一触即発
夜の森でパンドラとの出会ってからというもの、それまでの焦りが嘘のように落ち着いた心持ちでカイトはイヴの修行を受けていた。相変わらず魔術は行使できず、何度かその原因に心当たりのあるような素振りをイヴが見せていたが、やがて魔術行使のための修行を中断した。
カイト自身もそのことに関しては仕方がないと既に気持ちを切り替えている。そして、変わった心持ちと同様に日々のイヴとの修行以外でカイトの習慣に新たに加わったことが一つ。
それは、夜毎暮らしている小屋をイヴの目を盗んでこっそりと抜け出し、先日出会った精霊の少女であるパンドラの元へ向かい、話をするということだった。
生まれてからずっとこの森から出たことがないという彼女は毎日楽しそうな様子でカイトが語る人間の世界について耳を傾けていた。
二人の待ち合わせ場所は最初に出会った森の泉。そこで夜の僅かな時間だけ二人だけの時間を過ごすのだ。
イヴからの修行で身も心も毎日疲れ果てる今のカイトにとって彼女と過ごす時間は唯一といっていいほど心の平穏を保つことができる時間だった。
パンドラと名乗った精霊の少女についてまだ出会って日が浅いカイトが知ることは少ない。未だに彼女が何の精霊であるかもわからないし、彼女自身それを語ろうとしないため、気になりこそしたもののそれを聞いて彼女の機嫌を損ねてしまい、この穏やかな時間がなくなってしまうことを恐れているというのも理由の一つだった。
いつか彼女自身から自分がなんの精霊なのかを教えてもらいたいというのがカイトの密かな目標でもあった。
だが、それはあくまでおまけのようなもの。カイト自身の一番の目的はイヴの下で力をつける事なのだ。
そのため辛いと思う痛みを伴う修行にも耐えている。ここしばらくは魔術に関する知識を深める座学と基礎体力をつけるための訓練。そして、戦闘を行うための実技が修行のメインとなっている。
特に実技に関しては今この瞬間も行われていた。
つい先日、イヴから戦闘の修行のためとカイトは二つの短剣を手渡された。現在のカイトの体格でも振るうことができ、修練を重ねれば幅広い応用が利くとの名目で渡されたものだった。
だが、それはカイトが想像していた模造剣などではなくれっきとした殺傷能力を兼ね備えた短剣であった。
もしかしたらこの短剣が当たってしまえばイヴに怪我をさせてしまうかもなどといった甘い考えは当の昔に捨て去った。それもそのはず。最初こそ遠慮がちに慣れない短剣を振るっていたカイトであったが、振るう対象のイヴにその刃がかすることすらない。
それどころか、力の篭らない甘い振りを見せた途端、不機嫌さと落胆を隠そうともせずイヴは隙だらけのカイトの身体を掴み、短剣を振りぬいた勢いを利用して地面へと背負い投げる。
受身も取れず息が止まる衝撃を何度も何度も繰り返し味わううちに、遠慮するほどの力が自分にないのだと身をもって痛感させられる。
そんな修行を繰り返すうちに、いつしかカイトは両手にそれぞれ握り締めた短剣をイヴへと振るうことを躊躇うことがなくなった。
「どうした? もう息が上がっておるぞ」
イヴの隙を見つけようと何度も短剣を振るい、時には体術も織り交ぜてどうにか一撃をいれようとするカイト。だが、そんなカイトの動きをイヴは完全に見切っており振るわれる短剣や蹴りを避けながら、痛みを持った教訓として反撃の一打を遠慮なくカイトへと叩き込む。
まだまだ体力の限界値が低いカイトは何度かの手痛い反撃をくらうだけですぐに息が上がってしまっていた。
身体は先ほどから何度も悲鳴を上げている。だが、それでも今は少しでも強くなりたいと叫ぶ心がひざをつきそうになるカイトの身体を必死に支える。
「まだ、まだぁっ!」
挑発とも余裕とも言える構えも取らず、弟子の攻撃を待ち構える姿を見せるイヴにカイトは突進する。持っていた短剣の一つを肉薄する直前イヴへと投げつけ、焦りもせず投げつけられた短剣を避けるイヴにもう片方の短剣で切り込む。
「馬鹿者が。手にした武器をむざむざ捨ててどうする。ただでさえ力がないお主がかろうじて戦うための道具がそれであろうに」
ため息と共にイヴはカイトのとった行動に駄目だしを行う。振るわれた一撃は前もってカイトの行動を予測していたイヴにより受け流される。全力で振るった腕を掴まれ攻撃を受け流されると同時に、その勢いを利用され体勢を崩されるカイト。
すぐさま次の行動へと移ろうとするが、その前にイヴによって頭を鷲づかみにされて顔面から地面へと突き落とされる。
「ぐっ……」
地べたに無理やり這いつくばされたカイトの背中にやれやれといった表情でイヴは腰掛ける。
「まったく、修行を始めてからというもののまるで成長の気配を見せんなぁ。お主には失望ばかりさせられる」
「すみません」
イヴの言うようにカイトは自分が彼女が期待する成果をまるで挙げられていないことへの自覚があった。そのため、もう何度目かになるかわからない謝罪の言葉を口にしながら、心の中では悔しさを感じていた。
「やれやれ、謝罪の言葉はもう聞き飽きたぞ? まあ、仕方ない。そもそもお主の天職はこうした直接的な戦闘を主としたものではないと思われるしのう。
それに吞み込みが早く、教えずとも勝手に成長ばかりする弟子というのも詰まらぬ。駄目な弟子ほどかわいく見えると聞いたことがあるが、お主はまさにそれよ」
ここに来て今日ようやくの笑みを浮かべたイヴ。その笑みはどこまでも嗜虐的で、いつもカイトの心を揺さぶるためにわざと辛らつな言葉ばかりを彼女は投げかけるのだ。
「師匠。そろそろどいてもらえないか?」
いつまでも背中に座り込んだままどく気配を見せないイヴにようやく息が整い始めたカイトは問いかける。
「んんっ? なんじゃ、お主。こんな美少女に背中に乗られるという褒美を与えてもらっているというのに、不満があるのか?
