恩返しに参りました
ピンポン
二十二時を過ぎてしばらく、不意の電子音。
この家の主は先程仕事から帰ったばかりで疲れていた。
男の名は桐生 宗馬
明日も仕事なのに残業帰りで遅かったのに、一体誰が来たのか若干苛立ちながらインターホンディスプレイを見る。
「っ!?」
宗馬は言葉に詰まった。
モニターに映るのは黒髪の女性しかも和装姿のようだ。
近所の住民では無さそうだが、何故こんな時間こんな独り暮らしの男の部屋に来る用があるというのだ。
混乱が増すばかりだが、インターホンに出てしまってるのでとりあえず声を絞り出す。
「あのどちら様でしょうか?」
モニター越しに女性は声を聞き、カメラに笑みを浮かべた。
あどけなさを感じる笑顔、モニター越しに見惚れてしまった。
だが返答は無い。
「……あの?何か御用ですか?」
声を掛けてみるも、笑みを崩さないままモニターカメラを見るだけで返答はしてくれない。
(これはどうしたものか..……)
あんな和装少女が玄関前で立ち尽くしている。
ご近所に変な噂となっても困る。
仕方なく宗馬は玄関に向かい、ドアを開け対面することにした。
カチャリと静かに開錠しそっと少し扉を開ける。
「あの...なんですか?」
いざ目の前にすると幼みを強く感じる。
女性は自分の顔を見てより笑みを増し、何も返事をせず横をすり抜けた。
そして流れるように家へと入ってしまった。
あまりにも流れるように、僅かに甘い香水のような香りを感じさせて。
あまりの綺麗な身の流し方もだったが、幼い顔ながら綺麗すぎる顔立ちに見惚れ反応が遅れたのもある。
「ちょっ!勝手に入らないで下さいよ!」
さすがに恐怖心も湧く、少し声を荒くしたが女性は美しく静かに振り返り初めて言葉を話した。
「貴方様に恩を返しに来ました」
妖艶に微笑む女性の口から、昔話みたいな言葉が出て目を見開く。
(貴方様に恩を返しに来ました)
突拍子の無い言葉に、突拍子の無い行動。
「いやいや人間違えてるんじゃないですか!?」
「いいえ、貴方様に間違いございません」
声色もトーンも変わらずはっきりと否定してくる。
宗馬はもう訳がわからない、こんな夜遅くに来る和装の美人なんか知り合いには居ない。
最近忙し過ぎて疲れ過ぎて、おかしくなったのだろうか?
夢を見てるのか?
様々な戸惑いに頭がパンクしていた。
ふと女性は近づいてきていて、そっと小さな手を宗馬の頬に添えた。
その手が頬に触れ少しひんやりした温度に身体が止まる。
目の前にいる女性は確かに存在している。
実際に触れられてる頬が現実であると訴えている。
女性は真剣な眼差しを宗馬に向けて言う。
「惑いは理解しております、どうか私を信じてくださいませ」
そう告げる女性の瞳は吸い込まれそうな程、綺麗で身体から香る甘い香りが考える事を諦めさせた。
とりあえず話を聞く為、宗馬はリビングに促す。
宗馬と女性はソファに横並びで座る。
四十代の独り身、人を招く事も無いので座る場所がソファしか無かった。
宗馬は一度振り返ってみた。
仕事から帰ったら遅くに女性が来た、それも珍しい和装の幼いながら美麗な女性(少女?)だ。
目的は「恩返しに来ました」と言い、今は横に居る。
(わからない)
明らかな初対面であり、恩返しされるような事など記憶にこれっぽっちも無い。
何度も反復して考えたがそこに行き着くのである。
とにかく情報を得ようと質問をする。
「あのどこかでお会いしましたか?」
「はい」
「失礼ですが貴女にお会いした事は……名前も知らないですし……」
「黒一」
「え?」
「私は黒一と申します」
黒一…やはり覚えが無い。
「やっぱりその黒一さん?は記憶に無いんですが」
「良いのです私が覚えている、今はそれだけで……」
黒一と名乗る女性は微笑みを見せる、それがどうにも体の強張りを弱めていく。
特に目が特徴的だった、まるで猫のような眼でみつめられる。
なんて目をしてるんだろう、本当に吸い込まれそうなのに強くこちらを見据えてくる。
「警戒は重々承知しております、それでも私は恩返しをしに来たのです」
甘い香りが強まったような気がして思考が途切れる。
彼女、黒一と名乗る女性は笑みを一層深くしていた。
「あの、恩返しって具体的に?」
「癒して差し上げます」
「……癒す?」
言い終わらない内に黒一はソファの距離を詰め、細く小さな人差し指を宗馬の唇に当ててきた。
「命削り日々を忙しく過ごし過ぎ去っていく、そんな宗馬様を癒して差し上げます」
