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第61話:魔法競技祭当日――アーヴィングの叫び

「俺を前にして、その慢心……命取りだ」


 その言葉が耳に届いた瞬間、頬を砕くような衝撃が走り、アーヴィングの身体は宙に舞っていた。

 視界が回転し、激痛が遅れて脳を突き抜ける。


「ぐあああっ……!」


 地面に叩きつけられた瞬間、皮膚を焼くような熱が頬から首へと走る。

 視界の端では、青白い炎がゆらゆらと揺れていた。


 ――早く、この炎を消さなければ……!


 アーヴィングは直感的に理解した。


 これは、普通の火ではない。


 だが、必死に水属性の魔法を発動させても、

 青い炎はまるで意思を持つかのように皮膚を灼き尽くしていく。


 焦りと苦痛に飲み込まれそうになる中、視界の隅で――

 炎を凝縮し、さらなる追撃を放とうと腕を振りかぶるカイエンの姿が映った。


 絶望が胸を貫く。


 もはや消火の余裕などない。

 もう一度あの攻撃を喰らえば、それこそ終わりだ。


 ――水属性を捨て、本来の風属性に戻るしかない!


 アーヴィングは歯を食いしばり、苦渋の決断を下した。


 風属性は火属性に対して不利だ。

 切り替えた瞬間、炎の勢いがさらに増すことも、

 炎を抑える術を失うことも――すべて、わかっている。


 だが、このまま水属性に固執すれば、確実に死ぬ。


 ――逃げるしかない……ここで死ぬわけにはいかない……!


「エレメントリライト!」


 風を纏い、極限の痛みに耐えながら後方へ飛ぶ。

 だがその刹那、背筋に氷のような戦慄が走った。


 怒りに歪んだカイエンの顔が、すでに眼前まで迫っていた。


 ――……母上!


 その瞬間、胸元のペンダントが眩い緑光を放つ。

 母から授かった守護の魔法器が共鳴し、風の魔力が限界を超えて溢れ出した。


 凄まじい風圧が爆ぜるように広がり、

 アーヴィングの身体はその勢いに引きずられるように宙を舞う。


 カイエンの拳は、ほんの紙一重の差で空を切った。


 だが、まだ終わりではない――。

 全身を蝕む青い炎は、なおも猛威を振るい続けている。


「くそぉおおおお……! エレメントリライト!」


 再び魔法を発動し、風属性から水属性へと切り替える。


 瞬時に体の周囲へ水の旋風が巻き起こり、青い炎と激しくぶつかり合った。

 爆発的に発生した蒸気が通路を満たし、視界は白に塗りつぶされる。


 蒸気と熱の中、互いの魔力がぶつかり合う音だけが響き――

 やがて、青炎はゆっくりと勢いを失い、霧散した。


「……はぁ、はぁ……っ」


 青い炎は消えた。


 だがアーヴィングの身体は、すでに限界を超えていた。

 全身は焼け爛れ、それでも立っていること自体が、もはや奇跡だった。


 ぼやけた視界の先――

 そこに立つカイエンもまた、やっとの状態のように見えた。

 荒い呼吸を繰り返し、全身から立ちのぼる魔力が不安定に揺らめいている。


 ――な、なんなんだ……あいつは……。


 アーヴィングの脳裏で、混乱と恐怖が渦を巻く。


 ――恵まれた環境で、何不自由なく生きてきたはずの男だ。

   痛みも、挫折も、知らぬはず。

   なのに……なぜ、ここまでやれる?

   なぜあれほどの炎を操り、自分の身体を灼き尽くすほどの苦痛に耐えられる……?


 理解できない。


 だが、その現実が、アーヴィングの心を軋ませた。


 カイエンは朦朧とした意識の中、最後の力を振り絞ろうとしている。

 右手に再び鮮烈な魔力が集まり始めた。

 見る者すべてを飲み込み、跡形もなく焼き尽くすほどの、圧倒的な輝き――。


 カイエンの震える腕が、ゆっくりとアーヴィングへ向けられる。

 放たれる寸前まで、魔力は極限まで高まっていく。


 ――……ここまでか。


 一歩も動けない。


 アーヴィングは、ただ迫り来る死を――絶望の瞳で見つめるしかなかった。


 青い炎が放たれようとした、その瞬間。

 カイエンの瞳から、急速に光が失われた。


 魔力が尽きたのか、それとも、限界を超えた肉体が耐えきれなかったのか。


 青い炎は放たれる寸前で力なく揺らめき、やがて消え失せた。

 カイエンの身体は糸が切れたように崩れ落ちる。


 静寂が訪れた。


 その場に倒れ伏したカイエンを見下ろしながら、アーヴィングは呆然と立ち尽くしていた。


 目の前で起きた出来事を理解できない。

 ただ、現実の感触だけが妙に遠くにある。


 やがて、思考が動き出す。


 ――と、とにかく急がなければ……。

   救援が来る前にトドメを刺し、離脱を……!


