第64話:魔法競技祭当日――諜報部隊・五
「こちら諜報部隊・五――!!
王血館、敷地内の墓地付近でヒヨリさんから攻撃を受けています!
指示をお願いします!」
通信機に叩きつけるように報告するミヤコの声は、明らかに切迫していた。
隣では、カイトが荒い息を整えながら、不気味なほど静止したままのヒヨリを睨み据えている。
その周囲だけ、風が不自然に渦を巻き、空気が軋んでいた。
◇
王血部隊・乙種として諜報部隊・五を任されている双子は、
例の少女を捜索中のニイチセンとニイニセンを支援するため、
訓練場周辺の索敵任務に就いていた。
その任務の途中、王血館の敷地内で見つけたのは――
墓前に立ち尽くし、無言のまま動かないヒヨリの姿だった。
その表情は冷たく、瞳には生気がない。
「ヒヨリさん……?」
カイトが恐る恐る声をかけた、その瞬間――
ヒヨリの身体が、かすかに震えた。
次の刹那、敵意を孕んだ魔力の奔流が解き放たれる。
空気が爆ぜ、風が唸る。
二人は反射的に飛び退いたが、
地面を抉る衝撃波が、背後を凄まじい勢いで駆け抜けた。
◇
そして――現在。
『待て……ヒヨリが本当に攻撃しているのか!?
諜報部隊・五、状況が理解できない!』
作戦本部から響くカエイの声にも、混乱と動揺が滲んでいた。
だが、カイトもミヤコも、その通信に応じる余裕はなかった。
さっきまで遠くで静止していたヒヨリが、突風のような勢いで動き出していたのだ。
全身を包む風の奔流が砂塵を巻き上げ、猛烈な勢いで距離を詰めてきている。
右手には、空気が震えるほどの魔力が凝縮されている。
――……速すぎる!
ミヤコは息を呑み、即座に判断を下す。
「カイト、防御壁だ! 二人の呼吸を合わせるんだっ!」
「了解!」
双子の魔力がほぼ同時に爆ぜた。
鼓動が重なり、呼吸が一つになる。
その瞬間――体内の魔力回路が共鳴を始めた。
一卵性ボーナス。
血の奥底で、同じリズムの鼓動が響く。
熱と圧が全身を駆け巡り、魔力が一気に膨れ上がる。
乙種所属でありながら、カイトには火の加護があり、ミヤコには土の加護がある。
いずれも属性値は高く、一卵性ボーナスによる魔力増幅も見込める。
本来なら、甲種に配属されてもおかしくない実力だ。
だが、二人とも魔法器を二つしか持っていなかった。
甲種は三つ以上の魔法器を持つ者が選抜される。――多様な戦術に対応する“柔軟性”が求められるからだ。
その条件を満たせず、乙種に留められた。
けれど今この瞬間、
誰も彼らを“支援要員”だとは思わないだろう。
カイトの炎が轟音を立てて渦を巻き、
赤々と燃え盛る防御陣を描く。
ミヤコはすぐさま地面に手を突き立て、
大地の魔力を呼び覚ます。
震える地面から隆起した土壁が炎を包み込み、
焼かれながらもさらに硬度を増していく。
炎と土が互いを鍛え合うように融合し――
燃える岩のごとき土壁が、巨大な障壁として姿を成した。
しかし次の瞬間。
轟音とともに爆炎が防御壁を飲み込んだ。
耳をつんざく衝撃が走り、視界が真紅に染まる。
壁はかろうじて形を保ったが、表面は激しく揺らぎ、衝撃波によって足元が揺れ動いた。
肌を焼くほどの熱風と内臓を震わせる衝撃が同時に襲いかかる。
「ヒヨリさん……! どうして俺たちを攻撃するんですか!?」
カイトの叫びには、怒りよりも戸惑いが濃く滲んでいた。
だが、返答はない。
煙が風に流れていく――だがそれは、明らかに逆方向へ。
ミヤコの背筋を、冷たい違和感が走った。
「カイト、後ろだッ!」
警告とほぼ同時に、背後から爆発的な風圧が襲う。
振り返ったカイトの視界に、
風を纏ったヒヨリの姿が、疾風のごとく迫っていた。
周囲の草木が千切れ、土が舞い上がる。
その軌跡は、まるで嵐そのものだった。
カイトは反射的に炎を放ち、
同時にミヤコも土の魔力を重ねる。
二人の攻撃が完全に同期し、衝突点で爆光が激しく弾けた。
圧縮された炎と土が爆ぜ、無数の破片と衝撃波が四方へと拡散する。
地面が鳴動し、空気が震えた。
「ば、ばかやろ……ミヤコ、やりすぎだ!
