視えるモヤ
二回目の黒一訪問から、一ヶ月近くが経った頃だった。
最近部署がスムーズに回り出しているからか、ご機嫌の上司が声を掛けてきた。
「桐生君はお盆休み帰省するのかね?」
ふと宗馬は、もうそんな時期かとカレンダーを見る。
夏の暑さは感じているが、そこまで進んでいたとは歳を取ると時間が早い。
宗馬は両親の顔が思い浮かび、何年も帰ってない事を思い出す。
今のままなら、今年は心身共に余力がありそうだ。
毎年仕事の疲れで何も出来なかった、したく無かった。
だから、盆の貴重な連休を家に篭り過ごすだけだった。
「そうですね、今年は……帰ろうかと思ってます」
「そうか地元は近いの?」
「僕、徳島出身なんですよ。何も無いすだち畑や農作物しか無いような田舎ですが。」
「へぇ〜徳島か、気を付けて帰りなよ。お土産待ってるよ〜」
上司からの当たり障り無い雑談を済ませ、宗馬は子供の頃を思い出す。
観光地と呼ぶには目ぼしい施設は無く、自然が多い地域の生まれである。
遊ぶ事と言えば……山で虫を取ったり、川で魚釣りしたり、野良猫が多いので愛でたり、近所の年寄りの家で将棋したり、テレビゲームを持つ友達の家は王様の城みたいな扱いをしたり。
今なら遊びを選び放題なはずの、東京都心に住んでる。
だが、仕事仕事で結局何も知らない大人になっている事に笑ってしまう。
(両親に連絡入れとくか)
宗馬はスマホを操作し、両親へ今年は帰る事をメッセージした。
その日の夜、時間は二十二時を過ぎようとする頃。
ピンポン
先月、先々月のように遅くになるインターホン。
三度目となると誰が来たか予想がつく。
モニターを覗き予想通りの人が見え玄関に向かう。
「黒一」
「恩返しに参りました」
この女性はどこから来ているのだろうか、繁華街では無いにせよ女性の夜道の独り歩きは心配になる。
三度目となる黒一をソファに招き、その横姿に魅入る。
綺麗な黒髪に吸い込まれる瞳、文句の付けようがない整った顔にふわり甘い香りと和装。
あまりにもマッチしてて日本絵画から抜け出したような印象すら覚える。
宗馬は今回落ち着いている。
慣れもあるだろうが黒一にどうしても聞く事を用意していた?
「黒一、君はどうして俺の所に来るんだ?」
恩返しに癒しをと言うのは体験した事だが、何故それを宗馬にする為来ているのかがわからない。
「覚えてなくとも良いのですよ」
微笑みの表情から優しげな顔で黒一は答える。
「宗馬様には恩があり。私はその恩を返しに来ているだけなのです」
「しかし……身に覚えないままで恩返しをされても困ると言うか……」
黒一は目を少しだけ見開き、微笑みながら返してくる。
「あら?お困りになられてるのですか?」
ふふふ、と美しく笑い言うものだから宗馬はテンポをずらされ反論のタイミングを失った。
これまで自分や家に害は無い、結果としてあるのが癒されている事。
身体的にも精神的にも確かに安らぎが与えられている。
「でも何されてるかわからないのは恐怖心が無い訳じゃ無い」
「それは配慮が足りませんでしたね、ただ癒しとは意識を手放し身を委ねてしまう事ですので申し訳ありません」
黒一は深々と頭を下げて、まっすぐに吸い込まれる瞳で見つめてくる
そして立ち上がり宗馬の前に立った。
「何も気にせず私を信じて下さいませ、癒しを差し上げます…」
黒一の少しひんやりした両の手で頬を覆われる。
甘い甘い香りが強くなり、柔らかで小さな手のひらが安心感を作りだし包み込まれる。
宗馬は抗う事も出来ず目を閉じていった。
三度目の黒一からの癒しを受け、二週間程経っていた。
宗馬の身体は癒しを受ける度に軽くなり、四十代に入ってから衰えを感じていたのが嘘のように好調をキープ。
同僚からも最近何か始めたのか?と聞かれるぐらい自他共に変化を感じている。
(あら?お困りになられてるのですか?)
