第59話:魔法競技祭当日――劣勢の炎
『こ、こちらイチゴセン!
地下牢付近で敵と接触。加えて、人の声を確認。
これより交戦態勢に入ります!』
作戦本部に届いたイチゴセンの専用通信を受け、カイエンはモンドとともにイチゴの援護に向かうべく地下牢を目指し、市街地を駆け抜けていた。
市街地には、精神操作を受けた多数の民衆が徘徊していたが、乙種諜報部隊の巧みな誘導により、二人は一瞬たりとも速度を緩めず先を急ぐ。
内壁を通り抜けるための通路――内壁通路の入り口が視界に入った頃、カイエンの胸裏に、先ほどから引っかかっていた疑念が再び浮かんだ。
彼は走りながらモンドに視線を送り、小声で問いかける。
「あの専用通信……陛下は地下牢にいると俺は見るが、モンド、貴様はどうか?」
モンドは即答を避け、一瞬だけ周囲を警戒してから、冷静な声音で答えた。
「確証はない。だが敵が即座に殺さず捕らえている以上、そこにいるのは陛下か、それに匹敵する重要人物の可能性が高い。――現状では朗報と捉えるべきだろう」
その言葉にカイエンは頷き、息を整えるように深く呼吸した。
「……ああ。どちらにせよ、急ぐしかないな」
二人は地を蹴り、さらに速度を上げて内壁通路を突き抜ける。
やがて、シングウ城前の広場が視界に開けた。
「このまま城内に突入し、地下牢まで一気に駆け抜ける」
モンドの声に、カイエンが力強く頷いた――その瞬間。
……何かがおかしい。
視界の端で、何かが閃いた。
次の瞬間、モンドの腹部がざっくりと抉られ、鮮血が噴き出した。
「モンド……っ!?」
風の刃だ。
後方から襲いかかり、モンドを貫いたそれは、前方へと高速で通り抜けていく。
モンドの巨体は制御を失い、そのまま激しく地面に叩きつけられた。
カイエンが駆け寄るより早く、風の刃は鋭く軌道を変える。
空気を裂き、180度反転――再びモンドを狙った。
その速度は凄まじく、軌道も速度も、常識の範疇を逸脱していた。
「くそっ――!」
カイエンは即座に両手を広げ、モンドを包み込むように炎のドームを展開する。
だが、風の刃はそれを見越していたかのように弧を描き、90度急旋回――カイエンに向かって飛んできた。
「うぉおおおおお!!」
咄嗟に全身を炎で覆い、切り裂かれる衝撃を最小限に抑える。
そのまま炎のドーム内へ転がり込み、荒く息を吐いた。
顔を上げる。
内壁の上――こちらを不敵に見下ろす影が一瞬、視界に入る。
――あれは……第一貴族エドワード殿の長子、アーヴィング……!
信じがたい現実に、カイエンの喉が詰まった。
「こちらイチニセン、モンド……。シングウ城前の……っぐ……はぁっ、はぁっ……広場……敵からの奇襲……受け……っぐ……ぶはっ……奇襲……」
ドームの内部では、モンドが血に濡れた手で通信機を握りしめ、かすれる声で本部へ報告を試みていた。
しかし裂傷は深く、押さえる手の隙間から、血と臓腑が零れ落ちそうになっている。
「モンド、もういい! 俺がやる、通信機を渡せ!」
カイエンは焦るように通信機を奪い取り、震える手で怒鳴るように叫んだ。
「本部、聞こえるか!? こちらイチニセン、カイエンだ! モンドがやられた!
場所はシングウ城前の広場! 乙種救護部隊を至急派遣してくれ!
救護部隊は市街地側から内壁通路に入り、そこで落ち合う!
ただし敵の攻撃が激しく、通常の救護では脱出困難だ!
