第73話-1:魔法競技祭当日――真実の時
長くなったので二話に分けます。
空中を猛烈な勢いで突き進む魔女。
「止まりなさい!」
ヒヨリの叫びは空を裂いたが、魔女は一切振り向かない。
抱えられたエドワードの身体が、飛翔の衝撃に耐えきれず、だらりと揺れた。
「止まりなさいって――言ってるでしょうッ!!」
ヒヨリが三属性の混合魔力を解き放つ。
世界が、震えた。
膨張した空気が焼けつくようにうねり、
地面の土が砕け、粉塵となって舞い上がる。
それらが風の奔流と絡み合い――
凝縮された“暴風の塊”となって、魔女に叩きつけられた。
まるで巨大な壁が迫るかのような圧力。
「っ……邪魔をするなぁ……!!」
魔女もまた、黒い霧を纏った風を逆巻かせて迎え撃つ。
両者の魔力が正面から激突し――
大気そのものが悲鳴を上げるような轟音が炸裂した。
一瞬、拮抗。
だが――
黒い霧が、徐々に押し返されていく。
――押せる……っ!!
ヒヨリは迷わず、さらに魔力を叩き込んだ。
暴風は密度を増し、重さすら帯びたかのように唸りを上げ、
黒い霧ごと、魔女の身体を飲み込まんと迫る。
魔女の瞳が驚愕に揺らぐ。
「ぐ……っ!」
ついに魔女は身を翻し、地上へと降り立った。
着地と同時に大地が爆ぜ、砂塵が跳ね上がる。
それでも――
魔女は苦々しい表情のまま、エドワードの身体を強く抱き締め、
決して、手放そうとはしなかった。
ヒヨリも砂塵の中へ降り立つ。
煙がゆっくりと晴れ、互いの視線が正面からぶつかり合う。
「……あなた。
エドワード公を抱え、あの子たちを追って――
一体、何が目的なの?」
ヒヨリの声は静かだった。
だが、その奥には、逃げ場のない鋼の冷たさがあった。
魔女は髪を振り乱し、甲高い声で笑った。
「決まってるじゃない!!
この人を殺した“あのガキども”を――
この手で、全部殺すためよ!」
そして、唐突に言葉を切り替える。
「……それより、あなた。
いったい、何者なの?」
その瞬間、魔女の瞳が揺らぎ、
次いで“何かを思いついた子供”のように、歪んだ笑みが浮かんだ。
「あ……わかったぁ~。
もしかして――この人を、奪いに来たのねぇ?」
魔女は、楽しそうに肩をすくめる。
「でも、ざぁんねぇん。
この人はね――私のために、死んでくれたのよ」
ヒヨリを舐め回すように見下ろし、
勝ち誇った笑みを浮かべたまま、腕の中のエドワードを抱き寄せる。
まるで恋人に縋るかのように、頬を寄せ――
冷え始めたその身体へ、恍惚とした吐息を落とした。
ヒヨリの瞳が、氷のように細く冷たくなる。
「エドワード公は、あなたのために死んだわけじゃない。
……さっきから、勝手なことばかり言わないでもらえるかなぁ!!」
その言葉に、魔女の瞳が激しく震えた。
「……嘘。
嘘よ。
嘘、嘘嘘……!!