あの夜見せた黒一の顔が離れない。
戸惑いはあるが、もたらされる癒しの結果が心身を好調にしてくれている。
そのおかげで仕事を持ち帰る事も少なくなり残業も減った。
「…そりゃ困ってはないが」
誰に言うでもなく只々言葉を漏らした。
社内では盆休みに向けた追い込みが始まり、宗馬の部署も忙しさのピークを迎えていた。
皆これを乗り切れば長期の休みとなるので、必死にもがく。
そういう時程、確認漏れから流れが止まるミスもある。
例年何かしら一つ二つ出てしまうものだが、今年は違った。
「ん?書類に汚れが……違う?なんだ今の?」
宗馬の眼に不思議な感覚があったのだ?
見る物にモヤがかかるような、本能的に忌避感を感じてしまう煙のようなモノが視えるのである。
初めは眼精疲労かと疑ったが、モヤのかかる書類や機械が気になる
書類を開けば印刷ミスや時系が合わないデータの記載、オフィス機器を見ればプリンターのインク切れかけやパソコンの線が抜けかけていたり。
二度三度と問題になる前に先回りで解決が出来た。
そして視えるモヤと連動して続けば理解もしてくる。
(視えるのか…?)
宗馬の頭には黒一が微笑んだ。
(黒一が……何かした?)
非現実的な事だが、宗馬は否定しきれない気持ちにしかならなかった。
会社の盆休み前の業務ピークもヤマを抜け、目前に迫る休みを思い帰宅する道中だった。
異常な勢いで黒いモヤが吹き出る、そんな視え方をする人が前に居た。
(あの人…なんだあのモヤ!?)
足を引きずるようにフラフラ歩いていた六十代くらいの年配の男性。
宗馬から視える明らかな異常を感じるレベルのモヤが男性の頭を中心に掛かる。
この数日に視えたモヤとは全く種類が違う。
宗馬は少し歩みを早め、男性の横に並ぶよう付き顔を見た。
そしてその瞬間、表情を見て宗馬は声を上げる。
「大丈夫ですか!」
「うぅ……あ」
男性の顔が強張っていて、明らかに喋れていない。
男性は宗馬を見て、そのまま膝から崩れ落ちた。
周りには人が居ない。
(マズイ!救急車……!)
宗馬は出来る限りの対応を行った。
数分で救急車が到着し、宗馬も同乗して病院へと到着した。
処置室に運ばれた男性を見届けて、待合室で待った。
途中警察も来て当時の状況説明と宗馬自身の氏名等を記録されていった。
モヤのことは信じようが無いので隠したまま。
しばらくすると医師が説明に現れる。
「あ、救急車に同乗してくれた方ですね?あの方は脳梗塞を患われていました、早期に見つけて頂いたおかげで大事には至らないでしょう、ありがとうございます」
「そうですか、良かった……」
宗馬は緊張が解け息を吐く。
ご家族とも警察から連絡は取れて、こちらに向かっているとの事。
念の為に入れ替わりで帰宅して欲しい、と説明を受け病院の椅子に腰掛けた。
(あんな物まで視えるのか…)
トラブルを察知できるだけじゃなく、人の不調を可視化した。
ぼんやりと暗い病院のロビーで自分の身に起きてる事を考えている時だった。
「宗馬様」
「黒一…?」
聞き覚えある声に顔を上げ、居るはずの無い女性に目を見開く。
何故この場所に黒一が居るのか。
驚きを隠せない宗馬に構わず、黒一は隣に座り一言言った。
「その眼役立ちましたか?」
可能性としては感じていた。
しかし本人からの言葉で確信となる。
「黒一がくれたのか…?」
黒一はいつも通りの微笑みのまま、首を横に振った。
発された言葉は想像外であった。
「私はきっかけのみ、元々宗馬様のモノでございます」
元々自分のモノ?目そのものを言っているのか?視える事を言っているのか?
思考が目まぐるしく頭を飛び交う。
「また恩返しに参ります、ご帰宅の道中お気をつけ下さいませ」
頭の中の整理ができないまま告げられ、気付けば黒一は夜の闇に溶け込んでいった。
黒一と入れ替わるように前から女性が走ってくる。
急いで来たのだろう、息を切らしながら宗馬に向かってきた。
「あの!お父さんを助けて下さった方ですよね!?本当に!本当にありがとうございます!!」
肩を上下させながらも深いお辞儀をされる。
黒一の言葉は一旦置いておき、ご家族の方を病室へと促した。
今は人を助けられた事を良しとする事にした。




