薫風は南より 四
「正直なところ」
手にした酒杯をぐいとあおり、朱圭は口をぬぐった。
「賂くらいは予想していたんですがねえ。これを差し上げますから趙都督の下命だったことにしてくださいって。そんなふうに泣いて頼まれるかと思っていたのに」
「誰が泣くかよ」
あきれ声で応じつつも、手段としては考えないでもなかった伯英である。事実、伯英が直前で方針を変えて趙都督を説得する──なにが説得だ、あれは脅迫であろうと、あとで永忠にさんざん嫌味を言われた──ことになるまで、文昌は金策に走りまわっていたのだ。
「ところがあなたときたら、下手に出るどころか逆に脅しをかけてくるんですもの。もうおかしくておかしくて……」
笑いくずれる朱圭に、文昌が冷ややかな眼差しを送った。
伯英の馴染みの妓楼の一間で、三人は宵の口から杯を交わしていた。誘ってきたのは朱圭だ。使者としての任を終えた後も、この男は瑯に留まっていた。王家軍ともに常陽へ進発し、途中の江夏という地で追加の兵二千を引き渡すところまでが務めなのだという。
これから行動を共にすることですし、と理由をつけて、朱圭は連日王家軍の兵営に入り浸っている。はじめは趙都督の配下ということで警戒していた王家軍の面々も、愛想だけはやたらといいこの男相手では用心もゆるみがちになるらしい。今日など昼どきに兵舎の厨房に入りこみ、下働きと一緒に芋の皮むきまでしていたというのだから恐れ入る。
ちなみに、なにかと器用そうなこの男、料理の腕前はお粗末らしく、両手いっぱいの芋をできそこないの木彫り細工のように切り刻んだあげく、粥鍋の上に塩壷をひっくりかえしたところで厨房からたたき出されたそうな。
「それで、使者どの」
伯英が呼びかけると、朱圭は「いやだなあ」と、また笑う。
「そんな他人行儀な呼び方はやめてくださいよ。あなたとわたしの仲じゃないですか」
どんな仲だ、と顔に大書してある義弟を横目で見ながら、伯英は杯を置いた。
「なら、朱圭」
はっきりさせておきたいことがあった。この男が笑い死ぬ前に。
「そろそろ聞かせてもらおうか。趙都督……いや、あんたは何を企んでいる?」
伯英の視線の先で、浅黒い顔にたたえられた笑みがいちだんと深くなった。
「やはり、あなたにはお見通しでしたか」
悪びれずに朱圭は肩をすくめた。
「ですが、なぜおわかりに? 常陽攻めに裏があると」
「ひとを虚仮にするのも大概にしておけ。誰にだってわかるだろうが。たかだか五千でどうしようってんだ」
陳王こと嚇玄率いる兵は、その数およそ五万という。こういう数は大げさに伝わるものだが、それでも二、三万は堅いところだ。
敵より寡ない兵で勝利したことは幾度かあれど、自軍に数倍する敵に、それも急ごしらえの混成部隊でぶつかって勝てると思うほど伯英は夢想家ではなかった。
「使者どの」
文昌が険しい顔で口をひらく。
「趙都督はわれらに死ねとおっしゃるのですか」
「まあ、ありていに言えばそういうことですね」
「文昌」
怒気もあらわに腰を浮かせた文昌を、伯英はため息まじりに制した。この義弟、最近とみに気が立っている。原因の半分ほどは自分にあると自覚はしているが。
「はなから勝てない戦をしかけて、あんたらに何の得がある。趙都督も、おれ一人ならともかく五千の兵を無駄に失いたくはあるまい」
「さて、なぜだと思います?」
ああ面倒くせえ、と伯英は内心で舌打ちをした。いちいち人を試すような話しぶりは、伯英の好むところではなかった。それでも乗ってやったのは、早いところ話を進めないと文昌がまた激昂しそうだったからである。
「囮か、捨て石。そんなところだろ」
ご名答、と朱圭は手を打った。
「今回は両方です」
それから朱圭が語ったことは、ほぼ伯英が予想していた通りの内容だった。嚇玄討伐の主力は、王家軍ではなく趙都督率いる三万の兵。それが伯英とは別の進路から常陽を攻めるという。
「ただし、趙都督の出征は秘中の秘。おもてむきは、王家軍のみが出るとふれまわります。名高い王虎将軍の首を獲る好機と、嚇玄は常陽を出てあなたを迎え撃つことでしょう」
「その隙に、趙都督が常陽をかっさらうってか」
伯英は朱圭の言葉を先取りした。
「盗人の発想だな、そいつは」
「盗人おおいに結構」
朱圭は平然とうなずいた。
「姑息だろうが卑怯だろうが、勝ちさえすればいいのです。あとのことはどうとでも繕える。しかし、負ければ語ることすら許されません」
「餌になったおれたちも、か」
「あなたのお怒りはごもっとも。ですが、これはあなたにとっても好機なのですよ」
居住まいを正し、朱圭はひたと伯英を見据えた。
「王虎将軍、あなたは英雄におなりください」




