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玉蘭花伝  作者: いろは
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暁に咲く 五

 陳王こと嚇玄が没したのは、年があらたまって間もない頃のことだったという。


「ごく限られた者しか知らないことだけどね」


 そこで朱圭は「きみさ」と、子どものように口をとがらせた。


「少しは驚いてくれてもいいんじゃないかな」

「驚いてる」


 だが、それ以上に子怜はがっかりしていた。自分の予想がはずれていたことに。


「あなたが陳王だと思っていたのに」


 朱圭は目を丸くし、次いで声をたてて笑った。


「それはいい。あながち間違いでもないよ。わたしがいなければ、あの山賊あがりが王を称するまで登りつめることもなかっただろう。そのあたりをわきまえていれば、多少は長生きもできたろうに……」


 独白めいたつぶやきをもらす朱圭の両眼に、酷薄そうな光がひらめいた。


「だから、かわりが欲しくてね」


 かわりの役者。かわりの人形。それがつまり、


「……伯英」


 そのとおり、と朱圭は口角を持ち上げる。


「きみの養い親は逸材だ。とうに命運の尽きた梁の番犬なんぞをやらせておくのは、じつにもったいない。あの才は、もっと広い舞台でこそ活かされるべきだよ。きみもそう思うだろう?」

「……さあ」


 熱っぽい朱圭の弁をはらうように、子怜は頭をふった。


 伯英が何を望むのかはわからない。だが、この男の語る舞台とやらは、子怜には別のものに聞こえた。舞台ではなく、格子つきの檻に。少なくとも、そこに入れられることをあのひとは望むまい。なにより、


「伯英は、あなたを欲しがらないと思う」


 あなた程度のひとは。


 浅黒い顔から笑みが消えた。はじめて、この男の素顔を見た気がした。


「ねえ、きみ」


 まばたきをする間に、朱圭は笑みをとりもどしていた。


「最後にひとつ教えてくれないかな」


 朱圭はゆったりと腕を組む。その袖には赤黒い染みが散っていた。この男の見張り役をつとめていた兵は、喉を裂かれて絶命していた。


「置き石、五つもいらなかった?」


 逃げる暇はなかった。大きく踏みこんできた朱圭に襟をつかまれ、喉もとにひやりとしたものをあてがわれる。


「惜しいねえ」


 歌うような声がふってくる。


「きみほど教えがいのある弟子もいなかったのに。でも、いちばん大事なことを教えていなかったね。邪魔な輩はさっさと始末すること。少しでも変だと思ったら、迷わずにね」


 首筋にちりりと痛みが走った瞬間、子怜は帯にはさんでいた小刀を抜きはなった。


「おっと」


 ふりあげた子怜の腕を難なくつかみ、朱圭は唇をゆがませる。


「慣れないことをするものじゃないよ」


 ねじりあげられた右手から小刀が落ちたとき、一陣の風が吹いた。炎のうなりをはらんだ風が。


 同じだ、と子怜は思った。あのときと同じだ。ものの焼ける匂い、遠くに聞こえる喚声と絶叫。それから──


 目の前の男の胸に、ぱっと朱が咲いた。


 ──ああ、そうだ。


 この色だ。


 熱い飛沫が子怜の頬を濡らした。


「……は」


 朱圭はぼんやりと己の胸を見おろした。胸の真ん中からのぞいている剣の切っ先と、そこからほとばしる鮮血を。酔っ払いのように二、三歩よろめき、朱圭はどうと地に伏した。


「子怜」


 倒れた男の胸から剣をひきぬき、そのひとは名を呼んでくれた。


「怪我はないか」


 ない、と答えると、男はうなずいた。あの夜と同じ、全身を鮮やかな赤に染めて。



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