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玉蘭花伝  作者: いろは
14/17

薫風は南より 二

「──王都衛」


 それまで沈黙を保っていた使者が口をひらいた。薄い笑みをはりつかせた顔の中で、その両眼だけが笑っていない。


「仮に、仮にでございます、わがあるじが貴殿にそのようなことを命じた覚えはないと申されたら、いかがなさいます」

「なに」


 伯英は唇の端をつりあげた。


「趙都督は否定などされますまいよ。なにしろ──」


 いったん言葉を切り、伯英はとどめの一撃をくりだした。


「趙都督が奸商、辛を誅されたこと、すでにこの瑯に知れわたっておりますれば」


 使者の顔から笑みがはがれ落ち、逆に伯英はほくそ笑んだ。ようやくこの男の度肝を抜いてやれたらしいと。


「お恥ずかしいことなれど、わが配下にいささか口の軽い者がおりましてなあ。こたびの件、趙都督からのご指示あるまで他言無用と命じていたのですが、どうも口をすべらせたようでして。ああ、県令どののお耳にはまだ届いておらぬようですが、趙都督のご英断については、ちまたでたいそう評判になっているところにございますよ」


 がくりとあごを落とした県令の横で、永忠は何かをこらえるように目をつぶっている。伯英は内心で首をすくめた。この県丞には、あとでこってりしぼられることになりそうだ。


 じつのところ、まだ噂は街に浸透しきっていない。文昌の指示のもと、迅風たちが噂をばらまきはじめたのは昨夜からのことなので。だが、それもすぐに事実となるだろう。なにしろ噂を振りまくことにかけては右に出る者がいない花街の妓女たちが、たいそう熱を入れて協力してくれているのだから。


「噂は一日千里を走ると申しますからな。趙都督のご功績は遠からず畿南全土にひろまりましょう。いくら趙都督が謙虚なお方でも、この期に及んで否定など」


 ──できなかろう?


 言外に、伯英はそう告げた。


 うぬぼれではなく、伯英は自身と王家軍が民衆に人気があることを知っている。趙都督が伯英らを処断すれば、世人はこう考えるだろう。趙都督は王家軍に汚れ役を押しつけたあげく切り捨てたのではないか、と。


 趙都督の為人ひととなりなど伯英は知らないが、王家軍の罪を鳴らして自身の名に傷をつけるより、伯英の筋書きにのる方が得だという計算くらいはできるだろう。ついでに、辛の罪を裏付ける証拠のひとつもひねりだしてくれればありがたい。


 さて、どう出る。と伯英は使者の顔をうかがった。してやられたことへの怒りのためだろうか、浅黒い顔を赤く染めた使者の唇がわななき、


「……すばらしい!」


 笑い声がはじけた。


「お見事ですよ、王都衛! いや、王虎将軍!」


 唖然とする一同を前に、使者は興奮しきりの様子で手を打ち鳴らす。


「お噂どおり、いや、それ以上の方でいらっしゃる。この虞朱圭、感服いたしました」

「そらどうも」


 つい素の口調に戻ってしまった伯英に、朱圭はうやうやしく礼をとった。


「あらためまして趙都督のお言葉をお伝えします。王都衛においては、本日をもってその任を解き──」


 伯英の視界の隅で、永忠が身じろぎをする。


「──幾南郡都尉に任ず。また、新たに歩兵二千を加え、五千の将とする」


 朱圭は大きな笑みを伯英に向けた。無邪気と呼ぶには含むところがありすぎる笑顔だった。


「気前のいい話ですな。昇格の上、増兵まで」


 伯英は目をすがめて朱圭に問うた。


「して、趙都督は王家軍われらにどこへけと」

「さすがに察しがよろしい」


 朱圭は嬉しそうに胸の前で両手の指を組む。


常陽じょうようへ」


 その地の名を、伯英は知っていた。そこがいまどのような惨状を呈しているかも含めて。


「陳王討伐をお任せします」


 いつのまにか雨は止んでいた。雲が切れたのだろう。窓から射しこんだ一条の光が、朱圭の彫りの深い顔に陰をつくった。


 じき夏がくる。ひとときの休息が終わったことを、伯英は悟った。



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