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玉蘭花伝  作者: いろは
7/17

君に捧ぐは花燈篭 ニ

「永忠どのにはああ言ったが」


 雑踏の中をのんびり歩きながら、伯英は文昌に話しかける。


「ただ待ってるだけってのも芸がないな」


 そうですね、と落ち着いた声が返ってきた。


 祭りの宵だ。路沿いにはぎっしりと屋台が並び、人ごみの中を子どもたちが歓声をあげて走り抜けていく。道ゆく人々が手に提げているのは、春の花が描かれた紙燈籠だ。


「おまえのことだ。もう手は考えてあるんだろう」

「考えて、なくはありませんが……」


 文昌がかるく首をかしげたところで、きゃあ、という嬌声に取り囲まれた。


「あらあ、王の旦那。徐の若様も」


 顔見知りの妓女たちだった。どこぞの屋敷に招かれて出向く途中なのだろう。きらびやかな衣装に身をつつみ、念入りに化粧をほどこした顔は興奮で輝いていた。


「おう、久しいな。元気にしてたか」

「あら憎らしい」


 姐さん格の妓女がわざとらしくまなじりを吊り上げる。


「元気にしてたか、じゃありませんわよ。最近はちっとも顔を見せてくださらないで」

「悪いな。忙しかったんだ」

「ええ、聞いておりますよ。またご活躍だったんですってねえ」


 妓女は伯英の腕にしなだれかかり、小声でささやいた。


「いろいろ面倒なことになっているとうかがいましたけど、あたくしたちは旦那のお味方ですからね」


 早口でそれだけ言うと、妓女は身体を離してにっこりと笑った。


「ねえ旦那、あたくしたち、李家にお呼ばれしているんです。よろしければ旦那もぜひ」

「おれは呼ばれてないぜ」

「何をおっしゃいますことやら。旦那でしたら、どこのお屋敷でも大歓迎ですわよ」

「せっかくだが、今夜はだめだ。連れがいる」

「あら、もちろん徐の若様もご一緒に」

「いや、あそこに」


 伯英があごをしゃくった先、花燈籠を並べた屋台の前で、中背の若者が子どもを相手に何やら講釈を垂れている。子どもの方は顔の上半分を屋台で買った面で覆っていた。


「ああ、迅風さん」


 浮きたっていた妓女の声がわずかに調子を落とした。伯英と文昌は歓待間違いなしでも、あの粗忽者はどうかしらと、その横顔が語っていた。


「と、あの子どももだ。さすがに子連れで邪魔するわけにもいかんだろう」

「あらまあ」


 妓女は頰に手をあててため息をもらした。


「ずいぶん綺麗な子ですわねえ」

「よくわかるな」

「この稼業を長くやっていれば、そのくらいは。どこの子です?」

「まあ、いろいろあってな」


 曖昧な返答に、妓女はかすかにうなずいた。


「仕方ありませんわね。そういうことでしたら、今夜は勘弁してさしあげますわ」


 ええー、と周囲の妹分たちが名残惜しそうな声をあげたが、姐さん格のひとにらみでぴたりと押し黙る。


「そのかわり、近いうちにみせに顔を出してくださいましね。徐の若様も、きっとですよ」

「ああ、約束する」


 手をあげて妓女を見送る伯英を、文昌は何ともいえない眼つきで眺めやった。


「……義兄上あにうえ

「なんだよ、あらたまって」


 文昌に呼びかけられて、伯英はやや身構えた。義弟がこういう呼び方をするときは、だいたい耳の痛い話になるのだ。


「遊ぶなとは言いませんが、そろそろ真剣にお考えになったらいかがです」

「何をだ」

「おわかりでしょう。姉が亡くなって八年です。喪も、とうに明けました。義兄上が後添えを迎えたところで、非難する者などおりませんよ」

「おまえ、おれが後ろ指をさされるのが嫌で独り身を通していたとでも?」

「まさか」


 文昌はため息をついた。


「わたしはただ、よい頃合ではないかと思っただけです」


 文昌はそれきり口をつぐんだが、伯英には義弟の言いたいことがよくわかっていた。


 仇はとった。八年もかけて、ようやく。だが、それで何かが変わったとは、伯英には思えなかった。


「ひとに勧めるなら、まず自分が範を示したらどうだ。おまえが身を固めたら、おれも真面目に考えることにしよう」

「それまでは妓楼遊びですか」


 微細な棘を含んだ声を聞き流し、伯英は視線を前に戻した。屋台の前で、迅風が子怜に紅色の花燈籠を押しつけている。


「……だから、絶対こっちがいいって。派手で目立つぞ」


 大きな房飾りのついた燈籠が、おそらく好みに合わないのだろう。子怜はどことなく気乗りがしない様子だ。


「伯英どの」


 そう呼びかける文昌の顔は、いつもの参謀役のそれだった。


「あの子も、どうするおつもりで。子どもをいつまでも軍に置いておくわけにはいきませんでしょう」

「あの年なら従卒くらい務まりそうだが」

「普通の子ならそうでしょうが、あの子はいけません」

「だめかな」

「だめですよ」


 文昌は再びため息をついた。


 伯英はときどき、この義弟が好んで心配事を抱えこんでいるのではと思うことがある。ひとつ片付けばまたひとつ、別の気鬱の種を見つけてくるのだ。もっと肩の力を抜けばいいのに。どうせ、なるようにしかならないのだから。


「あの顔は、無用のいさかいを招きます」


 文昌の声を背中で聞きながら屋台に歩み寄ると、子怜は顔を覆っていた面をずらして伯英を見あげた。露わになった美麗な顔に、道行く人がほうと目を見開いて足を止める。


「いいのが見つかったか」


 子怜の頭をなでながら、伯英は面を直してやった。もちろんでさあ、と胸をはる迅風の横で、子怜はすげなく首を横にふった。


「よくわかんない」

「おまえなあ! だからおれが選んでやったこれがだな……」


 やいやいと騒ぐ迅風と、相変わらず感情の乏しい、しかし若干迷惑そうな顔をした子怜を見比べて、伯英は笑った。


 変わったことが、ないわけではなかった。ささやかな変化が、これからどう転ぶのかはわからない。だが、さしあたって、この春の宵は心地よい。今の伯英にはそれで充分だった。




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