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第72話:魔法競技祭当日――決意の空へ

 エドワードが魔女の前に倒れ伏した、その刹那。

 少し離れた草むらが、微かに揺れた。


 そこには、諜報部隊・七が息を殺して潜んでいた。

 隊員は目の前で起きた惨状に青ざめ、震える手で通信機を掴む。


「こちら諜報部隊・七――!

 “戦闘訓練場・一”にてガブリエウとの戦闘は終結。

 しかし――例の少女付近に、正体不明の人物が突如出現!

 エドワード公が単独でこれに突撃しましたが――攻撃はまったく通じず!

 公は現在、生死不明!

 ガブリエウおよびパイヤンは本部へ退却中!

 状況は、極めて深刻です! 本部、至急の対応を要請します!」





 通信が途切れた瞬間、作戦本部に重苦しい沈黙が落ちた。


「エドワード公が……正体不明の存在に突撃し、生死不明……?」


 総指揮代理カエイの声が、わずかに揺れた。

 一瞬、隠し切れない動揺が瞳をよぎる。

 胸の奥に、冷たい予感が走った。


 だがカエイは、すぐに深く息を吸う。

 迷いを断ち切るように、視線を鋭く引き締めた。


 通信機を握り、低く、しかし明確な声で命じる。


「諜報部隊・七、報告を確認した。

 本部より全部隊へ一斉通信。

 “戦闘訓練場・一”に新たな敵性存在を確認。

 周辺の乙種部隊は接触を回避。

 敵の偵察および情報収集を最優先とせよ。


 また、退却中のガブリエウおよびパイヤンに合流可能な部隊は、

 直ちに援護に向かえ」


 通信を切ると、カエイは重く息を吐き、隣に立つエンジャクへ視線を向けた。


「エンジャク、残存戦力の状況は?」


「イチイセンが健在だ。だが現在は地下牢にて陛下の護衛中。動かすことはできん」


「他は?」


「即応可能なのは……シシンのみだ。

 他の部隊は戦闘不能、あるいは出撃不可。

 イチヨンセンはあれから応答がなく……おそらく全滅だ。

 ただし――イチゴセンが、間もなく復帰できるかもしれん」


「イチゴか……」


 カエイがその名を低く呟いた、その瞬間だった。


 通信機が鋭く鳴り、専用回線が開く。


『こちら諜報部隊・十三――!

 ガブリエウおよびパイヤンとの合流に成功!

 正体不明の敵の正体を確認!

 ――魔女だ!

 エドワード公が、そう断言したとの情報を得た!

 繰り返す、敵は魔女!』


 空気が、凍りついた。


 誰も動かない。

 言葉も、呼吸も、そこで止まった。


「……魔女、だと……?」


 誰かの喉を絞るような声が、ようやく漏れる。


「結界が……破られた、というのか……?」


「ありえん……魔女が、なぜここに――」


 その瞬間――

 扉が激しく開く音が響いた。


 険しい表情のシシンが、作戦本部へ飛び込んでくる。

 その横には、ヒヨリの姿もあった。


「魔女とはどういうことだっ! 状況を説明してくれ!」


「シシン……!」


 カエイは一瞬だけ息を詰め、

 すぐに向き直った。


「“戦闘訓練場・一”にて、新たな敵性存在を確認。

 その人物について、エドワード公が“魔女”と断言したそうだ」


 その言葉を聞いた瞬間、シシンの表情が凍りつく。


「公は単独で突撃を試みたが……攻撃は通じず、

 現在――生死不明だ」


「……エドワード公が……」


 その名を口にした刹那、

 地下牢で交わした視線が、鮮明に脳裏へ蘇った。


 シシンは唇を強く噛み、ゆっくりと視線を落とした。

 身体に残る結晶の傷が、じわりと疼く。


 その沈黙を破るように、

 隣で黙っていたヒヨリが小さく息を吸った。


「……私が行きます」


 静かな声だった。

 だが、その瞳には迷いがなかった。


「ヒヨリ……?」


 シシンは思わず顔を上げる。


「俺も行こう」


 反射的に踏み出した、その瞬間。

 身体を貫く鋭い痛みが、無情にも膝を崩れ落とした。


「――くっ……!」


「シシン君は駄目だよ!」


 ヒヨリが咄嗟に腕を伸ばし、

 崩れかけた身体を、確かに支えた。


「そんな傷で動けるわけないよ。

 お願いだから……ここで待っていて……ね?」


 穏やかな声だった。

 けれど、そこには譲らない意志があった。


 シシンは拳を強く握りしめる。


 痛みではない。

 “動けない自分”という現実が、胸を焼いていた。


「しかし、このままお前を一人で行かせるわけには……!」


「大丈夫。

 だって――私は光属性なんだよ?」


 ヒヨリは耳元でそっと囁いた。


 その声は、胸の奥深くまで染み渡るように穏やかで、

 それでいて不思議なほどの力強さを帯びていた。


 そのとき通信機がふたたび鋭く鳴り、専用回線が開いた。


『こちら諜報部隊・七――!

