恩返しのフレンチ
スーツを着込み身だしなみを整えて、再度外に出る。
待ち合わせの時間まで、まだ三十分程あるが駅に着いて忘れ物が無いか確認していれば声が掛かった。
「桐生さん」
顔を上げると月島さんが目の前に居た。
まだ時間には随分余裕があるはずだが……
「あれ?月島さんこんな早くに?」
「桐生さんもですよ!お互い早く来ちゃいましたね」
二人で笑いだしてしまう、折角だし移動することにした。
「父もソワソワしてますので丁度良かったですね」
上品に、でも可愛らしく笑う月島さん。
宗馬は少し肩の力が抜ける。
「なんだか少し緊張してましたね?リラックスしてください」
どうやら緊張感も見透かされていたようで恥ずかしい。
たわいない話をしながら電車で二駅、お店は地域では大きな部類に入る駅前のビルテナントに入っているらしい。
「あちらに見えるビルの中です」
指されたビルは新しめに見えるビルであった。
最近まで全体改装してたらしく、綺麗に見えるが実際は歴史あるビルだとか。
宗馬は中に入ってから、また緊張が高まりだす。
様々な店が入るビルの中だが、どこも大人向けな雰囲気を醸し出している。
「こちらです」
そして緊張はピークに達した。
辿り着いた店の雰囲気はなかなかの名店のオーラを放つ、重厚感ある木で出来ている扉が趣と高級感を醸している。
間違いなく、一人でふらっと寄れる飲み場所じゃないなと笑ってしまう。
「さあどうぞリラックスして、貸切ですので」
「えぇ!?」
まさかの貸切にしてくれてるとは思わず、変な声が出る。
そんな宗馬に月島さんは笑顔のまま、扉を開けて中に声を掛ける。
「お父さん、お連れしたよ」
奥からコックコートを着た年配の男性が現れ、開幕早々深々とお辞儀された。
「桐生さん、お越し頂き誠に有難うございます、そして私を救って頂き本当に感謝しております!」
「私からも改めて、ありがとうございます」
親子二人に感謝を述べられ宗馬はアワアワとしてしまう。
だがあの日、宗馬の目の前で顔面蒼白のまま崩れ落ちた男性が無事に復帰して動けてる。
その事実が宗馬には胸に込み上げる物があった。
「ご退院おめでとうございます、そしてお招き頂きありがとうございます」
宗馬の人生で一番丁寧にお辞儀をした時だった。
ひとしきりのお辞儀の応酬?が終わり中へ通された。
入り口からは見えなかった部分を見ると、想像以上に広く感じる。
一つ一つの席がゆったりできるようスペースが広い。
落ち着いた風合いの照明が時間を忘れそうな空気感を作っているし、椅子やテーブルの細部に至るまで彫刻のような模様彫りがなされている。
(フォーマルスーツで良かった…)
ビビりすぎて情けないとは思いつつ、こんなに落ち着いた大人達のお店だとは思ってなかった。
「いかがでしょう?狭い店ですが三十年近くやらせて頂いてます」
にこやかに月島さんのお父さんは、宗馬の緊張を見たか柔らかな声で語った。
「これから全身全霊で腕を振いますので、桐生さん是非ご堪能下さい」
そう言って頭を下げて厨房に入っていった、どうやらもう一人サポートのシェフまで居るようだ。
「父張り切っちゃってますね、大丈夫ですよ桐生さん私がお相手しますので」
「あはは、いやお恥ずかしい、こんな良いお店は初めてでして…月島さんも普段はこちらで?」
「ハイ、私は調理専門学校出たのが二十過ぎの頃でしたので約十年となりますが、まだまだ父から厳しい評価されてます」
「ほう、専門ってフレンチの?」
「ええ、幼い頃から父と母を見てましたので自然と意識が向いていたのでしょうね」
(確かお母さんは早くに亡くされたと言ってたな…)
「三十年もやれてるのは、やはりお店も月島さん達も愛されているんですね」
「うふふ、だと良いのですが自分じゃ目の前に精一杯でまだまだ余裕は無いですよ」
そんな話をしていたら一品目が運ばれてきた。
「こちら食前酒でございます」
ああそうだ、こういう凄いとこって食前酒が出るんだ。
宗馬は未体験の世界に変な感動をしていた。
「桐生さんはお酒飲まれますか?」
「嗜む程度ですがあまり強くは無いんですよ」
「うちはワインの取り扱いもありますので遠慮なく申しつけて下さいね、とりあえずこれで乾杯」
「ありがとうございます、乾杯」
スッキリ飲みやすい食前酒、少しフルーティーさが香る。
そのまま前菜が運ばれた。
お皿にちょこんと可愛らしいサイズ、フレンチフルコースらしい。
野菜が綺麗に敷かれた上にかかるのはソース?ムース?スプーン?フォーク?と、悩みながらもとにかく一口食べてみる。
「…え?」
声が漏れた。
なんだこの味の波は、複雑なのに只々美味としか言えないバランスのもはや芸術作品である。
「いかがですか桐生さん」
「…いや本当言葉が…凄い美味しい……まだ前菜ですよね?」
月島さんは笑みを浮かべながら、同じように食べ進める。
食べていく姿が美しいと宗馬は見惚れた。
前菜を食べ終えた時、ウェイターがこれまた綺麗な動作で下げてくれる。
音も鳴らさず人の存在感すら消してるような、忍者のような気がした。
その後はスープが運ばれてきた。
湯気と共に間違いなく美味いだろうふんわり柔らかな香りが漂う。
透き通るスープは見た目でなんなのかは分からない、だが宗馬はスープを美しいと感じたのは初めてだった。
一口目で舌に旨みの電撃が走る。
肉や魚と言った主菜を口にしたかのような存在感。
宗馬が飲んできたスープと種類が違う、と言うよりスープなのかこれはと混乱までしていた。
あまりの驚きに表情が変わるので月島さんはクスクスと笑っている。
(こんな世界があるのか…まだメインも来てないんだぞ?)
