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第76話:魔法競技祭当日――偽りの四属性

 魔女は、修道院の崩れた壁の裏を一巡した。


 だが――どこにも、ヨツビシの姿はない。


 胸の奥に、冷たいものが落ちる。


 ――……また私、男に騙された?


 そう思った瞬間、即座に否定する。


 あの少年の目は、澄んでいた。

 計算も嘘も入り込む余地のない、まっすぐな眼差しだったはずだ。


 けれど――

 過去の傷が、心を引き戻す。


 信じたくても、信じきれない。

 確かめたいのに、確かめるのが怖い。


 魔女は胸元を押さえ、

 しばし、その場から動けずにいた。


 やがて、意を決したように一歩。

 ゆっくりと、壁の陰から姿を現す。





 修道院跡に広がる広場は、不気味なほど静まり返っていた。

 時魔法を扱える女も、エドワードと呼ばれていた男も、どこにもいない。


 代わりに、数人の少年たちが集まっていた。

 真剣な顔で語り合い、何かを決意しているような、そんな空気。


 その中に――


 あの少年――ヨツビシがいた。


 魔女の胸が、ぎゅっと締めつけられる。

 足が止まり、息が詰まる。


「……ああ。そういうこと」


 ひとり、静かに呟いた声は、凍りついていた。

 同時に、魔女の身体を黒い魔力がじわりと包み始める。


 哀しみと、痛み、そして失望――

 行き場を失った感情が渦を巻き、黒い霧へと変わっていく。


 魔女は震える足で一歩、一歩、ヨツビシへ踏み出した。


 その気配に気づいたのか、ヨツビシが振り向く。


 その瞳には――

 逃げ出すでも震えるでもなく、


 覚悟した“男”の目が宿っていた。


 二人の視線が絡んだ瞬間。


 魔女の唇が、小さく震えた。


「……あの告白も全部……芝居だったのね」


 声は震え、今にも消え入りそうだった。

 喉の奥に押し込めていた感情が、耐えきれず零れ落ちる。


「そうよね。

 あんな純粋で綺麗な感情……

 この世に、あるわけないもの……」


 魔女の視線が伏せられる。


「信じようとした私が……

 馬鹿だったのよ……」


 ヨツビシは、すぐには答えなかった。

 拳を強く握りしめ、ほんの一瞬だけ呼吸を整える。


「……確かに、今のは俺たちの作戦だった。

 エドワード公を回収し、

 ヒヨリを救い出すための嘘だ」


 魔女の肩が、わずかに揺れた。


「でもな」


 ヨツビシは、視線を逸らさずに続ける。


「だからって、

 この世に“純粋で綺麗な感情”がないわけじゃない」


 一歩だけ、踏み出す。


「エドワード公は、

 亡くなった奥方の想いと、

 残された子どもたちの未来のために命を燃やした。

 俺たちも、

 ヒヨリを救いたい――それだけだった」


 魔女は、小さく笑った。


 それは、笑みというよりも――

 ひび割れた感情の残骸だった。


「……だからよ」


 伏せたまま、静かに言う。


「そんな感情があるから、

 命を燃やして、みんな死んでしまうのよ」


 ゆっくりと顔を上げる。


「死んでしまったら、どんな綺麗な気持ちだって消える。

 だから、この世に残っているのは――」


 かすれた声。


「……汚れた気持ちだけ」


 魔女は、鋭い視線をヨツビシへ突き刺す。


「あなたたちだって私を騙したわ!

 どんな理由を並べても、人の心を弄んだ事実は消えないの!

 それに……さっきから“魔女”なんて勝手に呼んでるけど……

 私だって人間よ!

 あなたたちと同じ、人間の心が……ここにはあるの!!」


 胸元を掴む指が、震えていた。


 ヨツビシは一歩も引かず、静かに頷いた。


「人間だというのなら――

 自分がしてきたことの重さを背負うべきじゃないのか」


 魔女の瞳が、怒りに揺れる。


「お前が侵略したせいで、奪われた命がある。

 今も、悲しみの中で生きてる人たちがいる」


 一拍。


「その責任から目を逸らして、

 自分の痛みだけを振りかざすのは……

 人間として、身勝手すぎると思わないか?」


 魔女の肩が震えた。


「あなたたちの国がどうなろうと、そんなの私には関係ないの!

 私が知りたいのは、この傷ついた私の気持ちを、あなたたちがどうしてくれるのかってことだけなのよ!」


 その叫びは、痛々しいほど切実だった。


「いっつも……いっつもそう!!

 みんな私ばっかり責めて……!!

 そんなに私が悪いって言いたいの……!?

 じゃあ……私の心はどうなるのよ……!?