脱出用のトンネルを生成可能な術者を含めて編成してくれ、頼む!」
報告している間にも、強力な風魔法が絶え間なく炎のドームを襲い続けていた。
カイエンは幾度も炎を再構築して必死に防ぎ続ける。
――おかしい……なぜだ!?
属性ではこちらが有利なはずだ。耐久の低いドームとはいえ、なぜ俺の炎がここまで押される……!?
疑問は渦巻いたが、立ち止まる余裕などなかった。
カイエンは唇を噛み締め、血の気を失いつつあるモンドの青ざめた顔を見た。
なんとしてでも、モンドの命を救わねばならない。
「モンド、耐えろ……! 一旦内壁まで退くぞ!」
カイエンは広場一帯に、無数の小爆発を連鎖的に発生させた。
瞬く間に爆炎が吹き荒れ、夜のような黒煙が立ち込める。
その煙が視界と音を完全に遮断していく中、意識を失いかけたモンドを抱え上げ、カイエンは身を翻した。
――行くしかない。
とめどなく繰り返される爆発の衝撃を背に受けながら、カイエンは煙の中を内壁へと向かって突き進む。
だが、その暗闇を裂くように――風の刃がまだ生きていた。
煙の中を、まるで意思を持つかのように彷徨い続けている。
カイエンは風の気配を慎重に探りつつ、時には小爆発を火の防御壁に切り替え、巧みに刃を弾きながら前進を続けた。
そのとき、モンドの通信機に作戦本部から一斉通信が飛び込んできた。
『イチイセン、イチヨンセンは遭遇した敵を速やかに撃破せよ!
それとカイエン、聞こえるか!? そちらに乙種救護部隊を向かわせた!
これより総指揮権はカエイに移譲し、俺が救援に向かう! それまでモンドを頼む!』
通信を聞いたモンドは、専用通信を立ち上げようとしたが、もはや魔力を安定させることができなかった。
やむなく一斉通信を起動する。
「……イチニセン……モンドだ。すまない、専用通信を使う余力がなく……
一斉通信を使わせてもらった……」
その声を聞いたカイエンは、再び通信機を奪い取り、低くも強い口調で叫んだ。
『もう喋るな、モンド!
こちらイチニのカイエンだ!
相手は第一貴族テックマン家のアーヴィング!
ここは属性的に俺のほうが有利だ、一人でなんとかしてみせる!
シシン、貴様は王家の方々の安全確保を優先しろ!
すなわちイチゴセンの救援に向かってくれ!!
……すまない、モンドの容態が深刻だ。イチニセンは通信から離脱する!』
激しい風の斬撃を掻い潜りながら、カイエンはようやく内壁通路へ辿り着いた。
慎重にモンドを床へ下ろすと、振り返りざまに広場側へ向けて強烈な業火を放つ。
瞬く間に炎が渦を巻き、通路の入り口を灼熱の防壁へと変えた。
カイエンはすぐさまモンドのもとへ戻り、腹部に両手を押し当てる。
しかし、指の隙間から滲み出る血は止まらない。
「モンド! しっかりしろ! もうすぐ救護部隊が来る……それまで耐えるんだ!」
必死の叫びに応じるように、モンドの瞼がわずかに震えた。
だが、その瞳はすでに焦点を失い、浅い呼吸とともに意識が遠のいていくのがわかった。
――その瞬間だった。
背後の通路入り口で、轟音が炸裂した。
次の瞬間、巨大な水の竜巻が業火を一瞬にして呑み込み、通路全体を圧倒する。
蒸気が爆ぜるように噴き出し、視界を真白に染めた。
「なんだと……!?」
眼前に現れた強力な水魔法に、カイエンの鼓動が激しく跳ねる。
――ありえない……! アーヴィングの属性加護は風だけのはずだ……!
まさか、他にも敵がいるというのか……!?
絶望的な予感が胸を締めつけようとした、その時――。
市街地側の通路から複数の足音が響いた。
カイエンは反射的に身構えたが、すぐにその装備を見て息を呑む。
――乙種救護部隊!
