第58話-1:魔法競技祭当日――エドワードの覚悟
長くなったので二話に分けます。
「――モラタ!」
新魔法大会の会場、“戦闘訓練場・一”の中央で、ヒカルの声が響いた。
観客席で見守るエドワード公の瞳には、緊張と期待が交錯している。
その直後――。
空の彼方から、不気味な黒い光線が空間を裂くように降り注いだ。
ヒカルの目前に黒い靄が渦を巻き、その裂け目から、一人の少女が姿を現す。
エドワード公は息を呑んだ。
――何だこれは……それに、あの少女は一体?
本来、新魔法“モラタ”は見た目に一切変化が現れない――それこそが特徴のはずだ。
胸の奥に広がる不穏なざわめきに、エドワード公は無意識のうちに拳を握りしめた。
昨夜、息子アーヴィングを通じて耳にした、第三貴族ルードヴィヒの言葉が蘇る。
『この半年、光属性のヒヨリは戦線に復帰すらできず、あの有様。
明日の新魔法大会で、“もう一つの光”かもしれぬとエドワード殿が指導してきたヒカルの新魔法が期待を下回れば、もはやこの国に未来はない。
その際は我々は動く――エドワード殿も、ご決断を』
エドワード公は第三貴族席へ鋭い視線を向けた。
ルードヴィヒ公は配下と密談しており、その表情は読み取れない。
その時――。
少女の止むことのない悲痛な叫びが、会場全体を震わせた。
第四貴族ニコラスや第五貴族フリッツをはじめ、貴族たちが一斉に緊張を高める。
ほどなくして、ルードヴィヒ公の配下がフリッツ公へ駆け寄り、何事か耳打ちした。
――まずい……!
彼らが動く前に、ヒカルに突破口を開かせねば……!
焦燥感を抑えきれず、エドワード公は思わず席を立つ。
『ヒカル! 一つの魔力器を複数の魔法で――自在に操れることを示すのだ!』
その言葉が声になるより早く、エドワード公は息を呑んだ。
ソロモン殿下が護衛兵の制止を振り切り、ヒカルのもとへ歩み出ていたのだ。
――この状況で殿下が……!
その姿を目にした瞬間、エドワード公は言葉を飲み込み、動きを止めた。
殿下がいる以上、自分が不用意に口を挟むことなど恐れ多い。
今はただ、事態の推移を見守るしかない。
他の貴族たちもまた、予想外の事態に困惑しつつ、息を呑んで静観していた。
――そして、その時が訪れた。
ソロモン殿下がヒカルから魔法の説明を受け、その名――“モラタ”を叫んだ瞬間だった。
殿下の輪郭が揺らぎ、
まるで空気へ溶け込むように――
静かに、消え去った。
観客席を、凍りついた沈黙が包む。
――馬鹿な……ソロモン殿下が、消えただと……!?
エドワード公の目が大きく見開かれた。
一方、第三貴族ルードヴィヒ公は、この混乱を待っていたかのように足を組み直した。
その何気ない動きこそが、決行の合図だった。
フリッツ公は無言のまま右手を掲げる。
その視線の先――
対面の観客席最上段では、武人リョゼツが氷のような瞳でヒカルを狙っていた。
――ヒカル……!
“もう一つの光”を、失うわけにはいかぬ……!
