薫風は南より 一
趙都督の使者が瑯に到着したのは、季節が逆戻りしたような冷たい雨が降る日のことだった。
接見の場である官衙の堂で、伯英は床にひざまずいて使者を迎えた。
「虞朱圭と申します。どうぞお楽に、王都衛」
朗らかな声に顔をあげた伯英は、ほうと目を見開いた。虞朱圭と名乗ったその使者は、伯英の想像よりひとまわりも若い男だった。
年は文昌の下、迅風の上あたりか。上背はあるが全体的にひょろりとした体格で、南方の生まれとおぼしき浅黒い顔が陽気に笑んでいる。
「高名な王虎将軍にお目にかかれて光栄です。貴殿のご勇名、いまや幾南で知らぬ者とておりません。ことに先年の張三の討伐、あれは実に見事なものでした。ご存知ですか、あの一件は郡城で芝居の演目にもなっておりましてね。これがなかなか見ごたえのある……」
よくしゃべる男だ、と伯英は呆れる思いで使者の顔を眺めた。同席している県令と県丞の永忠も、型破りな使者を前にして困惑の色を隠しきれていない。
ひとしきり王家軍の活躍を称えると、使者はようやく伯英の審問にとりかかった。
「長徳からの訴えによりますと、夜半に正体不明の騎馬の一団が城門を破り、蔡という商人の屋敷を襲ったとか。その賊……ああ、失敬」
使者は伯英の機嫌をとるような笑みを浮かべた。
「蔡家の主人を殺害し、屋敷に火を放って逃走した者たちが、瑯県預かりの王家軍の兵であり、さらにその指揮をとっていたのが王都衛、貴殿であったと。さて、こちらの訴え、事実に相違ございませんか」
「ございませぬ」
伯英はあっさりと首肯した。
「ですが、ひとつ訂正を。われらが討ったのはただの商人ではございません。彼の者の名は辛大貴、かつてこの瑯の県令であった者です。つけ加えるなら、八年前、守るべき民を見捨てた希代の卑劣漢」
伯英の射るような視線を受け流すように、使者は何度かうなずいた。
「そのあたりの事情は存じております。ですが、それでは私戦の謗りを免れませんな。貴殿は王家軍の将でいらっしゃる。されど、戦う相手を決めるのは貴殿ではございません」
使者の言は正しかった。たとえ義勇軍であろうと王家軍は官軍であり、伯英は武官である。しかるべき命なくして兵を動かすは重罪だ。
「そちらの県令どのがお命じになったというならともかく」
さっと青ざめた県令の後ろから進み出ようとした永忠を、伯英はすばやく目で制した。
「県令どのの命ではございません」
「ならば、私戦であったとお認めに?」
「いや」
伯英は首を横にふった。
「下命は、ございました。ただ、それが県令どのからではなかっただけのこと」
「では、誰から」
使者の顔を真っ向から見すえ、伯英はその名を口にした。
「──趙都督から」
沈黙が、堂を支配した。
「……馬鹿な」
最初に反応したのは県令だった。
「そのような命があったこと、わたしは知らぬぞ」
「それも当然かと。なにしろ、限られた者にしか明かされなかった密命にございますれば」
つまり、趙都督からの信は県令より自分のほうが厚いのだと、伯英は暗に語ってみせた。面目をつぶされた格好になった県令の顔から、みるみるうちに血の気がひき、次いで怒りの朱がのぼる。
県令の隣では、永忠が渋面をこしらえている。何を企んでいるのかは知らぬがほどほどにしておけ、とその目が語っていた。
「先ほど使者どのも申されていた張三の乱でございますが」
張三とは、昨年まで畿南の北辺を荒らしまわっていた賊の頭目である。
「かの賊の討伐の折、長徳の商人が、こともあろうに張一党へ武具を流していたことをつかみまして。その奸商こそ、辛大貴だったというわけにございます」
「なんと……」
県令の口から喘ぐような声がもれる。
「それはまことか、王都衛」
「無論」
虚言である。辛が武具を商っていたということ以外は、すべて伯英の作り話だ。しかし、伯英はもっともらしい顔で話をつづけた。
「それをお知りになった趙都督が、われらに辛を討てとお命じになったのです。本来ならば、しかるべき法に則り罪人を裁くべきだったのでしょうが、やつめ、ほうぼうに賂をばらまいて罪を免れようとしましてな。しかし、それも叶わぬと見たのでしょう。ひそかに長徳を脱しようとする動きがありましたゆえ、もはや一刻の猶予もならぬと、趙都督はご決断されたのです」
われながら苦しいよなあ、と伯英は胸のうちでぼやいた。いささかどころではなく無理がありますね、とは、この策を打ち明けたときに文昌がもらした感想である。
だが、無理だろうと無謀だろうと、ひとたびこうと決めた以上、伯英はどこまでもこの芝居を押し通すつもりだった。
昔からよく言うではないか。喧嘩においては度胸とはったりが肝要だと。そして、伯英は自他ともに認める喧嘩上手であった。




