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第81話-1:魔法競技祭当日――ひとつの結末

長くなったので二話に分けます。

 ――一体、何が起こってる……?


 レオは、理解の限界を超えた光景を前に、ただ立ち尽くしていた。


 つい先ほどまで絶対的な恐怖として君臨していた魔女が、

 今はわずかに肩を震わせ、その場から一歩も動けずにいる。


 紅潮した頬。

 恍惚に似た表情。


 だが――それ以上に。

 その瞳に宿っているのは、隠しきれない恐怖だった。


 あの魔女が、本能的に後ずさっている。


「エリーゼ。俺をどれだけ手間取らせるつもりだ?」


 静かな声だった。

 だが、その一言が放たれた瞬間、空気が凍りつく。


 魔女の全身が、びくりと跳ねた。


 レオは男の背中から、目を逸らせなかった。

 動かない。ただ立っているだけ。


 それだけで、

 これまで感じたどんな脅威とも比べ物にならない圧が、空間を支配していた。


 ――こいつは……何者だ。


 魔女は、喉を引き裂くように声を絞り出した。


「ち、違うんです、ジュリアン様……!

 わ、私はただ……ただ、ジュリアン様にお会いしたくて……それで……!」


「……俺に言い訳しようというのか?」


 冷淡な一言。


 男が、ただ右手を持ち上げただけで――

 魔女の身体が、強く硬直した。


 次の瞬間、彼女の表情は完全に崩れ落ちる。


「ご、ごめんなさいっ……!

 お、お願いです……!

 わ、私を捨てないでくださいっ……!

 もう一度だけ……チャンスを……!」


 男は、わずかに目を細めた。


 吐いた息は小さく、感情の温度を感じさせない。


 苛立ちとも、諦めともつかない。

 掴みどころのない静けさだけが、そこにあった。


「俺の言うことを聞けないのなら――」


 氷のような言葉が言い終わるよりも前に、魔女は悲鳴のような声で縋りつく。


「聞きますっ……! 今度こそ、どんなことでも……!

 ジュリアン様の目が私に向いてくださるなら、私はどんなことでも……!」


 魔女は震える身体を引きずるように、少女へとにじり寄った。

 その瞳には、絶望と愛情にも似た歪んだ執着が絡みつき、悲痛な光が揺れている。


「……ジュリアン様。どうか……私を見ていてください……」


 掠れた声とともに、魔女は瞳を固く閉じた。


 次の瞬間、身体は力なく崩れ落ち、輪郭が黒い霧へとほどけていく。

 霧は少女の胸元へと吸い込まれるように流れ込み、

 最後に残ったか細い指先だけが、男へ縋るように震え――

 やがて闇の中に消えていった。


 男は無言で右手を下ろし、淡々と周囲へ小規模な結界を張った。


 静寂の満ちた空間を、ゆっくりと少女のもとへ歩み寄る。

 その横顔には、満足とも哀憫ともつかない一瞬の陰がよぎった。


 男は人差し指を立て、少女の唇の前へそっと添える。

 指先に軽く口づけを落とすと――


 少女の身体が、柔らかな光に包まれた。


 緊張がほどけるように表情が和らぎ、

 やがて静かに瞼が持ち上がる。


「……封印は完了したよ」


 その声には、微かな安堵と、どこか疲労の色が宿っていた。


 少女はぼんやりと周囲を見回し、

 すぐに目の前の男に気づいて小さく瞬いた。


「……ジュリジュリ……?」


 一瞬の戸惑い。

 そして次の瞬間、弾けるような笑顔。


「会いたかったよー!!」


 少女は勢いよく飛び込むように抱きつき、

 男はその華奢な身体を静かに受け止め、穏やかに微笑んだ。


「ララベル……遅くなってすまない。

 でももう大丈夫だ。すべて終わった」


 少女は胸へ顔をうずめ、

 安堵の息をこぼしながら、何度も小さくうなずく。


「……ところで。

 どうしてここに来た? 来るなと言ったはずだろう」


 優しい声だった。

 だが、そこにははっきりと越えさせない線があった。


 少女は少し困ったように唇を尖らせる。


「だって……ジュリジュリの魔力を感じたの。

 絶対ここにいるって思ったのに、どこにもいないから……」


 視線を落とし、言葉を探す。


「それにね……結界のせいで、帰れなくなっちゃった。

 お願い。ジュリジュリの力で帰らせて?」


 男の表情が、わずかに曇った。


「それはできない。

 俺はこの世界の“歴史”に干渉したくない。

 魔女を止めたのも、本来あるべき流れを守るためだ――前に話しただろう?」


 少女は頬をふくらませ――

 だが、すぐに力なく肩を落とした。


「……わかった」


 小さくうなずく。

 その指先が、男の裾をぎゅっと掴む。


「自分の力で帰るしかない。

 それまでは、光属性の近くで過ごせ。

 君の心が揺れれば、封印にも影響が出る」


 少女はうつむいたまま、返事をしなかった。

 袖を掴む指先が、かすかに震えている。


 そのとき、少し離れた場所から、レオの叫びが響いた。


「本来の歴史を守りたいなら――イオとテオを助けてくれ!

