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玉蘭花伝  作者: いろは
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君に捧ぐは花燈篭 一

「派手にやらかしたものじゃのう」


 細い髭をひねりながら、その男はうなった。


 五十がらみの小男である。体だけでなく目も鼻も口も小さい。全体的にちまちまとしたつくりだが、両耳だけが小さな頭に不釣合いなほど大きく垂れ下がっている。飄々とした物腰とあいまって、どことなく仙人めいた印象を与える男だった。


「すまん」


 初老の男と同じ卓を囲んでいた伯英は短く詫びた。その隣で文昌も眼を伏せる。


「詫びは不要。じゃが、せめて事を起こす前に、わしに相談してくれてもよかったのではないかな」

「話せば、あんたを巻き込むことになるからな」

「どのみち巻き込まれるのは同じじゃわい」


 小男がため息をもらしたところで、控えめに扉がたたかれ、盆を持った少年があらわれた。少年は客人に一礼し、湯気の立つ茶碗を卓に並べる。その顔を見た小男は「ほう」と感嘆の声をあげた。


「たいした美童じゃの。王都衛(とえい)、おぬしいつから宗旨替えをした」

「馬鹿言いなさんな」


 伯英は笑って少年を手招いた。


「子怜、挨拶を。おれの古なじみの永忠えいちゅうどのだ。こう見えてなかなか偉いお方でな。ろう県丞けんじょうでいらっしゃる」

「こう見えて、は余計じゃ」


 県丞とは、県の長官である県令の補佐役である。つまりは瑯県で二番目に偉い官吏である永忠に、子怜は丁寧に礼をほどこした。


「うん、なかなか行儀がよろしい」


 永忠は可愛い孫でも前にしたように眼を細め、懐から銅銭を取りだして子怜の手に握らせた。


「今夜は祭りじゃからの。屋台がたんと出る。これで好きなものを買うといい」


 子怜はちらと伯英の顔をうかがう。伯英がうなずくと、子怜は礼を述べ、空になった盆を胸に抱いて退出した。


「美しいが、変わった子じゃの。駄賃をもらってもにこりともせん」


 永忠は茶碗をとりあげて首をひねった。責めているというより、気遣っている表情である。


「どこで見つけてきた」

「長徳で。辛の寝所でやつを斬ったとき、側にいたのがあいつだ」


 短い説明で大方の事情を察したように、永忠は白いものが混じる眉をひそめた。


「難儀な過去がありそうじゃの」


 伯英はわずかに目をすがめ、黙って茶をすすった。


「本題に入ろう。おれたちの処分はどうなった」


 伯英が問うと、永忠は茶椀を持ち上げながらゆるく首をふった。


「そう急くな。今のところ、おぬしらをどうこうするという話は出ておらん」

「では、罪には問わぬということですか」


 それまで黙って側にひかえていた文昌が尋ねた。めずらしく感情が昂ぶっているらしく、白皙の面にうっすらと血の気が透けている。


「じゃから急くなと申しておる」


 永忠は落ち着き払った様子で茶をすすった。


「今のところ、と言ったじゃろう。まだ処分が決まっておらんのよ。県令どのも悩んでおられる……いや、おぬしらの前で言葉を飾っても仕方ないか。県令どのはな、どうすればよいかわからず右往左往しておられる」


「相変わらず腰の据わらん御仁だな」


「同感じゃが、いささかお気の毒でもあるな。初の赴任先でおぬしらのような無頼者を押しつけられては、気の休まる暇もなかろうて」


 肩をすくめてみせた後で、永忠はふと真顔にもどった。


「長徳から書が届いておる。夜分に城門を破り、豪商の屋敷を襲ってその主人を害した賊を引き渡せと」

「賊とは誰のことです」


 激した声が文昌の唇からもれた。


「賊と呼ばれるべきはあの男でしょう。われらは天下の大罪人を討ったのです。非難される謂われはありません」

「その道理が通らぬと知っていればこそ、おぬしらはわしにも内密に事を起こしたのではないか」


 黙りこんだ文昌の横で、伯英は鷹揚に腕を組んだ。


「それで? おれたちを引き渡すか?」


「できるはずがなかろう。おぬしらを罪人扱いすれば、この瑯の民が黙っておらんよ。そこでじゃ、困り果てた県令どのは、こたびの件の調停を、幾南きなん郡のちょう都督ととくに願い出た」

