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第63話:魔法競技祭当日――見えない勝機

「パイヤン、風で俺の火をもう一度支援しろ!

 パルロ、お前は隙を見て奴の態勢を崩せ!

 ケイトとメイナは協力して水蒸気爆発を連続で起こすんだ。奴の視界と聴覚が奪われている混乱に乗じて、俺があの女を奪取する!」


 ケイトは息を呑み、かろうじて頷いた。


 頭では理解している。何をすべきかも、手順もすべて。


 だけど――指先が震える。

 魔力が思うように集まらない。


 まるで自分の身体が他人のもののようだ。

 全然、言うことを聞いてくれない。


 横目で見たメイナもまた、唇を噛み、震えを押し殺している。

 それでも――目に宿る恐怖は隠しきれなかった。


 ――お願い、動いて……!


 目の前に立ちはだかるのは、あのガブリエウ。

 班長決定戦で圧倒的な実力差を見せつけ、

 ケイトたちの自信を粉々に打ち砕いた男。

 あの日に刻まれた屈辱と恐怖の感覚が蘇り、心臓が凍りつく。


「ケイト、メイナ! 今だっ!」


 パオタロの鋭い声が響く。

 けれど、足が動かない。

 魔力は不安定に揺らぎ、指先から頼りなく霧散した。


 ――だめ……できないっ……!


 視界が揺らぎ、膝の力が抜けていく。

 恐怖が鎖のように身体を縛り、思考すら奪っていった。


 何の支援もできないまま、パオタロが一人で飛び出していく。

 その背中を、ケイトはただ呆然と見送るしかなかった。


 ガブリエウの周囲に浮かぶ無数の結晶が、音を立てて収束する。

 その狙いは――パオタロ。


 無防備に突っ込む彼は、ガブリエウにとってまさに格好の標的に見えた。


 ――お願い、避けて……!


 ケイトは息を詰めた。

 パオタロは炎の旋風を巻き起こし、襲いかかる結晶の嵐を弾き返す。

 だが、その防壁を突破した数本が、容赦なく彼の身体を貫いた。


 ――ああ……!


 悲鳴すら声にならなかった。

 パオタロの身体がわずかに揺れ、炎の光の中で赤く染まっていった。


 その直後、掠れた声が、かろうじてケイトの耳に届いた。


「っば……かやろ……」





「ぐはぁっ……!」


 鋭い激痛が稲妻のように身体を貫き、パオタロの視界が一瞬で真っ白に弾けた。

 膝が崩れ、地面に両手をつく。

 傷口から溢れ出した鮮血は止まらず、指の隙間から滴り落ちて足元を鮮やかな赤に染めていく。


 ――ここで俺が倒れたら……一気に戦況が崩れる……!


 必死に焦点を合わせようとする視界の先。

 虚ろな瞳のまま、パオタロを見下ろすガブリエウがいた。

 その口元がゆっくりと歪み、冷たい笑みが浮かぶ。


 再び、無数の結晶が空中に展開される。

 冷酷な光――それが次の攻撃の合図だった。


 ――や、やばい……!


 パオタロは震える手で地を掴み、必死に立ち上がろうとする。

 だが、身体はその意志を拒み、激しく痙攣して動かない。

 意識が、急速に遠のいていく。


「く……そっ……」


 その呟きを最後に、鋭利な結晶が一斉に放たれた。


「――パオタロっ!」


 咄嗟にパルロが土の防御壁を展開し、パオタロの前に立ちはだかる。

 しかし、ガブリエウの結晶はそれを嘲笑うように猛然と襲いかかり、

 壁を切り裂き、削り取っていった。


 土壁はみるみる薄くなり、修復する暇もない。


「くそっ、修復が間に合わない……!」


 焦燥と絶望が、パルロの奥歯を軋ませた。


 その様子を、少し離れた位置から見ていたパイヤンは――小刻みに身体を震わせていた。


 ――何をしてるんだよ、僕は……!