 あいつらは……魔女が現れなければ、こんなことにはならなかった!!

 二人が死んだら……それこそ、歴史が変わるだろ……!」


 男は、はっとしたように振り返った。

 その瞳に、隠しきれない動揺が走る。


「……しまった。

 結界内に、まだ人が残っていたとは……」


 苦々しく呟きながら、男はレオの指差す先へ視線を向けた。


 結界の外。

 そこには――漆黒に侵食され、苦しげな呼吸を繰り返しながら、

 辛うじて命をつないでいるイオとテオの姿があった。


 男は、ゆっくりと首を振る。

 表情が、痛みを堪えるように歪む。


「……あれは、もう手遅れだ。

 歴史は変えたくないが……俺だって、すべてを思い通りにできるわけじゃない」


「待てよ!!」


 レオの声は、怒鳴り声というより――

 胸を引き裂く悲鳴だった。


「そんな無責任な話があるかよ!!

 俺たちは……お前らの都合で散々振り回されてるんだぞ!」


 声が震える。

 怒りだけじゃない。

 喪失への恐怖、絶望、どうしようもない焦燥が、言葉に滲んでいた。


「そもそもだ!!

 魔女を殺さず、そいつの中に“封印”したのはなんでだよ!

 “歴史を守る”って言うなら――

 殺すほうが、よっぽど確実だったはずだろ!!」


 男は、深く眉を寄せた。

 ゆっくりと目を閉じ、言葉を探すように沈黙する。


 やがて、覚悟を決めたように目を開いた。


「……わかった」


 静かな声だった。

 だが、その一言に、はっきりと“譲歩”があった。


「君の言う通りだ。

 二人のことは――なんとかしよう」


 レオは、息を呑む。


 男は、視線を逸らさぬまま、続けた。


「ただし――条件がある」


 その低い声音に、レオは無意識に姿勢を正した。


 真剣な眼差しが交わる。


「この結界内は完全に外部から遮断されている。

 声も届かないし、姿も見えない。

 ――ここで見たことは、誰にも話さないでくれ。

 当然、この子の中に魔女を封印したこともだ」


「……わかった。約束する」


 男は細く息を吐き、鋭い視線でレオを射抜いた。


 静かな口調なのに、逃げ場のない圧がある。


「約束を破ったときは……君たちを殺すことになる」


 淡々としているのに、死刑宣告のような重さだった。

 その冷徹な響きに、レオの背筋が凍りつく。


 それでも――レオは目を逸らさなかった。


 震える拳を握りしめ、覚悟のこもった強い頷きを返した。


「それでいい。では……あの二人を今から君の中に封印する。

 封印されている間、命が途切れることはない。

 だが……苦痛は多少和らぐだけで、止むことはない。

 残念だが、これが俺にできる唯一の方法だ。本当にすまない」


 レオは漆黒に染まり、苦しげに喘ぐ二人を見つめた。


 胸が締めつけられるほど痛む。

 それでも、拳を固く握りしめ、決意の瞳で男を見返す。


「それでもいい……頼む。

 二人が助かるなら……その重さは、全部俺が背負う」


 男は静かに頷き、少女の手を引いて二人のもとへ歩み出した。


 レオも慌ててその後を追う。

 男の進みに合わせて、結界もゆっくりと移動していく。


 男が手をかざすと、イオとテオの輪郭が闇に侵食されるようにして揺らぎ始めた。

 まるで“闇そのものが人の形を奪い取っている”かのようだった。


「……よし。こちらへ来て、目を閉じろ」


 男の言葉に従い、レオは一歩前へ進み、ゆっくりと瞳を閉じた。


 自分の選択が正しいのかどうか――それはわからない。

 だが、二人を失う未来だけはどうしても受け入れられなかった。


 次の瞬間、胸の奥に鋭い痛みが走った。

 焼けつくような熱さと、氷のような冷たさ。

 相反する痛みが同時に体内を満たし、レオは思わず膝を折りかけた。


 だがその中に――確かにイオとテオの存在を感じた。

 苦しさの向こうに、ごく微かな安堵が灯る。


 そのとき、男の指先がレオの唇の前にそっと添えられた。

 ふっと、温かな吐息が指先をかすめた。


 柔らかな光がレオの身体を優しく包み込む。


「……これで封印は終わりだ」


 レオはゆっくりと目を開けた。


 胸の内側には、奇妙な感覚が確かに残っていた。

 だが、不思議と嫌悪はなかった。

 そこにあったのは――逃げ場のない重さと、それでも折れない覚悟だけだった。


 ――イオ、テオ……待っててくれ。

   絶対に助けてやるからな。


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