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玉蘭花伝  作者: いろは
12/18

春靄に惑う 二

 昼間、不用意にあんなことを言ったせいだろう。伯英は腕を組んで盛大にため息をついた。


「あのな、子怜」


 ねだいの上に、小柄な少年がちょこんと座っている。燭に照らされた顔はぞっとするほど美しく、これが女なら一国どころか十国くらいまとめて傾けそうだと、伯英はらちもないことを考えた。


「おれは別に、そういうつもりでおまえを置いているわけじゃないぞ」


 一日を終えて寝床へもぐりこもうとしたところで、小さな侵入者に気づいた伯英である。養い子がどういうつもりで自分のもとへ忍んできたのかは明白だった。


 桁外れの美貌を誇る少年を手もとに置いていることを、口さがない連中が何と噂しているかは知っている。神経質な文昌などは、その噂を打ち消したがっており、だからこそ熱心に子怜の預け先を探し回っていたふしがある。


 だが、当の伯英は気にしていなかった。むしろ、自分の所有物ものだということにしておけば、養い子に手を出す輩もいなくなって好都合と考えていたくらいだ。


 しかし今、伯英の目の前で噂が現実になりつつある。それはまずかろうよ、と伯英はがしがしと己の髪をかきまわした。


「自分の部屋に帰んな」


 子怜は黙って伯英の顔を見あげていたが、ややあってするりと身を寄せてきた。


「こらこら」


 華奢な体を押し戻そうとしたが、逆にぎゅっと腕をつかまれた。


「……お願い、だから」


 思いのほか強い力でつかんでくるその手は、小刻みに震えていた。


「追い出さないで……なんでもするから」


 まいったな、と伯英は天井を仰いだ。はじめから、この少年には負けっぱなしである。


「ちょっと話すか」


 離れてくれそうにないので、いっそのこと、と引き寄せた。小さな背中を抱え、ちょうどいい高さにあった頭にあごをのせる。


「おれはな、おまえのことが邪魔だから追い出すわけじゃないぞ。むしろ、気に入ってる。恩人てことを抜きにしてもな」

「だったら……」

「まあ聞け。おまえも耳にしてるだろうが、今な、ちと厄介なことになってんだよ」

「……趙都督ていうひとのこと」

「そうだ」


 文昌がほうぼうに人を遣って調べたところによれば、趙都督の使者は県境を越えたらしい。もうじき、この瑯の街にたどり着く。


「その使者とやらが来る前に、おまえにはちゃんとした落ち着き先を見つけてやりたいんだよ。ことによっちゃあ、もうおまえの面倒を見てやれなくなるからな」


 今回の件では永忠も奔走してくれているが、正直なところ、伯英はあまり当てにはしていなかった。永忠を信頼していないわけではない。県丞の立場では、できることにも自ずと限界がある。それを知っているだけだ。


 最悪投獄、あるいは処刑ということになるかもしれない。もとより覚悟の上だ。自分だけでなく、あの企てに関わった者は全員。


 それでも黙って殺されてやる気はないので、いざとなればどうにかして逃げるつもりではいる。ただ、さすがに子どもを連れては行けない。


「わかったら、おとなしく潘家に行ってくれないか」

「わかんない」


 いつもより幼い反応に、伯英は苦笑する。


「わかってくれないもんかねえ」

「わからないよ」


 腕の中で子怜が身をよじった。


「なんで伯英が戦わないのか、わからない」


 薄闇の中で、艶のある黒い瞳がひたとこちらを見すえていた。


「戦って、やっつけちゃえばいいのに」

「そうさなあ……」


 子どもらしい物言いに笑みを誘われたところで、伯英は気づいた。確かに、自分はまるで戦う気がないのだと。


 永忠も文昌も、この事態をどうにかしようと躍起になっている。それを横目で眺めながら、自分はまるで他人事のように構えている。なるようになれとばかりに。


 投げやりともいえる姿勢の理由わけは、自分でもわかっている。あの夜、仇敵を葬ったその時から、伯英は身のうちの空虚を持て余していた。


 ろうに帰って、まずやったことは家族の墓参りだ。こういう場面では仇の首を供えるものなのだろうが、あんなものを持ってこられても困るだろうと思ってやめた。かわりに手向けたのは玉蘭の花だ。あの白い花を二人とも好いていたから。


 終わったことを告げ、待たせたことを詫びた。これからどうしてほしいと尋ねてもみたが、答えは返ってこなかった。当然だ。当然のことを、まだ受け入れられずにいる。おそらく死ぬまで無理だろう。


「伯英」


 細い声で、伯英は物思いから覚めた。


「なんでだろうな」


 本当に、何をやっているのやら。一度失っておきながら、また懲りもせず小さなものを抱えこんで。あげく、それすら手放そうとしている。


「飽きたの?」


 伯英は声をたてずに笑った。つくづく子どもというものはおもしろい。その小さな口から次に何が飛び出すのか、まるで予想もつかないのだから。


「何に飽きたって?」

「戦うのに」


 つと、胸を突かれたような心持ちになった。


「飽きて、好きじゃなくなったから、もう戦わないの?」


 飽きて、好きでなくなった。それはつまり、


「今までは好きでやってたみたいじゃないか」

「ちがう?」

「そりゃ、おまえ……」


 囲棋とは違うと言いかけて、伯英は口をつぐんだ。


 何が違うというのだろう。盤上の戦いと現実のそれと。策をめぐらせ、攻守の機を見さだめ、敵を屠るという点では同じではないか。


「……違わないな」


 知恵をしぼり、相手を出し抜いてやったとき、馬を駆り矛をふりかざし、先陣をきって敵軍に躍りこんだとき、そこにひとかけの高揚もなかったと言えば嘘になる。


「あとは、得意なんだろうな」

「得意?」

「向いてるってことだ。他人ひとよりちっとばかし上手いんだよ、おれは」


 この八年でくぐりぬけた戦いは優に百を超す。勝利のたびに階級はあがり、率いる兵の数は増えた。はじめは気恥ずかしいばかりだった王虎将軍の二つ名も、近頃では敵の戦意をくじくために利用するほどには厚顔になった。


「なら」


 子怜は事もなげに言った。


「趙都督にも勝てるね」


 その言葉は、伯英の胸をたん、と射抜いた。目が覚めるような心地で養い子の顔を見おろすと、綺麗に澄んだ一対の瞳がそこにあった。


 ああそうか、と腑に落ちた。


 欲しかったのはこれだった。慰めではなく、ましてや励ましでもなく、ただ単純な肯定と純粋な信頼が。


 飽いたかと問われれば、まだ、と頭より先に体が応じる。幸い多少の才もあるらしい。ならばその自惚れのまま、行けるところまで行ってみればいいではないか。


「おまえには敵わんな」


 ひさびさに、腹の底から愉快な気持ちがこみ上げてきて、伯英は養い子の髪をくしゃくしゃにかきまわした。


「伯英」


 さすがに迷惑そうに、子怜が抗議の声をあげる。


「悪い悪い」


 笑いながら、伯英は胸のうちで義弟にも詫びていた。


 せっかく持ってきてくれた潘家の話、どうやら断ることになりそうだと。




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