「……エレメントリライト」


 敵ながら、見事だった。

 最後くらいは――せめて、私の本来の風魔法で葬ろう。


 右手をかざし、魔力を集めはじめたその瞬間。

 アーヴィングの表情が、凍りついた。


 胸元のペンダント――母から授かった守護の魔法器が、

 何の輝きもなく、完全に沈黙していた。


「……母上……!?」


 焦燥に駆られ、震える手でペンダントを握りしめる。

 冷たい金属の感触が、心臓の鼓動を締めつけた。


 脳裏に蘇るのは、穏やかな微笑みを浮かべながら

 故郷ダーマンベルクの美しい景色を語る母の姿。


 咲き乱れる花々、澄み渡る湖、風に揺れる草原――。

 実際に見たことはなくとも、母が懐かしげに語る故郷の情景は、

 幼い日の心に深く刻まれていた。


 それは、過酷な現実から自分を守ってくれる唯一の希望であり、

 何より、母との大切な絆そのものだった。


 だが、その美しい故郷を奪われ、

 いつか取り戻すことを願いながら無念の死を遂げた母。

 その母が遺したはずの守護の魔法器は、

 いつもなら自分を守り、力を与えてくれるはずだった。


 しかし、今この時――ペンダントは完全に沈黙している。


 母に、拒絶されている。


「母上……私が歩んできた道は、間違っていたというのですか……!?」


 胸の内で幾度となく問いかける。

 だがペンダントは――ただ冷たく、沈黙したままだった。


 ――王国に忠誠を尽くした結果、

   領地を奪われ、名誉を傷つけられてきた我がテックマン家。

   それはすべて……王家のせいではないのか!?

   王を支える王血部隊こそ、私たちの敵ではないのですか!?


 胸の奥から、熱いものが込み上げてくる。

 それは怒りだった。いや、怒りだけではない。

 悲しみと、裏切られた孤独が、心の奥で混ざり合っていく。


「……あ……ああああああぁぁぁぁっ!!」


 胸を突き刺す憤怒、

 それを凌駕する悲痛、

 そして――言葉にならない孤独。


 それらが一気に込み上げ、叫びとなって迸った。

 アーヴィングは空を仰ぎ、崩れ落ちるように両膝をつく。

 瞳から溢れ出した涙は頬を伝い、静かな音を立てて地面に落ちていった。


 震える手で、再びペンダントを握りしめる。


 ――それでも……母上は、

   ダーマンベルクを取り戻すためには王血部隊が必要だと、

   そう仰るのですか……?


 答えは返ってこない。

 ただ沈黙だけが、傷ついた心にのしかかる。


 アーヴィングはゆっくりと顔を上げた。

 その視線の先――虫の息で倒れているカイエンの姿があった。


 ――なぜだ……君はなぜ、そこまでして戦える?

   命を懸けてまで、君が守りたいものとは……一体何なのだ……?


 その問いかけに答えるように――

 足元に転がる通信機から、一斉通信が響いた。


『甲種部隊長シシンより、全部隊へ通達。

 エドワード公とヒカルは無実だ。繰り返す――両名は無実である。

 各隊、両名と接触次第、その行動を全面的に支援せよ!』


 さらに通信が続く。


『それからヒカル!

 新魔法“モラタ”を使用した状態なら、支援が可能なはずだ!

 すぐに諜報部隊・五の救出に向かえ! 俺もすぐに合流する!』


 アーヴィングは呆然と通信機を見つめていた。


 やがて、勢いに満ちた若い声が響く。


『こちらヒカルっ! 直ちに諜報部隊・五の救出に向かいますっ!!』


 その必死な声が耳に届いた瞬間――

 アーヴィングの胸の奥で、長い間絡まり合っていた怒りと悲しみの鎖が、

 静かにほどけていくのを感じた。


 自らの名誉でも、復讐でもない。

 ただ“誰かを守りたい”という純粋な想い。


 その響きに触れた途端、

 これまで自分を支配してきた怒りや憎しみが――

 ひどく虚しく、そして滑稽に思えた。


 やがてアーヴィングの口元に、小さな笑みがこぼれる。


 ――そうか……君もまた、ただ仲間を守りたかっただけなのだな……。


 アーヴィングはゆっくりと立ち上がり、

 足元に転がった通信機を拾い上げた。


「……エ、エレメントリライト」


 アーヴィングは風属性から土属性へと切り替え、一斉通信を起動する。


「だ、第一貴族アーヴィングだ。

 シングウ城前の広場へと……繋がる内壁通路内にて……カイエンが……瀕死の状況だ……。

 し、至急、救護部隊を要請する……」


 途切れ途切れの声は、次第に焦燥を帯びていく。

 その響きの奥には、後悔と願い、そして人としての痛みがあった。


「ま、まだ間に合う……。

 こ、この男を……は、早く……助けてやってくれ……」


 最後の言葉を吐き出すと同時に、視界はゆっくりと闇に沈んでいく。

 握り締めていた通信機が手から滑り落ち、乾いた音を立てて床に転がった。


 ……だが、その音すら、もう遠い。


 そしてアーヴィングの意識は、静かな深淵の底へと沈んでいった。


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