ようやく救援が到着したのだ。
だが安堵も束の間。
広場側の入り口へと視線を戻すと、そこには――
壁上からスライムをクッションにして、軽やかに着地するアーヴィングの姿があった。
――まさか……風だけではないのか?
水の加護まで持っているというのか……!
カイエンは額に滲む汗を拭うこともなく、右手に全神経を集中させ、魔力を限界まで高める。
その時、背後から救護部隊の声が響いた。
「脱出用のトンネル生成を開始します!」
「治癒も急いでくれ!」
その声を聞いた瞬間、アーヴィングの瞳に焦燥の色が濃く宿った。
――ここでモンドを逃せば、もう二度とチャンスはない。
アーヴィングは、生まれながらにすべてを与えられ、
この国を支えていると自負する王血部隊を、心の底から憎んでいた。
――モンド……お前だけは、絶対に殺す。
胸の奥底で渦巻く憎悪が、理性を焼き尽くすように膨れ上がる。
アーヴィングは激流を操り、猛然と、モンドを守るカイエンとの距離を詰めた。
「ここまで追い詰めておいて……逃がすものかッ!」
一方で、カイエンも歯を食いしばる。
ここで止めなければ、モンドだけでなく救護部隊までも危険に晒してしまう。
「――消え失せろ!!」
叫びと同時に、カイエンは限界まで練り上げた魔力を一気に解き放った。
通路全体を埋め尽くすほどの爆炎が奔流のように炸裂し、アーヴィングの操る激流を一瞬で呑み込む。
咄嗟に水の防御壁を展開したアーヴィングは直撃こそ防いだが、圧倒的な爆風には耐えきれず、大きく弾き飛ばされた。
「モンドォオオオオッ!!」
激しい憎悪と、仕留めきれぬ悔しさが入り混じったアーヴィングの叫びが、灼熱の通路に虚しく響き渡った。
ひとまず時間を稼げたと判断したカイエンは、その場に膝をつき、肩で荒く息を吐いた。
だが、わずかな違和感が胸を刺す。
顔を上げ、通路の奥へと視線を向けると――その眉が僅かに寄った。
カイエンの様子に気づいた乙種救護部隊の一人が、慌てて駆け寄ってくる。
「脱出用のトンネルの準備が整いました! すぐにモンドさんを搬送します!
カイエンさんも一旦退避を! 敵は水属性です、あなたには不利すぎます!」
カイエンは息を整え、ゆっくりと立ち上がった。
そして毅然とした声で答える。
「俺が離脱すれば、アーヴィングは地下牢を狙うだろう。
そうなればイチゴセンは前後から挟撃され、壊滅を免れない。
すなわち、俺がここで止めるしかない……水など、気化熱に変えてやる。急いで離脱しろ」
救護部隊の隊員は一瞬言葉を失ったが、すぐに短く敬礼した。
「……了解しました。必ず、生き延びてください!」
彼らは即座にモンドを抱え、生成されたトンネルへと消えていく。
その際、一人の隊員がカイエンの傍らに通信機を置いた。
「土属性がなければ一斉通信を立ち上げることはできませんが、
一斉通信を拾うことは可能です。ここに置いておきますので……どうかご無事で」
トンネルが閉じかけた、その一瞬――。
微かに、しかし確かに、モンドのかすれた声がカイエンの耳を打った。
「……カイエン」
その声に振り向こうとした時には、すでにトンネルは閉ざされていた。
通路に残るのは、静寂と、焦げた鉄の匂いだけ。
背後には、もう誰もいない。
「これでようやく一対一だ……ここからは、本気で行かせてもらうぞ」
灼熱の眼差しを向けるカイエンの前、
通路の入り口には、不敵な笑みを浮かべたアーヴィングが――
ゆらめく熱気の向こうで、静かに立っていた。