(ち、、近い、香る、、指柔らかい、、、あれ?名前……教えたっけ……)
確かに宗馬様と呼んだ事にハッとするが、それ以上の甘い香りに多幸感が押し寄せ意識が遠のいていく。
(また来月に訪れます)
堕ちていく意識の中でそう聞こえてきた。
意識が覚醒した時には朝だった。
心地よい眠りに頭がスッキリしている、ソファで眠ったにも関わらず。
昨夜の出来事が夢の中の事だったのか、見回してもいつもの部屋と変わりない。
「俺、疲れ過ぎてたのかな……」
疲れから不思議な夢を見たのだと、一人で納得させて朝の身支度を始めた。
とても軽くなった身体と、スッキリしてる頭の中にもう違和感も無かった。
あれから一ヶ月、いつもよりこの数日身体が軽く若返った気分だ。
宗馬は仕事をしても以前程の疲労感を覚えずにいた。
あの日の夜、黒一と名乗った女と会って以来だが本当になんだったんだろう
宗馬は不思議な夢だとも思っていた。
「ふープロジェクト制作も抜けて少し楽になるか」
宗馬は長らく関わった仕事に区切りが見え、自宅に帰るやベッドに寝そべり密かに達成感で上機嫌だった。
(しかし、終盤の追い込みは堪えたな)
以前までなら身体が悲鳴を上げ、気絶するように眠る毎日を過ごしていた。
今日は穏やかにウトウトと睡魔に襲われ、このまま眠ってしまいそうになっている
幸い翌日は久しぶりにオフの日だ、今日ぐらい良いだろう。
目を閉じて力を抜き睡魔に身を任せた。
ピンポン
不意のインターホンの音に覚醒する。
時間を見れば二十三時、こんな時間に誰だと思うと同時に声が漏れ出る。
「まさか...」
モニターを付けると先月の再現のように黒一が居た。
あの日のままの姿、幼げな顔で怪しい笑みを浮かべドア前に立っている。
「黒一さん...?」
確認するようにモニター越しで呟く。
「恩返しに参りました」
黒一は口元をさらに微笑ませそう告げた。
初めて見たあの時のまま。
あの日、「また来る」と告げられたのは夢ではなかった。
宗馬は考えながらも黒一を家に招き入れた。
以前と同じようにソファに座り隣り合っている。
あの時と違うのは、宗馬に僅かながら余裕があったことだろう。
改めてよく観察すると肩まではいかない後ろ髪に揃えられた前髪、絹のような滑らかであろう綺麗な白い肌
宗馬から見る横顔は全てが端正に整い、間違いない美人であることを再認識した。
そして一番眼が気になる。
前は吸い込まれそうな瞳の引力に負けたが、何かが頭に引っ掛かる
(どこかで……?)
何故か昔に見た気がする眼と眼の形、雰囲気。
宗馬は疑問を投げかける。
「……黒一さんは」
「黒一で結構でございます」
「あーその黒一は恩があると……いつの話かな?」
「もう数十年の事でございます」
数十年…?言い方がアバウトすぎて絞れない。
宗馬の歳は四十代に入ったばかりなので言い方を考えると二、三十年前かもしれない。
記憶を辿っていると黒一は立ち上がり、宗馬の前に立った。
「ふふ、お気になさらず、今宵も癒して差し上げます」
甘い香りが強まった気がする。
前回と同じだ。
身体の力が抜けて思考が止まる。
不思議と恐怖は無い、むしろ安心感幸福感に満たされていく。
宗馬はまた深い眠りに落ちていくのを感じていた。
(宗馬様、僅かな時の癒しをお受け取り下さいませ)
沈む意識に聞こえる声が、今日最後に聞いた言葉となった。
朝、宗馬が起きた時には誰も居なかった。
しかし、夢と呼ぶにはあまりにリアルすぎる。
黒一の名も顔も声も香りも全てが確かなものだと確信に近かった。
身体が軽く、心が晴れている。
いつもなら休日は何も出来ずに惰眠を貪るだけだったが、今日は外に出てみるかと身支度を始める事にした。
昨夜の事が頭に浮かびながら、スーパーで日用品の調達に歩んでいく。
こうしてのんびりした気持ちで、近場をブラブラ歩くのはいつぶりだろうか。
天気も良く、晴れやかな気持ちでいる事が久しぶりだった。
(黒一…癒しを届けにくる存在か)
オカルトの類いはエンターテイメントの一つとして捉えてる宗馬でも、二度起こった謎めく夜の来訪者に思う事がある。
現実に起きた事と現実離れした出来事を、誰かに話せる気はしなかった。
身体は軽く気は晴れてるが、引っ掛かる事を感じながら目的も済み帰宅の途に着く。
自宅に戻り買い物した日用品をしまいながら呟く。
「また、来るんだろうか」
少しの寂しさを感じた自分に「何言ってんだ」と振り払い余暇を過ごす事にした。




