのであればいよいよ実力を持って排除してくれる。
貴様の言う劣化種族の持つ力がどの程度のものかその身をもって味あわせてやろう」
「私はッ!」
ドンッと空から巨大な空気の塊が落ちてきたような衝撃と共にパンドラの周囲に生えていた木々が一斉に轟音と共に押し潰れる。怒りと、悲しみと、絶望を混ぜ合わせた表情を浮かべ、縋るようにカイトを見つめるパンドラ。
そんな彼女を見ていられず、カイトはどうにか彼女に言葉を伝えようとするも、イヴからの命令が彼に言葉を発せさせない。
これ以上この場にいることができないと感じたのか、パンドラはカイトとイヴに背を向け飛び去った。
「……ごめんなさい」
耳を澄まさなければ聞こえないほど小さな謝罪と、頬を伝う一筋の涙を地に落として。




