暁に咲く 四
「文昌が探してたよ」
子怜が告げると、浅黒い顔が笑みの形にゆがんだ。
「わたしは会いたくないんだけどなあ」
その気持ちはよくわかった。
「怒ってた」
「だろうね」
「ものすごく」
──見くびられたものですね。
そう文昌がつぶやいていたのは、伯英が城を発つ直前の、ごく短い打ち合わせの場でのことだ。
伯英どのさえいなければ、この城は簡単に陥ちると思われているわけですか、と。
めずらしく笑みなどたたえていた文昌を、伯英はうすら寒そうな顔で眺めていた。あいつにはしばらく近寄らないほうがいいぞ、とわざわざ子怜に耳打ちしてきたほどだ。その忠告にしたがって望楼に避難していたのに、あちらからやって来られたときは内心首をすくめたものである。
「はじめから、全部お見通しだった?」
朱圭に問われて、子怜は首を横にふった。
「はっきりしたのは昨日」
それまでは、ただ変だなと思っていただけだ。暇さえあれば王家軍の兵営をうろついて、誰彼かまわず話しかける。陽気でにぎやかで、少しばかりうっとおしい。だが放っておいても害はない。そう皆に思わせる男。
そんな男を、あのひと変だね、と子怜は評した。養い子の感想を聞いた伯英は、そいつは同感だが、と前置きした上で尋ねてきた。なんでそう思う、と。べつにたいした理由はなかった。
──いつも数えてるもの。
へらりとした笑みをたたえながら、愛想のよい言葉をふりまきながら、その目は常に、何かを数えているように見えた。
厨房に積み上げられた米穀の俵を。ひっくり返した塩壺を持って入り込んだ倉庫の塩袋を。王家軍の隆盛ぶりを得々と語る古参兵が披露した武器庫の弓矢を。厩舎につながれた軍馬を。それから、おそらく己の歩数も。
この男の歩幅は常に一定だった。一人のときも、誰かと連れ立っているときも。同じ歩幅で、歩んだ長さを測っているように見えた。瑯の城壁の四辺を。城門の幅を。そこから兵営までの距離を。
変だと思った。知りたいなら訊けばいいのに、と。いちいち自身で測らなくても、伯英なり文昌なり、あるいはあの、いつか銅銭を握らせてくれた県丞にでも尋ねればいい。この城を丸裸にする、ありとあらゆる数を教えてくれと。
子怜がそう説明すると、伯英はかるく目を見張り、それから苦い笑みをたたえて「そいつは難しいな」と返した。
「なんで」
「ひとにものを尋ねるときは、理由も必要だからさ」
「理由?」
「なんでそんなことが知りたいかってことだよ。訊かれたほうは、それこそなぜと思うだろ」
「じゃあ言えばいい」
そうだな、と伯英はまた笑った。言える理由ならな、と。鋭さをひと匙含んだ笑みをひらめかせ、いまの話は誰にも言うんじゃないぞと伯英はささやいた。
嚇玄という賊将が城攻めを得手とするという話を聞いたのは、その少し後のことだ。どんなに守りのかたい城も、嚇玄の軍の前では易々とその門を開いてしまう。あたかも城の弱点をことごとく見抜いているかのように。その城のすべてを掌に載せているかのように。
養い親の言いつけどおり、ささやかな疑念をそれきり胸にしまっていた子怜だったが、昨日の軍議の席で、ああそうかと思った。嚇玄の軍が河から攻めてくるのではという予測を、朱圭は最後まで示さなかった。だから、確信した。
この男、あちら側の人間かと。
「ぼくが考えつくことに、あなたが気づかないわけないもの」
「ほめられている気がしないね。それで? むこうの船をお相手する策を考えたのも、きみかい」
「それは伯英」
敵船を阻むため江夏城の船を燃やすという戦法に、子怜はむしろ反対だった。
江夏の船を焼いたら常陽へ渡る手段がなくなるではないか。そう訴えたが、養い親はとりあってくれなかった。あんまり欲をかくもんじゃない、と笑うばかりで。
欲張りなのはどっちだと、子怜は思う。尭谷へ向かうと見せかけて途中で軍を返した伯英は、夜明けとともにこの城へもどってきた。その目的はただひとつ。
「嚇玄の首は、ここでとるって」
「とれないよ」
さらりと朱圭は否定した。とれはしまい、でも、とらせてなるものか、でもない。ただ当たり前の事実を述べるように。
「あの男は、もう死んでいるから」