そんなの……認めない……!!」
かすれた声。
震える唇。
浅く乱れる呼吸。
狂気は、悲痛へと形を変えていく。
だが、ヒヨリは退かない。
「エドワード公が心から愛していたのは――亡くなった奥方だけ。
そして公は、“子供たちを守るために”命を懸けたの。
あなたのためなんかじゃない」
その瞬間、魔女の表情から――すべてが消えた。
激情も、怒りも、悲しみも。
ただ、底の抜けた空虚な瞳だけが残る。
「……なーんだ。
つまらない」
次の瞬間。
魔女は腕の中のエドワードを、
“興味を失った玩具”のように、無造作に放り投げた。
エドワードの身体は宙を回転し、
地面へ叩きつけられ、無惨に転がった。
「――っ!」
ヒヨリは視線を魔女から逸らさぬまま、
一気に距離を詰め、エドワードのもとへ膝をつく。
指先を、首筋へ。
――冷たい。
そこに、命の鼓動はなかった。
「……エドワード公……」
胸を切り裂くような痛み。
――だが、それは叫びにならなかった。
代わりに、ひとつの結論が、静かに胸に落ちた。
ヒヨリは立ち上がり、
研ぎ澄まされた視線を、魔女へ向ける。
瞳の奥に宿るのは――
揺るぎない覚悟と、凍りつくような怒りだった。
そんなヒヨリを見下ろしながら、魔女はひどく冷淡な声で言い放った。
「勘違いしないでもらえるかしら?
その男を殺したのは私じゃない。――勝手に死んだだけよ」
あまりに軽いその言葉に、大地の色まで凍りついたように思えた。
魔女は興味を完全に失ったかのように肩をすくめ、
くるりと背を向けて歩き出す。
「待ちなさい!」
ヒヨリの鋭い声が、冬の空気を切り裂いた。
その一言で、魔女の足がぴたりと止まる。
「……なによ」
面倒そうに振り返る瞳には、苛立ちすら浮かんでいなかった。
「あなたは、本当に“魔女”なの?」
息を整えながら、ヒヨリは静かに問いを投げた。
魔女は一瞬だけ、奇妙な表情を浮かべる。
それは微かな懐かしさを帯びた、苦笑にも似たものだった。
「ああ……そんなふうに呼ばれていたことも、あったかもしれないわね。
でも、こんな場所に来た覚えはないし……
あなたが生まれるより、ずっと昔の話だと思うけれど」
魔女は首を傾げ、淡々と続ける。
「それなのに……どうして、私のことが分かったのかしら?」
底の見えない声音。
感情の起伏はなく、ただ事実を並べているだけだった。
ヒヨリは拳を強く握りしめる。
「あなたがこの国を襲ったせいで……
エドワード公は、ずっと苦しんだんです!」
一拍、息を詰めて。
「それだけじゃない……。
この国で生きてきた、たくさんの人たちも……
私自身も……!」
抑えていた感情が、言葉になって溢れ出る。
「すべての苦しみは、あなたから始まったの……!!」
その叫びに、魔女はゆっくりと目を閉じた。
まるで、退屈な昔話を聞かされているかのように。
やがて開かれた瞳には――
何も、なかった。
「……そんなこと、私の知ったことじゃないわ」
心の底から、どうでもいい。
その声音は、感情を断つ刃となって、ヒヨリの胸を深く貫いた。
魔女は、再び背を向ける。
未練も、興味もない――そう言わんばかりに歩き出した、その瞬間。
「悪いけど――ここで死んでもらいます」
言葉が終わるより早く、
ヒヨリの全身から爆発的な魔力が噴き上がった。
空気が震え、風が一点へと収束する。
次の刹那――ヒヨリの姿が、視界から消えた。
空間を跳ぶ、というより、
“そこにいた時間そのものが存在しなかった”かのように。
次の瞬間には、すでに魔女の背後。
「……えっ?」
魔女が気配に反応し、振り返ろうとした――
だが、その判断は、ほんの一拍、遅かった。
「遅い……っ!」
ヒヨリの右腕が、風の刃を纏って閃光のように走る。
確かに、捉えた。
――はずだった。
刃は、何の手応えも残さず、虚空を裂いた。
意味を失った風だけが、静かに散る。
「……っ!?」
ヒヨリの目が見開かれる。
“斬った感触がない”と理解するまで、
思考が一拍、遅れた。
その瞬間――
はるか上空。
まるで最初からそこにいたかのように、
魔女が、静かに佇んでいた。
穏やかな姿。
興味深そうな視線。
――見下ろされているのは、ヒヨリの方だった。