 正体不明の人物がエドワード公を抱え、高速で移動中!

 進路上には、退却中のガブリエウおよびパイヤン!

 追跡を開始した可能性が高い!

 本部、緊急対応を要請する、至急――!』


 報告が終わるより早く、ヒヨリの瞳に静かで揺るぎない決意が宿った。


「大丈夫……! 私が行くから。

 シシン君は、本部で指揮を執って」


 シシンは息を呑み、苦渋に満ちた表情で数瞬を過ごしたのち、

 ぎり、と奥歯を噛みしめ――小さく頷いた。


「……わかった。だが絶対に無理はするな、ヒヨリ」


「うん!」


 ヒヨリは力強く答え、ためらいなく駆け出した。

 扉が開き、閉じるまでの一瞬だけ、風を切る音が本部の空気を震わせる。


 その背中を見送りながら、シシンは再び拳を握りしめる。


 指揮官として、感情を表に出すわけにはいかない。


 深く息を吸い込み、胸中の渦を、無理やり押し込めた。


 そして鋭い視線をカエイへ向ける。


「……カエイ、悪いが――ここからは俺が指揮を執る」


 静かな頷きとともに、指揮権は即座にシシンへと移った。


 シシンは通信機を起動し、低くも揺るぎない声で一斉通信を発する。


「本部より一斉通信――。

 “戦闘訓練場・一”に出現した魔女は、退却中のガブリエウとパイヤンを追跡中。

 現在、ヒヨリが救援へ向かっている。


 周辺の乙種諜報部隊は潜伏を維持し、

 ヒヨリと魔女が接触次第、両者の音声を確実に拾えるよう通信網を展開せよ。


 諜報部隊・七は現場に残された少女を確保し、安全最優先で本部へ帰還せよ」


『諜報部隊・七、了解!

 少女を確保後、速やかに帰還する!』


 本部の空気は、まるで張り詰めた糸の上に立つかのように緊張しきっていた。


 戦力は絶望的なまでに不足している――。

 今は、ヒヨリを信じるしかない。


 シシンは唇を固く結ぶ。


 結晶に裂かれた傷口が、まだ熱を帯びて疼いていたが、

 シシンは眉一つ動かさず、通信機へと意識を戻した。





 ヒヨリは作戦本部を飛び出すと同時に風を纏い、軽やかに宙へ浮かんだ。

 そのまま“戦闘訓練場・一”の方向へと一直線に飛翔する。


 外壁を越えた瞬間――地上を疾走する一団が目に入った。


 先頭を走るのはパイヤン。

 風の魔力を全身に巡らせ、必死に速度を上げている。

 その背には、ぐったりと意識を失ったガブリエウ。


 周囲には、数名の乙種諜報部隊の隊員が護衛として並走していた。


 そしてその場所は、奇しくも――グロリア修道院の跡地だった。


 状況を瞬時に把握したヒヨリは速度を緩め、上空から呼びかける。


「パイヤン君、そのまま進んで!

 魔女は私が引き受けるから!」


 空を見上げたパイヤンは、一瞬だけ驚きに目を見開き、

 すぐに安堵の色を滲ませた。


「え……ヒヨリさん……!? 戦線に復帰できたんですね……!

 よかった、本当に……よかった……!

 ですが相手は魔女です! あのエドワード公の攻撃すら通じなかったんです!

 どうか……くれぐれも油断なさらないでください!」


「うん、わかった! ありがとう!」


「どうか、ご無事で……!」


 パイヤンは強く頷き、

 祈るような眼差しでヒヨリを一度だけ見上げると、

 さらに速度を上げて駆け抜けていった。


 ――そして。


 遠方から、不穏な気配をまとった黒い影が近づいてきた。


 それはぐったりとしたエドワードを抱えた魔女の姿だった。

 空中を高速で進んでいる。


 ヒヨリの表情が静かに引き締まる。

 迷いのない瞳が、真っ直ぐに魔女を捉えた。


 突風が止み、空気が張りつめる一瞬――

 ヒヨリは凛とした声で告げる。


「止まりなさい!!」


 世界が一瞬、音を失った。


 その短い静寂の中で、

 ヒヨリの胸には、静かで燃えるような――消えることのない決意が宿っていた。


 ――もう、これ以上……誰も傷つけさせはしない。


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