まったく、贅沢なやつじゃ。世の中には金を積んででもこのようにしてもらいたいという物好きな男もおるというのに」
「そんなやつ見たことないよ」
「仕方がないのう……」
弟子の懇願に仕方がないといった様子でイヴはカイトの背中から起き上がる。そして無防備に背を向けたその瞬間、生まれた隙を狙ってすぐさまカイトは起き上がり、がら空きのイヴの背中目掛けて短剣を突き出した。
だが、突き出した短剣はイヴに突き刺さるどころか瞬きほど時間で目の前にいたはずのイヴの姿はいつの間にか掻き消えていた。
「なっ!?」
確実にもらったと思っていたカイトの口から驚愕の声が上がる。どこにいったと確認しようと視線を左右に向ける。
「ふむ、今のは悪くなかったぞ。だが、まだまだ甘いのう。それに、ついさっき忠告したであろう。むざむざ手にした力である武器を捨てるなと。
考えもなしに武器を捨てるとこんな目にあうことになるぞ?」
背後から消えたはずのイヴの声が聞こえたと思った時にはもう遅く、カイトの首筋にひんやりとした何かが触れる。恐る恐る視線を首筋に向けると、そこには先ほどイヴに向かって投擲したはずの短剣が当てられていた。
「相手の意表をつくために武器を投擲するのは悪くはない。じゃが、それはあくまで奇襲を成功させるためのもので、その一手を持って敵を仕留められなければ意味がない。
己の手を離れた武器は時として対峙する敵の手に渡り、逆に自分の命を脅かすことにもなる。よく覚えておくがよい」
首筋に触れた短剣を僅かに押し当て、忠告するイヴ。一筋の赤い線を描き、カイトの首筋から血が流れる。
イヴはカイトの首筋に当てていた短剣を近くの木に投げつけ突き刺す。そして、カイトを抱きしめるような形で背中から両手を回して密着すると、教義の対価とでも言うようにカイトの首筋を流れる血に舌を這わせる。
もう何度目かになるかわからないイヴからの接吻。これがいけないことだと幼いカイトでも理解できるが、抵抗することなど無意味とこれまでの経験から悟っているため、黙ってイヴの気が済むのを待つことにした。
「ふむっ、はむっ。っちゅ」
初めはカイトの血を舐めていただけのイヴであったが、気持ちが高まり始めたのか次第に行為が加速する。自分は彼女のものだと教え込むように何度も何度も首筋にキスを繰り返してマーキングをするイヴ。
ぞわりと背筋に快楽が走る。脳髄にしびれるような感覚を感じ、頬は赤く染まる。定期的に与えられるこの感覚に最初は戸惑っていたカイトも今ではある意味の自分自身でもこの感覚がほしいと感じてしまうときがあるのを自覚していた。
それがいけないことであると感じながらも、身体は今よりも更に快楽を求めようと熱いといきと共に声を漏らす。
「あっ……くぅっ……」
「くくっ。なんじゃ、お主には修行よりもこちらのほうがよっぽどよいようじゃのう」
ツウと鋭敏になっているカイトの身体をイヴは撫でる。弟子の反応に機嫌をよくしたイヴはそのまま、普段よりも更に進んだ行為に及ぼうとしたところでハッとする。
「ふむ。どうやら、我が可愛い弟子と蜜月の時を過ごすのが気に入らん輩がいるらしい」
「えっ?」
「くくく。ここ最近夜な夜な小屋を出て何をしていたかと思えば、どうやらお主いたくこの精霊に気に入られたらしいな。しかも、これだけ濃密な殺気。ただの精霊ではあるまい」
「あら? よくわかっているじゃない。私、自分が目にかけたものにちょっかいを出されるのが一番気にいらないのよ」
怒りを滲ませた言葉と共にイヴが短剣を突き刺した木の後ろから一人の少女が現れた。黒の衣装を全身に身に纏い、ここしばらく夜毎カイトが小屋を抜け出して会いに行っていた一人の精霊。
「さっさと私たちの〝愛し子〟から離れなさい。さもないと殺すわよ?」
周囲の空間を歪ませながら魔女であるイヴに臆することなく宣戦布告をするパンドラであった。




