眠れぬ夜の二人語り
カイトが少女から顔を背けると、それまで水中に身体を沈めて姿を隠していた少女はカイトを警戒するそぶりを見せていたが、やがてどこか諦めたような表情を見せ、ザバッと水中から飛び出した。
水中から宙へ。突如といて飛び出した少女はそれまでの一糸纏わぬ姿からいつの間にか全身を覆う黒の衣装を身に着けていた。
少女の姿はまだ幼いカイトの倍近くの年齢の少女のような体格であり、闇に浮かびあがる紫の瞳がやけに印象的であった。
「まったくもう。こんな展開予想外だわ」
心の底からそう思っているのか、ため息混じりに言葉を吐き出し眼下のカイトを少女は静かに見つめる。カイトもまた、少女が服をどのようにして身に着けたのか不思議に思いながらも、相手は精霊なのだから自分の理解の及ばぬ何かを持ってそうなっているのだろうと無理やり納得して上空に浮かぶ少女へ視線を移した。
「すみません。まさか、ここにあなたのような精霊様がいるとは思いもしなくて」
「でしょうね。私もまさかこの森にあの魔女以外の人間がいるなんて思いもしなかったわ。
しかも〝愛し子〟の加護持ちのね。どうりでここしばらく森の精霊が落ち着かない様子だったのね」
上空からゆっくりと下降し、精霊の少女はカイトの眼前に降り立つ。初めて見る肉体を持った精霊。先ほどチラリと見たときにも神秘的な雰囲気をカイトは感じていたが手の届く距離にまで少女が近づいたことにより、更に超俗的なものを目の前の少女からヒシヒシと感じる。
だが、それも〝圧〟のようなものではなく自然と全身に染み渡るような雰囲気だった。
「そう。あなたが……私たちが待ち望んでいた存在なの。
それにしても不思議なものね。精霊たる私がまさかこんな風に人間と自然に言葉を交わすことができるなんて。これじゃ自分が人間みたいに思えてしまうわ」
カイトの目の前に立つ少女はそういいながら何かを確かめるようにペタペタとカイトの身体に触り始める。それはまるで誰かと触れ合うことが初めてとでもいうような様子であった。
許可も遠慮もなく自身の身体を触られているというのにカイトは何故か不快感を感じることはなかった。同じような行為を師であるイヴからされているというのに。
「あの、精霊様……」
不快さを感じることはないとはいっても、遠慮なく身体を触られることはどうにも気恥ずかしい。そんな思いがつい、カイトの口から漏れ出る。
「あら? ごめんなさい。私ったら。そういえば挨拶もまだだったわね」
カイトが当然のように少女を精霊と認識して意思疎通を交わすものだから少女もまたついうっかりしていたとでもいうように今更ながら自分の存在を改めて紹介する。
「それでは私たちの〝愛し子〟に改めて。私はパンドラ。この〝迷いの森〟に住まう精霊よ
ああ、そうそう。堅苦しいのは嫌いだから様はいらないわ。特に精霊士であるあなたならなおさらね」
全身を覆う黒の衣装。その裾を両手で摘み、思わず目を奪われる華麗な一礼とともに少女は名乗りを上げる。
パンドラと名乗った精霊の少女に対し、カイトもまた己の名を告げる。
「俺はカイト。今はこの〝迷いの森〟に住むイヴの元で身を寄せている」
「カイト……。そう、あなたはカイトって言う名前なのね。ふうん、いいじゃない。気に入ったわ」
カイトの名を噛み締めるようにパンドラは口にしながらニコリと笑みを浮かべた。
「それで、カイト。あなたはこんな夜遅くに何でこんな場所にいたのかしら? よくは知らないけれど、普通はあなたくらいの年の子がこんな夜更けに起きているのは珍しいんじゃないの?」
「えっと、それは……」
どう説明したものかとカイトは僅かに迷った。この〝迷いの森〟を訪れることになった切っ掛けから話すべきだろうかと考えたが、逡巡の末結局眠れなくて夜の森を散策していたことだけを伝えることにした。
「ふうん、眠れなくて。ま、それもいいわ。つまり今あなたは時間を持て余しているのね」
「まあ、そうなるのかな?」
「そう。それじゃあ、せっかくこうして出会えたのだから私に今の人間の世界について教えてくれない?
私、この森から出たことがないから、たまにここを訪れる他の精霊たちから聞いた話しでしか人間について知らないのよ」
何気なく呟いたパンドラの言葉にカイトは驚くも、まさか精霊自身から人の世の世情を聞きたいと尋ねられるとは思わず、自分が知っていることであればと思い彼女の要望に応えることにした。
二人はどちらともなく自然に地面に座り込み、カイトはパンドラに向かって今の世界について語り始めた。
徐々に更けていく夜。パンドラと話すカイトの胸の内には小屋を出る前に感じていた魔術を行使できなかったことの焦りやこの先の不安はいつの間にか消えていた。