 私は……こんなに苦しんでるのに……どうすれば救われるっていうのよ!!」


 その叫びに、ヨツビシは息を呑む。


 言葉を探し、口を開きかけた――その瞬間。


「ああああぁぁぁぁぁ!!」


 魔女が頭を抱え、感情を爆発させた。


「もぉぉぉ……うるっさいっ!

 うるさいうるさいうるさぁーーーいっ!!!」


 魔女は涙をぼろぼろ流しながら頭を抱え込み、

 髪をぐしゃぐしゃに掻きむしり、子供のように絶叫した。


「あなたの正論なんて聞きたくないっ!!

 嫌い嫌い嫌いっ!!

 みんなそうっ……!

 いつだって私の気持ちを踏みにじって!!

 私を拒む世界なんて……ぜんぶ……

 ぜーーんぶ消えてなくなっちゃえばいいの!!」


 右手を掲げた瞬間、黒く淀んだ魔力が爆発的に膨張した。

 大地が軋みを上げ、石畳が弾け、瓦礫が空へと跳ね上がる。


 その異様な“怒りの圧”に、イチヨンセンは誰一人として前に踏み出せなかった。


 ゲンジは顔を青くし、

 オウギは唇を噛み締め、

 タカノハは目を見開いて動揺を隠せない。


「そうすれば……

 もう……誰も……私を傷つけられないんだからぁっ!!」


 魔女の叫びは痛々しく、狂気と哀しみが入り混じっていた。


 ヨツビシは歯を食いしばり、一歩前へ出ると仲間へ怒鳴った。


「来るぞッ!!

 ――全員、備えろ!!」


 四人はすぐさま陣形を整える。

 ヨツビシ、タカノハ、オウギ、ゲンジ――イチヨンセンの四人が一斉に構えた。


 次の瞬間。


 魔女の指先から漆黒の霧が勢いよく噴き出した。

 地を這い、空を裂き、怒りに飢えた獣のように彼らへ襲いかかる。


 「タカノハ!」


 ヨツビシの叫びに、タカノハが瞬時に反応する。

 足元から巻き上がる風が巨大な旋風となり、渦を描いて立ち上がった。


 そこへオウギが火属性、ゲンジが土属性、ヨツビシ自身が水属性の魔力を重ねると、凄まじい規模の竜巻が形成された。


 イチヨンセンだからこそ可能な“合技”――四属性の混合魔力。


 魔女の黒霧が、巨大な竜巻へ突っ込んだ瞬間、

 その禍々しい黒い奔流は、

 四属性の渦に引き裂かれるように勢いを失い、霧散した。


「……あれ?」


 ゲンジが小さく呟いた。


「もっとヤバいかと思ったけど……

 これ、案外いけるぞ……?」


 オウギが自信に満ちた表情で頷く。


 タカノハは強い風を纏いながら、不敵に笑った。


「単純に……俺たちが強いってことだろ!

 このまま攻撃に転換するぞ!!」


 タカノハの号令とともに、激しい気圧差が生まれ――

 四人が放った竜巻は、瞬く間に規模を膨れ上がらせる。


 風は唸り、

 火は竜の咆哮のように燃え上がり、

 土は砕けた岩石を巻き込み、

 水蒸気が白い閃光となって渦の芯を駆け抜ける。


 ――四属性混合、火炎岩竜巻。


 炎の竜が咆哮し、魔女へと襲いかかった。

 その圧倒的な威圧に、魔女の瞳が――

 初めて、はっきりと揺らいだ。


「なっ……!」


 魔女は咄嗟に宙へ跳ぶ。

 だが、竜巻は生き物のように軌道を変え、

 逃げる背を執拗に追い続けた。


 追い詰められた魔女は歯を食いしばり、

 指先を、地へと突き立てる。


 ドッ――!!


 地鳴りが走り、地表が裂ける。

 土属性の魔力によって分厚い岩盤が一気に隆起し、

 巨大な壁となって、炎の竜と魔女を強引に隔てた。


 ヨツビシが思わず息を呑む。


 ――こいつ……土属性まで使えるのか!?


 直後、土壁は火炎岩竜巻と激突し、

 爆音が周囲を引き裂いた。


 火花と土砂が弾け飛び、

 視界は白と黒の煙に塗り潰される。


 それは、あくまで――

 “ほんの一瞬”を稼いだに過ぎなかった。


 だが、その刹那。


 魔女は地割れへと身体を滑り込ませ、

 そのまま地中へ姿を消していく。


「ちっ……逃げられたか」


 オウギが舌打ちする。


 ヨツビシは険しい視線で裂け目を睨みつけた。


「いや、あいつはまだ近くにいる――ゲンジ、地中を探れ!」


「任せろ!」


 ゲンジが地に手を当て、

 土属性の魔力を流し込もうとした――その瞬間。


 ゾワッ――。


 四人の背筋を、同時に悪寒が駆け抜けた。


「……違う」


 ヨツビシの瞳が見開かれる。


「――上だ!!」


 その叫びと同時に、

 頭上から“漆黒の風刃”が雨のように降り注いだ。


 四人は即座に防御壁を展開する。


 タカノハが風、

 ヨツビシが水、

 オウギが火、

 ゲンジが土――。


 しかし黒い風刃は予想を遥かに超えた速度で落ち、

 防御展開が“わずかに遅れた”。


 ガギィィィィンッ!!