「そりゃまた大物をひっぱりこんだものだな」


 伯英は平然と感想を述べたが、文昌はその顔をいちだんと険しくした。瑯や長徳ほか十県が属する幾南郡、その兵権を一手に握る趙都督は、伯英の上官にあたる。もちろん直属の、ではなく、あいだに幾人もはさんでのことであったが。


「趙都督は近々瑯に使者を派遣して王都衛、おぬしを審問するおつもりらしい」


「そんな面倒なことをする必要はないさ。要はおれが兵権を返上すればいいんだろ。もともとこんな稼業を始めたのも、あいつの首をとるためだ。目的も果たしたことだし、おれはいつ辞めたっていい」


「王都衛」


 永忠は居住まいを正し、伯英に向かって深く頭をさげた。


「それは、それだけは、やめてくだされ」


 永忠は両眼に強い光をたたえて伯英を見すえた。


「おぬしは瑯一県で終わる男ではない。いずれはこの幾南を、いや、ゆくゆくは梁全土を股にかける将となろう」

「おだてても何も出ないぜ」


 伯英は笑いに紛らわせようとしたが、永忠の表情は真剣だった。


くらい世じゃ、王都衛。北の曹州では飢饉により十万の流民が生まれているとか。常陽では賊が郡城を占拠し、その頭目が王を称した。常陽だけではない。東湖、甘山、平郷……群盗は地に溢れ、しかして民を守るべき官軍はあまりに無力」


 だが、と永忠は語を継いだ。


「まだ、おぬしらがいるのだ」


 永忠は伯英と文昌の顔を順番に見た。


「わしは、おぬしらに何も頼める立場ではない。おぬしらの身内が殺されたとき、わしは何もできなかった」

「ちょっと待った」


 伯英は片手をあげて永忠の話をさえぎった。


「そのことを蒸し返すつもりなら、今すぐ帰ってくれ。あんたに責任がないことはおれも文昌もよく知っている」


 八年前、まだ県丞ではなかった永忠だが、他の役人たちとともに賊に襲われ堀に投げ込まれた。仲間の多くが溺れ死ぬなか、永忠が助かったのは僥倖と呼ぶしかない。


「いいや。梁の禄をむ者でありながら、その民がむざむざと殺されるのを見ているしかなかった。その罪はわしが負うべきものだ」


 永忠は頑固に首を横にふった。


「だが、あえて頼む。どうか短気はおこさんでくれ。おぬしのような将が、王家軍が民には必要なのだ。梁を救ってくれとは言わん。だが、賊に追われる民を守ってやってくれんか。おぬしらの働きで命を拾う者がひとりでも増えれば、それでいい」


 永忠はその額を卓にこすりつけんばかりに頭を下げた。


「県令どのはわしが抑える。趙都督のことも、なんとか穏便にすむよう策を練る。だから、どうか軽はずみなことはせんでほしい」


 伯英はしばらく無言だったが、ややあって盛大なため息をついた。


「顔をあげてくれ、永忠どの。王家軍の旗揚げのときから散々世話になっているあんたに、そんな格好をされちゃたまらない」


 それに、と伯英は頭をそらした。


「小遣いももらっちまったしなあ」


 春の明るい陽射しが天井に影をつくっている。今夜はよく晴れるだろう。あの養い子に祭りの花燈籠はなとうろうでも買ってやったら、笑顔のひとつも見られるだろうか。


「とりあえず、あんたに任せる。そんで、おれたちはしばらくのんびりさせてもらうぜ。それでいいか?」


「ありがたい」


 顔をあげた永忠は、ほっとしたように笑みをもらした。



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