エドワード公は風を纏い、席を蹴って立ち上がった。
そしてヒカルのもとへ――全速力で駆け出した。
しかし、間に合わない――その絶望が胸を締め付ける。
ヒカルを救うには、彼がクーデター側であると“周囲に信じ込ませる”ほかない。
名誉も立場も、すべて捨てる覚悟で声を振り絞った。
「ヒカル殿が、ソロモン殿下を討ったぞ!!」
決死の言葉が競技場に響き渡る。
リョゼツの瞳にわずかな戸惑いが浮かび、大槍を放つ手が一瞬止まった。
その刹那の躊躇こそ――エドワード公にとって唯一の救いだった。
――あと数歩。
ヒカルに指先が届こうとした、その瞬間。
足元の地面が突如、激しい振動とともに眩い白光を放った。
視界が歪み、空間がねじれるような感覚が襲う。
耳をつんざく異音とともに、空気そのものが異常な圧力で震え出した。
ヒカルの姿は強烈な光に飲み込まれてゆき――
やがて世界が閃光に溶けるように砕け散った。
次に気づいた時、エドワード公が立っていたのは“玉座の広間”だった。
――ヒカルが消えたのではない。
私が転送されたのだ。
動揺を隠しきれず周囲を見渡す。
そこには、先ほどまで観客席にいた者たちが立ちすくみ、困惑と恐怖の入り混じった視線を交わしていた。
壇上には、第三貴族ルードヴィヒとその長子ルドルフが堂々と立ち、
その傍らには第四・第五貴族の面々も控えていた。
「これは……一体……」
疑問を口にする間もなく、足元が激しく青く輝く。
突き上げるような衝撃が脳内を焼き、視界が一瞬白く染まった。
「……くっ!」
強烈な圧迫感が精神を締め付ける。
意識が遠のき、身体が鉛のように重くなる。――間違いない、精神支配の魔法だ。
エドワード公は咄嗟に精神を研ぎ澄ませ、全神経を一点へ集中させた。
侵食してくる魔力を、意志の力で必死に押し返す。
次の瞬間――内側で何かが弾け、青い光が霧散した。
精神支配は完全に断ち切った。
苦痛に顔を歪めながら、エドワード公は荒い息を吐き、
急いで体勢を立て直すと、周囲へ視線を巡らせた。
第三・第四・第五貴族に連なる者たちは、何事もなかったかのように平然としている。
一方で、アモン陛下をはじめ王族や重臣たちは皆、意識が朦朧としていた。
――私にも精神支配を仕掛けてきたということは……
やはり、ルードヴィヒ殿は私を信用していない。
内心で苦々しく呟く。
その様子を見定めるように、ルードヴィヒ公が一歩前へ進み出た。
「これは失礼をいたしました、エドワード殿。
やはり貴殿ほどの属性値と精神力を持つお方には、この程度の精神支配など通用しませんな。
念のため、王血部隊を別の場所へ転送させておいて正解でした」
「……ルードヴィヒ殿、一体、何をお考えなのです。」
「アーヴィング殿から伝言を聞いておられるでしょう。
我らが計画――クーデターに、ぜひ貴殿も加わっていただきたい」
ルードヴィヒの背後には、朦朧とした王族たちが並んでいた。
――この状況下で陛下の身を守るには……
協力するふりをするしか、道はない。
「……当然だ。今の無力な王国のままでは、我がテックマン家の領地奪還は叶わぬ。
協力を惜しまぬ」
エドワード公は、微塵のためらいも見せずそう答えた。
その言葉に満足げな笑みを浮かべたルードヴィヒ公は、静かに剣を抜き放ち、王族の方へと刃を向ける。
「ならば――役目を終えたこの者たちを、処刑するまでだ」
「お待ちを」
咄嗟に、エドワード公の声が響いた。
「ルードヴィヒ殿。王族には、外交や交渉の駒としてまだ利用価値があります。
ここで殺すのは、いささか早計というものでしょう」
ルードヴィヒ公は一瞬だけ考え込み、やがて穏やかな笑みを浮かべた。
その瞳の奥には、底知れぬ冷酷さが宿っている。
「ふむ……確かにその通りだな。いつでも殺せる者たちだ。
ではエドワード殿、彼らを地下牢に監禁し、我らの計画が成就するその瞬間まで――その場を守っていただけるかな?」
「承知した」
エドワード公が地下牢へ向かおうとしたその時、背後からルードヴィヒ公の声がかかった。
「少しお待ちくだされ、エドワード殿。
念のため、我が腹心であるウカクとサカクを同行させてはどうでしょう。
王血部隊の襲撃に対しても心強いはずです」
エドワード公は静かな眼差しをルードヴィヒ公に向け、わずかに頷いた。
「ありがたい。
いずれ我らが新たな王国を築くためには、余計な障害は排除せねばならん。
頼りにさせてもらうぞ――ウカク、サカク」
ウカクとサカクは深く敬礼した。
その表情には疑う余地のない忠誠心が滲んでいた。
◇
「――そのような経緯で、私はウカクとサカクを伴い、王族の方々を地下牢までお連れしたのです」
エドワード公が語り終えると、再び地下牢には重苦しい沈黙が満ちた。




