第73話-2:魔法競技祭当日――真実の時
――見下ろされているのは、ヒヨリの方だった。
「あら。あなた……“時魔法”を使えるのね?
この世界で、それを扱える者を見るのは――初めてよ」
「……時魔法?」
ヒヨリは、呆然とその言葉を繰り返した。
胸の奥がざわりと揺れ、
封じ込めていた記憶が、堰を切ったように溢れ出す。
何度も、何度も――
同じ世界をやり直してきた時間。
誰にも理解されず、誰にも語れなかった、孤独な記憶。
「もしかして……
私が、過去に戻れていたあれって……」
喉がひくりと鳴る。
「……時魔法、だったの……?」
その震える問いに、
魔女の口元が、ゆっくりと歪んだ。
「ふふ……。
そんなことまで、できていたわけ?」
愉しげな声音。
まるで“珍しい玩具”を見つけたかのような目。
「面白いことも、あるものね」
虚ろな瞳が、
ヒヨリの心の奥底を、値踏みするように覗き込む。
鼓動が、痛いほど早まった。
ずっと――
自分は“光属性”だから、時間を巻き戻せたのだと思っていた。
世界を救う役目を背負った存在だから、
その代償として、苦しまなければならないのだと。
でも、もし。
――それが、すべて勘違いだったとしたら。
魔女は楽しげに、指先で宙をくるりとなぞった。
「いい?
“時間”っていうものは、本来――
個人が好き勝手に使っていいものじゃないの。
他人と共有しているからこそ、
時魔法には厳しい制約がある。
『時間が戻された』なんて気付かれるような、
そんな目立つ使い方は、絶対に許されないのよ」
冷ややかな瞳がヒヨリを射抜き、魔女はくすりと笑う。
「でもこの世界には、
“時魔法”という概念そのものが存在しなかった。
だから――誰にも気づかれない。
素人のあなたでも、好き放題に使えてしまった、ってわけね」
その言葉を聞いた瞬間――
胸の奥に重く積もっていた
“特別であることの重荷”が、
音もなく、崩れ落ちていくのを感じた。
まるで、
ずっと背負わされていた何かが、
最初から存在しなかったかのように。
「私は……“特別”なんかじゃなかったんだ……」
光属性だから世界を救わなければならないという思いも。
誰にも言えず、ひとりで時間を巻き戻し続けた孤独も。
時間を戻す力を失ってしまったことへの、終わらない罪悪感も――
すべてが、
ただの“思い込み”だったのだと、ようやく腑に落ちたとき、
胸の奥に、ふっと温かい息が流れ込み、
肩から、力が抜けていった。
息苦しさに縛られていた“特別”は、もうどこにもない。
ヒヨリの瞳に宿ったのは、
迷いではなく――
未来へと続く、確かな光だった。
「そう……だったんだぁ……」
深く息を吸い込む。
そしてヒヨリは、魔女の歪んだ笑みに正面から視線を返した。
その眼差しに宿るのは、
“与えられた使命”ではなく、
“自分で選び取った道”を歩む者の、静かで揺るぎない強さ。
「……その目。
結局、あなたも私を拒絶するのね。
みんな……同じだわ……」
魔女の笑みが、音もなく凍りついた。
歪んだ唇が嫌悪を刻み、伏せた睫毛が影を落とす。
「正直……あなたと今、戦うのは避けたかったのだけれど」
次の瞬間――。
魔女の指先から、漆黒の霧が爆ぜるように噴き出した。
生き物めいて渦を巻き、ヒヨリへ一直線に襲いかかる。
「っ……!」
ヒヨリは反射的に跳ぶ。
間一髪、黒い霧が足元をかすめた。
触れた草は、一瞬で灰に崩れ落ちる。
冷たい汗が背筋を伝う。
ヒヨリは即座に魔力を凝縮し、魔女を見据えた。
だが魔女は、動じない。
痛ましげな微笑みを浮かべたまま、淡々と告げる。
「逃がさないわ……。
私を傷つけた“責任”、
ここで、取ってもらうんだから」
魔女の身体から、巨大な魔力が溢れ出す。
空気がたわみ、歪み、空間そのものが軋み始めた。
「さあ――
避けられるものなら、避けてみなさい」
魔女は大きく腕を振り上げ、
漆黒の霧を、奔流として撃ち放った。
大気が裂ける。
だがヒヨリは、迷わない。
魔女が大きく動く――この一瞬を、待っていた。
――今しかない……!
時魔法。
魔力が爆ぜるように解き放たれ、
次の瞬間――ヒヨリの姿が掻き消えた。
移動ではない。
“時間を跨いだ”のだ。
魔女の背後へ――。
「……終わらせるッ!」
風を刃へと変えた右手を、
ヒヨリは迷いなく、魔女の背へ突き込んだ。
――その瞬間。
「……やっぱり、来たわね」
愉悦を含んだ声。
振り向きざまに叩き込まれた黒い掌撃が、
至近距離からヒヨリの胸を撃ち抜いた。
「がっ――は……っ!」
視界が反転する。
肺の空気が、一気に吐き出された。
身体は宙を舞い、
地面へ叩きつけられ、何度も転がった。
砂が舞い、肺が焼け、
全身を貫く激痛。
――嘘……。
呼吸が、できない。
吸おうとしても、喉が閉じたように空気が入らない。
胸が、焼けつくように苦しかった。
視界の端で、魔女がゆっくりと歩み寄ってくる。
優雅で、楽しげで――あまりにも余裕のある足取り。
「時魔法にはね――決定的な欠点があるの」
魔女の声が、すぐ傍で響く。
ヒヨリの全身は痺れ、
力が抜け落ちていく。
指先ひとつ、動かせない。
「時を超えた直後って、どうしても“動きが鈍る”の。
つまり――必ず隙ができるってことよ」
その言葉が、胸の奥で噛み合った。
――誘われた……?
最初から……この一撃を、打たせるために……?
くすくすと笑う声。
その瞳は、残酷な興味に濡れていた。
「そんな危険な魔法を、
私みたいな相手に使うなんて……」
魔女は、わざと間を置いてから告げる。
「――ほんと、無謀よねぇ?」
胸の奥が、音を立てて崩れた。
――失敗した……。
時魔法を“知っている相手”に、
時魔法を使うなんて……!
魔女はしゃがみ込み、
ヒヨリの顔を覗き込む。
「あらぁ……いい顔。
とっても悔しそう……それに、苦しそう……」
楽しげな吐息。
「ふふ。かわいそう」
その言葉が、冷たい刃となって突き刺さる。
「でも、仕方ないわよねぇ?
“私を殺そうとした”罰なんだから」
ゆるりと右手が掲げられ、
指先に禍々しい黒の魔力が静かに収束していく。
ヒヨリは必死に身体に力を入れようとした。
でも――指一本すら動かない。
視界が霞み、
音が遠ざかり、
世界が静かに色を失っていく。
――あぁ、やっと普通の女の子として、生きられると思ったのに……。
その想いが胸に浮かんだ瞬間、
指先に灯ったかすかな光が、
風に吹かれた蝋燭のように揺れ、消えかけた。
――普通に生きて……みたかったなぁ……。
魔女の表情は、完全な恍惚へと染まっていた。
歪んだ笑みがゆっくりと深まり、
ヒヨリの終わりを慈しむように、黒い指先がすっと持ち上がる。
「じゃあ――バイバイ」
冷酷な別れが、鈴のように響いた瞬間――
黒い指先が、ヒヨリへと向けられた。