 重ね合わせた防御壁は悲鳴を上げ、火花を散らしながらも何とか攻撃を弾いた。


 だが衝撃で四人は一歩、二歩と後ろへ弾かれてしまう。


「くっ……!!」


 ヨツビシの胸に、嫌な予感がひりつくように走った。


 先ほどまで“漆黒の霧”に頼っていた魔女の攻撃が――

 速度と切れ味に特化した“風の刃”へと切り替わっている。


 つまり、魔女は戦い方を変えてきた。


 そして頭上には――。


 地中に逃げたはずの魔女が、いつの間にか空中に浮かんでいた。


 その周囲には漆黒の風が渦巻き、

 まるで最初からそこに存在していたかのように――移動した気配すらない。


 戦場に、一瞬だけ異様な静寂が落ちる。


「……時魔法か」


 タカノハが苦々しくつぶやいた。


 魔女はゆるく唇の端を持ち上げ、愉しげに囁く。


「驚いたわ。あなたたち、一人一属性しか使えないはずなのに……

 まるで四属性を同時に扱っているみたいじゃない。

 本当に――面白い子たちね」


 だがその声音は、じわじわと温度を失い、鋭さを帯びていく。


「でもね、あなたたちには――致命的な欠点があるのよ」


 魔女の周囲で揺らめいていた漆黒の風が、一気に収束し、

 鋭い“黒刃”へと変貌する。


「それはね……属性を重ねる、その一瞬の隙よ!」


 空気が悲鳴を上げる。

 黒刃が音を置き去りにして迫る。


 ヨツビシの額を、一筋の冷汗が伝った。


 ――くそっ、嫌な予感が当たった……!


 必死に防御壁を重ねようと魔力を駆け巡らせる。


 しかし――風魔法は全属性中、最も速い。

 やはりイチヨンセンの“偽りの四属性”防御展開は、ほんのわずかに遅れた。


 その“一瞬の遅れ”こそが、魔女が狙っていた“死角”だった。


 次の瞬間――

 四人の身体に、衝撃が叩き込まれる。


 爆音とともに全員が宙へ弾き飛ばされ、

 地面を転がり、砂煙が激しく舞い上がった。


 固まっていた隊列は崩れ、

 四人の身体は、無残にバラバラへと散らばっていった。


「しまった……!」


 タカノハの焦り混じりの呻きが、

 状況の深刻さを残酷に告げていた。


 魔女は優雅な動きで、ふわりと地面へ降り立つ。


 足音すら立てない静かな着地。

 軽く乱れた髪を指先で払い、その唇には人を嘲るような冷たい微笑み。


「あらあら……ずいぶん離れちゃったわね?

 これじゃあ――せっかくの得意な“連携”も意味がないんじゃないかしら?」


 くすり、と静かな笑い声が響く。


 その声音は、ただの嘲笑ではない。

 “遊び”にすらならない相手に向けた、退屈と残酷の混ざった音色だった。


 ヨツビシは右足に走る激痛に顔を歪めていた。

 地面に手を突いて立ち上がろうとするたび、

 足首から鋭い痛みが脳天まで突き抜け、身体が痙攣するように拒む。


 タカノハも地面に手を突きながら息を荒げ、

 オウギは震える脚でどうにか立ち上がろうとしている。

 ゲンジは歯を食いしばり、膝を押さえながら必死に踏ん張っていた。


 ヨツビシの額から流れ落ちた汗が、頬をつぅ……と滑り落ちる。


 ――まずい。

   この距離じゃ……連携が組めない……!


 頭の中で何度も作戦を組み立てては崩れ、

 激痛と焦りで思考が空回りする。


 仲間たちの荒い息遣いが耳の奥で反響し、

 心臓は嫌になるほど激しく打ち鳴らされていた。


 魔女は楽しそうに、

 地面へ倒れ伏す四人をゆっくりとなぞるように見渡す。


 その瞳には――

 勝利を確信した捕食者の“残酷な喜び”が宿っていた。


 完全な静寂が広場を支配した。

 それは、石の破片が風に転がる音すら聞こえるほど、凍りつくような静けさだった。


 そして――その静寂を破るように、

 魔女の冷ややかな声が甘く囁くように響く。


「――ねぇ、誰から殺してほしい?」


 唇がゆっくりと、愉悦に歪む。


「……決められないなら――私が“選んであげる”けど?」


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