ヒヨリさんが死んじまうぞ!!」
カイトの声が裏返る。
顔は青ざめ、瞳が焦りに揺れていた。
だが、ミヤコは額の汗を拭うこともせず、
煙の向こうを鋭く睨み続けている。
「カイト、俺たちが相手にしているのは、あのヒヨリさんだよ。
僕たちの一撃で致命傷を負うような相手じゃない。
それより今――
僕たちは生き残れるかどうかの瀬戸際にいるんだ。一瞬も気を抜くなよ」
その言葉にカイトは唇を噛み、再び構えを取った。
やがて、煙が晴れる。
そこには、風と火を纏いながら立つヒヨリの姿があった。
虚ろな瞳。無表情。
だが、その視線だけは冷たく、確実に二人を捉えていた。
「あの目……俺たちを認識しているのかも怪しい。
カイト、あれはおそらく精神操作だよ。市街地で見た民衆よりも、ずっと深く、複雑な魔法をかけられているんじゃないかな」
「精神操作だって……!? そんなもの、どうやって止めればいいんだよ!」
カイトの声が震えた。
焦りと恐怖が入り混じり、喉がひりつく。
「……戦闘から離脱しよう。
俺たちの任務は甲種の支援だ。ヒヨリさんを甲種から遠ざけるように誘導する」
ミヤコがそう言った、その時――
腰に取り付けてあった通信機から、鋭い声が割り込んだ。
『甲種部隊長シシンより、全部隊へ通達。
エドワード公とヒカルは無実だ。繰り返す――両名は無実である。
各隊、両名と接触次第、その行動を全面的に支援せよ!』
通信は続く。
『それからヒカル!
新魔法“モラタ”を使用した状態なら、支援が可能なはずだ!
すぐに諜報部隊・五の救出に向かえ! 俺もすぐに合流する!』
――ヒカルが来る。
ベイグレッド(モラタ)が犠牲になった、あの事件以降。
図書館に籠り切ったかと思えば、第一貴族エドワード公のもとで修行するようになり、
まともに言葉を交わす機会もなくなっていたヒカルが――今ここへ向かってくる。
その予想外の言葉に、カイトとミヤコは思わず顔を見合わせた。
わずかに口元が緩む。
だが、その刹那。
風が唸りを上げた。
ヒヨリの纏う魔力が一気に膨れ上がり、
爆ぜるように周囲の空気を弾き飛ばした。
――しまっ……!!
ミヤコは反射的に魔力を叩き込む。
地面を割り、巨岩の壁を瞬時に隆起させた。
カイトも同時に動こうとする――が、
わずかに遅れた。
岩壁に炎を重ね、硬化させる前に、
ヒヨリの身体が閃光のように突き抜けた。
轟音。
防壁が粉砕される。
破片と衝撃波が嵐のように巻き起こり、
カイトとミヤコの身体を容赦なく叩きつけた。
地面が軋み、空気が唸る。
二人は何度も転がりながら、土煙の中へと消えた。
その時――ミヤコの通信機から、勢いのある声が飛び込んだ。
『こちらヒカルっ! 直ちに諜報部隊・五の救出に向かいますっ!!』
カイトは必死に顔を上げた。
通信の声に誘われるように、ヒヨリが倒れ伏したミヤコへと狙いを定めるのが見えた。
右手を掲げ、その指先に灼けるような魔力が凝縮していく。
「ミヤコォォォッ!!」
カイトは絶叫しながら立ち上がる。
だが、ヒヨリの腕はすでに振り抜かれていた。
閃光――そして爆炎。
ミヤコは目を見開いたまま、防御の構えを取る間もなく業火に呑まれる。
悲鳴が響き、炎が肌を焼き、空気が裂けた。
「――てめぇぇぇっ!!!」
怒りがカイトの全身を貫いた。
胸の奥で、何かが弾ける。
魔力が逆流するように暴れ出し、体の芯を灼く。
「ミヤコに何しやがった! 絶対許さねぇっ!!」
双子の絆が痛みと怒りに反応し、一卵性ボーナスが暴走的に発動した。
抑えきれぬ魔力が体内から溢れ出し、全身を真紅の炎で包み込む。
地面が焦げ、空気が沸騰した。
「許さねぇ……絶対に許さねぇ……!」
カイトが踏み出すたびに、足跡が黒く焦げ付く。
