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玉蘭花伝  作者: いろは
5/17

純白に染む 四

 故郷はどんなところだと尋ねると、伯英はしばしの沈黙のあと「春はきれいだな」と言った。


「春?」

「ああ。ちょうどいま時分が一番いい。道沿いにこう、ずっとな、玉蘭ぎょくらんが植わっている。春になるとそれが一斉に花をつけるんだ。あたり一面花が咲き乱れて、そりゃあいい眺めだ」


 ゆったりと進む馬の背で、伯英は故郷の情景を語る。低い声と、背中の温もりが心地よい。


「おまえに似てるな」


 意味がわからず首をかしげたところで、大きな手が頭をなでてくれる。


「白い花なんだよ。はじめておまえを見たとき、その花が頭に浮かんだ」


「……あのときは、白粉おしろいを塗ってたから」

「そうじゃない」


 また髪をかきまわされた。このひとといると、いつも髪をくしゃくしゃにされてしまう。けっして嫌ではなかったけれど。


「まあ、見ればわかるさ。じき着く」


 山中の廃廟を発ったのは十日前のことだ。瑯という地まで、馬を飛ばせば三日ほどの距離だそうだが、一行の歩みは至極ゆっくりしたものだった。


 急ぐ旅でもないからな。そう伯英は言ったが、怪我人を抱えていては急ぐに急げないというのが本当のところだろう。


 だから、ぼくのせいだね、と口にしたら頭を小突かれた。子どもがつまらんことを気にするんじゃない、と。そう言って笑う伯英の顔を見たとき、なぜだか胸の奥が痛いような、うずくような、ひどく落ち着かない心地になった。


 あれは何だったんだろう。思い返していると、だしぬけにぱっと目の前が明るくなった。


「どうだ、ちょっとしたものだろう」


 頭上で得意げな声がした。


 雲の中にいる。そう錯覚するほどに、やわらかな白が視界いっぱいに広がっていた。道の両側に、こぼれんばかりの純白の花をつけた木々がどこまでも続いている。


 甘い香をふくんだ風が枝を揺らし、花びらが舞う。白い羽のようなそれに、とっさに右の手をのばした。


「子どもってのは、みんな同じことをするんだな」


 ふり仰ぐと、伯英が眼を細めてこちらを見ていた。笑んでいながらも、痛みをこらえているような眼差し。このひとは、ときどきこういう眼をする。


 きっと子どものことを思い出しているのだろう。八年前に殺されたという息子のことを。




 絶対誰にも言うんじゃねえぞ。そう前置きして迅風が事のいきさつを話してくれたのは、出立前夜のことだった。


「今回のはさ、仇討ちだったんだよ」


 八年前、伯英らの故郷である瑯の城市が賊に襲われた。襲撃者は、梁の圧政に抗する義軍を称していたが、その実体は残忍な野盗集団だった。


 折り悪く、瑯県の県令けんれいは軍を率いて演習へ出ており、やすやすと城門を破った賊は街になだれこんで殺戮と略奪のかぎりを尽くた。


 街が賊に蹂躙されていたとき、伯英は所用で隣県に出向いていた。用事を済ませて帰ってきた伯英を迎えたのは、焼け焦げた街と妻子の亡骸だった。


「子どもなんて、まだ三つかそこらだったっていうぜ」


 我が事のように迅風は顔をしかめた。


 伯英が義勇軍を立ち上げたのは、その半年後のことだった。迅風が加わったのは、それからさらに一年ほど後だったという。


「その賊が、辛てひと?」


「いや、賊の頭目はもっと前に片付けてやったさ。辛の野郎はそんときの瑯の県令だったんだよ。やつめ、てめえんとこの城が襲われてるってのに、何もしやがらなかった。あいつが、兄貴の家族を見殺しにしやがったんだよ」


 演習先で襲撃の報を受けた県令は、救援に向かうどころか、伝令を捕らえて事を伏せ、賊が去ってからようやく城に帰還した。凶悪さで知られるその野盗集団と正面からぶつかるのを恐れてのことだった。