 このままでは、二人とも殺される。


 それなのに、自分はここでただ怯えているだけなのか。

 悔しさと惨めさが胸を締めつけ、涙が滲む。


 パイヤンは強く奥歯を噛み締め、震える拳を血が滲むほどに握りしめた。


「動けよ……! 頼むから、動けってばっ……!」


 震える声が、戦場の轟音の中にかき消える。

 それでもパイヤンは、恐怖を押し殺し――風の防御壁を、パルロの防御壁の前に重ねて展開した。


 だが現実は、あまりにも残酷だった。

 どれほど強く願っても、その想いだけで魔力が増幅することはない。

 ガブリエウの冷酷な結晶は、パイヤンの必死の防御を嘲笑うように容易く切り裂いていった。


 そしてついに――すべての防御壁が無残にも砕け散った、その瞬間。


「うぉおおおおおおおおお!!」


 パルロの魂を揺さぶる絶叫が、戦場に轟いた。

 自らの肉体を瞬時に硬質化させ、パオタロを守る盾となるべく、ためらいもなく前へと飛び出す。


 鋼鉄にも等しいその肉体は、ガブリエウの猛攻を辛うじて弾き返していく。

 しかし――執拗な結晶の雨は止まらなかった。

 身体が削られるたび、亀裂から血飛沫が弾け飛ぶ。


「ぐおぉおおおぉっ……! ぐあぁああぁっ……!!」


 絶叫が、やがて苦痛の呻きへと変わっていく。

 硬質化した身体に走る無数の亀裂。そこから滲み出た鮮血が、筋肉を赤黒く染めた。


「やめろ――っ!!」


 悲痛な叫びと共に、パイヤンがついに絶望の戦場へ踏み出した。

 怒りに我を忘れ、全身に風を纏う。

 ガブリエウの結晶群が展開する死角を突き――弾丸のように側面へと突撃した。


 凄まじい衝撃。

 ガブリエウの身体は宙を舞い、肩に担いでいた少女がその手から離れ、空中へと投げ出される。


 少女の華奢な体は、糸が切れた人形のように地面へと叩きつけられ、

 何度も転がりながら砂煙を巻き上げ――やがて、ぐったりと動きを止めた。


 ガブリエウもまた無様に地面を転がり、激しく身体を打ちつけながらようやく静止する。


 その光景を前に、

 パルロは全身を鮮血に染め、激しく震えながらゆっくりと膝をついた。


 そして――

 力尽きるように、地面へと崩れ落ちた。


「パルロォ!!」


 パイヤンが涙混じりの悲痛な叫びを上げる。


「ケイト! メイナ! パオタロとパルロを抱えて、本部まで撤退してっ!

 救護部隊に早く引き渡してきてっ!」


 振り返ったパイヤンの眼差しは必死だった。

 まだ震えている二人を真っ直ぐに見据える。


「わ、私たちはまだ戦える……! 救護部隊を呼べば――」

「違うっ……!!」


 パイヤンは今にも泣き崩れそうな顔でケイトとメイナを強く睨みつけ、震える声で叫んだ。


「君たちは足手まといだって言ってるんだよっ!」


 ケイトとメイナはその言葉に息を呑み、表情を強張らせた。


 パイヤンは唇を震わせながらも、悲しみと悔しさを隠そうともせず続ける。


「僕だって怖い……! 本当は君たちと同じで震えて逃げ出したいよ!

 だから君たちの気持ちは痛いほど分かるんだ……!」


 一瞬、涙をこらえるように唇を噛み締め――それでもパイヤンは声を振り絞った。


「だけど今、ここは戦場で、君たちは完全に恐怖に支配されて動けない。

 今まともに動けるのは僕だけ……だけど、僕は弱いんだ……!!

 僕一人じゃ、絶対にみんなを守りきれない……!

 お願いだよ、パオタロとパルロを助けてあげて……このままじゃ、本当に二人とも死んじゃうよっ……!!」


 パイヤンの悲痛な叫びに、ケイトとメイナはただ立ち尽くすしかなかった。

 二人の瞳に涙が滲み、握り締めた拳が小刻みに震えている。


「頼むから……撤退してくれよっ……!」


 パイヤンの必死の懇願に、ケイトとメイナはようやく無言で頷いた。

 二人は震える手でパオタロとパルロの身体を抱き起こし、唇を噛み締めたまま、言葉ひとつ発さず静かに撤退していく。


 パイヤンはその背を見送り、ゆっくりと振り返った。


 そこには――すでに立ち上がり、ふらつきながらもこちらへ歩を進めるガブリエウの姿があった。


 その瞳には焦点がなく、生気の欠片も感じられない。

 まるで、魂そのものを抜き取られたような目だった。


 ――これが……精神を支配された人間の目……。


 背筋に、冷たいものが這い上がる。

 視界の隅では、地面に倒れたままの少女が小さく呻き、苦しげに顔を歪めていた。


 ――僕の任務は、あの少女の救出と、ガブリエウ君の撃破……。


 だが今のパイヤンには“絶望的”という言葉すら生ぬるく感じられるほど、勝機はなかった。


 ガブリエウは〈風〉と〈土〉――二つの属性加護を併せ持つ“ダブル属性”の使い手。

 一方の自分は、〈風〉ひとつ――その属性値さえ、ごく平均的でしかない。


 ――まともに戦って勝てる相手じゃない……。


 圧倒的な戦力差を前に、冷たい汗が頬を伝い落ちる。

 足は小刻みに震え、喉は砂を噛んだように乾ききっていた。


 それでも――。


 パイヤンは震える拳を固く握りしめた。

 そして、虚ろな瞳のままこちらへ歩み寄るガブリエウを、真っ直ぐに見据えた。


 恐怖を押し殺したその瞳の奥で、静かに――しかし確かに、“覚悟”の炎が灯っていた。


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