その異様な気配を察知し、ヒヨリはすぐに後退。
両手を掲げ、風と炎を圧縮して混合防御壁を展開した。
だが、カイトの瞳はもう理性を映していなかった。
そこにあるのは、怒りと恐怖が混ざり合った、歪んだ光だけ。
「っんなもん、灰にしてやる……!!」
咆哮とともに、灼熱の奔流が放たれる。
炎の渦が何重にも重なり、空間が歪むほどの熱量を生み出した。
大地が軋み、風が悲鳴を上げる。
防御壁が轟音とともに崩壊した。
ヒヨリは表情ひとつ変えずに後退を試みたが、
カイトの炎の渦は執拗に追いすがる。
獲物を狙う蛇のように絡みつき、
ヒヨリの細い身体を、炎の中心へと引きずり込んでいった。
完全に炎に呑み込まれたのを見届けると、カイトは荒い息のまま右腕を掲げた。
――ここで終わらせる。
直後、爆発的な炎が再びヒヨリを襲った。
轟音とともに爆風が吹き荒れ、土埃が巻き上がって視界を奪う。
そして、静寂が訪れた。
「……しまった……やり過ぎた……!」
我に返ったカイトは、拳を握り締めたまま息を呑む。
心臓が不規則に脈打ち、焦燥が胸を締め付ける。
煙がゆっくりと晴れていく。
だが――そこに、ヒヨリの姿はなかった。
地面には、小さく掘られた脱出口のような穴が、
不気味にぽっかりと口を開けていた。
――やられた……!!
冷たい焦りが背筋を駆け抜け、カイトはすぐにミヤコの方へ視線を向けた。
そこには、焼け焦げた服のまま苦しげに身を起こそうとするミヤコと、
その目の前に無言で立つヒヨリの姿があった。
ヒヨリの身体には炎の痕跡が一つもない。
髪の毛一本焦げておらず、まるで炎そのものを拒絶したかのようだ。
その姿は、カイトの背筋を凍らせるには十分だった。
ただ虚ろな瞳だけが、冷たくカイトを見据えている。
「……いい加減にしろよっ!!」
カイトの中で迷いは完全に吹き飛んだ。
ミヤコを守る――それだけが、今の自分を動かしていた。
カイトは再び両腕に魔力を集中させ、
怒りと恐怖のすべてを込めてヒヨリへと業火を叩きつけた。
轟音。
凄まじい炎が一直線にヒヨリを貫き、
その身体を瞬く間に飲み込み、紅蓮の渦へと変えた。
その時――カイトの視界の端に、ミヤコの姿が映る。
必死な形相で、懸命に何かを伝えようとしていた。
焦りに満ちた唇が、確かに動いている。
――なに言ってるんだ……?
次の瞬間、燃え盛るヒヨリの姿が、陽炎のように揺らめいて――
あっさりと煙に溶けて消えた。
その瞬間、カイトは理解する。
――分身だ……!!
だが、気づくのが遅すぎた。
背後から、骨の髄まで凍るような魔力の気配。
空気が震え、全身の血が一瞬で冷たくなる。
――嘘だろ……。
ゆっくりと振り返った視界の先――
トンネルの闇の奥から、ヒヨリが静かに浮かび上がってきた。
掲げられた右手が冷酷に光り、虚ろな瞳が感情の欠片もなくカイトを見下ろしている。
カイトは反射的に業炎の渦を練り上げ、
全力で巨大な火の防御壁を展開した。
今、彼の火の属性値はすでに130近くに達している。
それでも、この防御壁だけでは、
火・風・土の三属性を併せ持つヒヨリの攻撃には到底耐えられない――そう直感した。
――ここまでなのか……。
その時――
「カイトォォオオオオ!!」
耳を突き抜けるような声が響いた。
懐かしく、そして力強い声。
横目に捉えた空の先、
全身に眩い魔力の光を纏い、一直線に突き進んでくる人影があった。
ヒカルだった。
空を裂くような速度。
その姿は、以前とは比べものにならないほど逞しく見えた。
カイトは思わず口元を緩める。
「おせぇーんだよ」
だが、その呟きと同時に――
視界が白に弾け飛んだ。
防御壁ごと、凄まじい爆炎がカイトを呑み込んだ。