「凄いです…いや、凄いです」
「桐生さん、語彙力が」
笑われながら「貸切ですしリラックスしてください」
ヨシヨシと宥められるとは情けない。
そうこうしている内にメインの一つと言われた魚料理がきた、メインの一つと言う意味がもう分からない。
芸術品のようにバランスよく仕立てられた白身魚とカラフルな焼き野菜、上に掛かる白っぽいソースはなんなんだろう?と頭をフル回転させる。
「こちらは今店で期間限定の扱いである金目鯛になります。お野菜も契約農家さんから直送されてる鮮度良い品になります、ソースは白いですがしっかり梅の香りがしますよ」
説明だけで潰されそうだなと思いながら一口。
「柔らか…!ソースとのバランスが絶妙で互いが主役になってる…!」
なぜか料理評論家になる人の気持ちがわかった瞬間であった。
魚は焼く、煮るぐらいしか知識無い独身男性が技術で高められた物を食すと驚くしか出来ない。
それが今夜知ったのである。
あまりの驚きように月島さんも「楽しんで頂けてるようで何よりです」と言う。
ゆっくり味わい無くなる事が名残惜しい。
月島さん曰く「一旦ブレイクタイムです」
どういう事だ?と首を傾げてると。
「グラニテでございます」
(ん?デザート?シャーベットみたいなのが)
「こちらはグラニテ、氷粒が少し大きいお口直しになります、この後にメインがもう一つ出ますので」
「へぇ〜食間に口直しの冷たい物が出るんですか」
サクサクとしたスプーンの当たる触感、さっぱり冷たい氷がリセットしていく。
「不思議な感覚です」
「フレンチコースならではですね、品数が多いのもありますが一品一品の味付け幅が広いのも特徴なんです」
説明を受けながら凄い勉強になると感心していた。
「こちらアントレ、お肉料理でございます桐生様」
メインのお肉を運んできたのは、月島さんのお父さんだった。
「あれ?お父さんどうしたの?」
「どうしたのじゃないよ、私も桐生さんとお話したくてね、後はサラダとチーズとデザートだからチーフに任せてきたのだよ、着替えたらまた来るよ」
自分と話をする為に来てくれたのか、とんでもなくご馳走になってて恐縮してるのだが……
「本日のお肉は鴨のコンフィオレンジピールのジュレ添えでございます、是非ご堪能下さい」
一礼をして月島さんのお父さんは一度去って行った。
とりあえず目の前の逸品を頂こう。
確か鴨のコンフィ?と言っていたが……
ナイフを入れた瞬間に理解した、柔らかすぎる。
液体にナイフを入れたような感覚、だが切り口から肉汁が流れ出ている。
これにオレンジピールジュレ?を付けて一口。
「うま…」
今日は語彙力が消滅しているのは仕方ないとしか言えない。
これまでの人生で経験のなかったレベルのお店を初体験しているのだ、感情は爆発しているのに言い表せれないもどかしさがある。
「うちのお店お気に召して頂けましたか?」
月島さんの言葉に返す言葉なんて一つしかない。
「人生最高の経験させて頂いてます」
「あぁ、良かった…」
メインも頂きサラダやチーズと続いてデザート、コーヒーまで用意された時に月島さんのお父さんが席に着いた。
「いかがでしたかな?まだリハビリ明けで本調子で無かったのが悔しいのですが心込めさせて頂きました」
「いや、本当に至高の経験させて頂きお礼を頂きすぎですよ!」
ハハハと三人で笑い合う。
本当にここまでのもてなしを受けて良いのか、今更になって宗馬は考え込むのであった。