「本当だったら八つ裂きにされるはずだったのに、あの野郎、さんざん賄賂をばらまいて無罪になりやがった。その後すぐに、やつは姿をくらましちまってさ。あのまま瑯にいたら、兄貴たちに殺されるってわかってたんだろうな」


 元県令は名を変え、過去を偽り、幾度も住まいを変えた。復讐者たちの追跡をふりきるために。


「そっからずっと、兄貴は辛を探していたんだ。狡賢いやつでよ、今まで何度も、捕まえかけちゃあ逃げられてのくりかえしでさ。でも、ついにやったんだ」


 誇らしげに語っていた迅風は、そこで声をひそめた。


「けどよ、最初に言ったけど、このことは黙っとくんだぞ」


「なんで」


「いや……まあ、おれもそのへんはよくわかんねえんだけどよ、とにかく黙っとけって、文昌さんが言うんだよ。なんでも辛の野郎、長徳でも役人にかなりの金をつかませてたみたいで、やつをったのが兄貴だってばれると厄介なんだと」


「もうばれてるんじゃないの?」


「そりゃそうだろうなあ。けど、表向きはそうじゃないことにするとかなんとか……ああもう」


 迅風はいまいましそうに頭をふった。


「ごちゃごちゃうるせえよ。とにかく黙っとけったら黙っとけ」


「だったら話さなきゃよかったのに」

「馬鹿野郎」


 頭に拳がふってきた。


「おまえだけ仲間はずれにしたら可哀想だっていう、おれの気持ちがわからんのか」


 まったくもってわからなかった。迅風のやり口は、盗んだ餅を、そうと知らせず分けた後で「おまえも同罪」と宣告するようなものではないか。そう思ったが、また殴られるのもおもしろくないので口には出さなかった。




 ひらりと、白い花弁が舞う。


 それを捕まえたくて手をのばすも、風に遊ぶ花びらは笑うように指の間をすりぬけていく。


「どれ」


 だしぬけに、体を高く抱えられた。


「ほら、これなら届くか」


 咲き乱れる玉蘭が目の前にあった。手をのばして花をひとつ摘みとると、伯英は再び体を鞍に戻してくれた。


「よかったな」


 手の中の純白を見つめているうちに、また胸の奥がぎゅっとしめつけられた。変だな、と思った。肩の傷が痛むならまだわかるのに、と。


子怜しりょう


 すとんと、その名がふってきた。顔をあげると、大きな笑顔の伯英と目が合った。


「決めた。子怜がいい」


 よく笑うひとだ。普段の眼光は鋭いほどだが、自分に向けられる眼差しはいつもやわらかい。


「いつまでも麗々なんて名をひっさげているわけにもいかんだろう。文昌がな、いくつか考えてくれたんだよ。三つか四つあったんだが、子怜がいいな。おまえによく似合う。どうだ、悪くないだろう」


 な、子怜、と。伯英はもう一度その名を口にした。新しい名を。


「あとで紙に書いて見せてやるよ。ああ、ところでおまえ、字は読めるか」


 花をつかんだ手を胸に押しあてながら、黙って首をふった。胸の痛みは相変わらずだ。痛くて痛くて、涙までにじんできた。だけど、やっぱり変なのだ。この瞬間がずっと続いてほしいと、そう願っている自分がいる。


「なら、それも教えてやるさ。ついでに迅風にも習わせるかな」


 あ、兄貴おれのこと呼びました? と馬を寄せてきた迅風を、伯英はうるさそうに手をふって追い払う。


「やあ、見えてきた」


 純白の向こうに、灰色の城壁がそびえている。瑯の城市だ。開かれた城門から、子どもたちが歓声をあげて駆け出してくる。


 白い花が舞う。子怜はそっと目を閉じた。夢のように美しい光景を、まぶたの裏にやきつけるように。




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