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第54話:魔法競技祭当日――フウコの決断

 エミリは息を切らしながら、フウコとシスイのもとへ駆けつけた。

 そして、目に飛び込んできたのは――地面に横たわるシスイの深い傷だった。


 ――なんてひどい……。


 思わず足が止まる。

 身体が小刻みに震え、喉がきゅっと締めつけられた。

 それでもエミリは、強く首を振り、震える手をぎゅっと握りしめた。


「……私が、応急処置をします!」


 深く息を吸い、両手を前にかざす。

 覚えたばかりの治癒魔法が発動し、淡い光がシスイの傷口をそっと包み込む。

 抉られた部位がわずかに再生し、血が止まりはじめる――しかし、それが限界だった。

 初級治癒では、命を繋ぎとめるのがやっとだ。


 フウコは目を見開き、思わず声を上げた。


「エミリ、あなた……治癒魔法まで使えるようになっていたの!?

 初級でも複雑な魔法構造式が必要なはずよ……どうやって?」


 エミリは顔を赤らめ、少し照れくさそうに答えた。


「ヒカル様が乙種救護部隊に入られたのに、治癒の勉強を全然していないみたいで……。

 だから、もし困った時に私が教えてあげられたら、って……それに、イチサンセンでも私、いつも足を引っ張ってばかりでしたから。

 治癒が使えるようになれば、少しは……みんなの役に立てるかなって思ったんです」


 その言葉に、フウコは息を呑む。

 イチサンセンへの異動直後から厳しい戦闘訓練に追われていたエミリが、

 裏でこんな努力をしていたとは――まったく気づかなかった。


 そのとき、かすかな呻きとともにシスイがゆっくりと目を開いた。


「フウコ……エミリ……」


「シスイ!」


 フウコは反射的にその手を握った。


「良かった、意識が戻ったのね!」


 だがエミリは表情を崩さず、冷静に告げる。


「――一命を取り留めただけです。まだ安心はできません」


 その言葉に、フウコは苦渋に満ちた表情で唇を噛んだ。

 撤退の決断を下そうとした、そのとき――


「待って……撤退は、ダメ……!」


 シスイが、か細い声で叫んだ。


 弱々しくも必死な手が、フウコの手を握り返す。

 その力は微かに震えていたが、そこには確かな意志が宿っていた。


「でも……シスイ、これ以上あなたを危険にさらすわけには……!」


 フウコの声は震えていた。

 だがシスイは首を横に振り、かすかに笑みを浮かべる。


「あらフウコ……。

 ここでの戦いの結果が……戦場全体に影響するってこと……お忘れなのかしら?」


 かすれた声の奥に、鋭い光が宿っていた。

 シスイは浅い呼吸を整え、さらに力を込めて続ける。


「一刻も早く魔法陣を破壊しなければ……王血部隊全員が危険に晒されるわ。

 フウコ……班長としての判断を、間違えないで」


『班長としての判断を、間違えないで』


 その言葉が、フウコの胸の奥に深く突き刺さる。

 頭の中で何度も繰り返され、心は激しく揺さぶられた。


 仲間の命を守る責任は何より重い。

 だが同時に、この戦いが戦場全体に与える影響の重大さも痛いほど理解している。


 フウコの胸を苦渋が締めつける。


 その様子を見たシスイは、力を振り絞りフウコの頬へ手を添えた。

 細かな切り傷のついた頬を優しく撫でながら、強い意志で囁く。


「私なら大丈夫……あなたなら、どうすべきか分かるはずよ」


 わずかな沈黙のあと――

 フウコは頬に触れたその手を静かに握り返し、決意の光を瞳に宿して前を見据えた。


「――10分。あと10分だけ作戦を続行します。

 ただし、シスイ、あなたはここで待機よ。絶対に無理はしないで、生きて戻るの」


 その決断に、シスイは微かに微笑んだ。


「それだけあれば十分よ……実は、考えていた作戦があるの。それは――」


 シスイが説明を始めようとした、その瞬間――。

 周囲の空気が震え、地面が低く唸りを上げた。

 豪炎魔法で焼き尽くしたはずの魔獣が――地中から這い出そうとしている。


 エミリが即座に一歩前へ出る。


「私が時間を稼ぎます! フウコ、シスイ、急いで作戦を!」


 その声には、一片の迷いもなかった。


 フウコとシスイは一瞬だけ目を合わせ、強く頷くと、すぐさま作戦立案に入った。


 エミリは振り返らない。

 復活の兆しを見せる魔獣へ、一直線に駆けだした。


「立ち上がれ、ケイオスフィスチェ! その女を八つ裂きにしろ!」


 ルードヴィヒの叫び。

 直後、地面が激震する。


 地中から噴き出す禍々しい魔力――

 空間そのものが歪むほど濃密に広がっていく。


 ――間に合わない……!


 エミリは跳躍し、必死に間合いを取ろうとした。


 その刹那――地中を割って魔獣が飛び出した。

 一角を妖しく輝かせ、雷鳴の如き突進がエミリめがけて走る。


「同じ手は通用しない!」


 右手を振り上げ、爆発魔法を放つ。

 爆炎が魔獣を包み込む――しかし、巨体は止まらない。


 爆煙を裂き、角がふたたび迫る。


 だが、すでにその場にエミリの姿はなかった。


 爆発の反動を利用して身を翻した彼女は、魔獣の背後へと一気に回り込んでいた。


 振り返りざま、両手を突き出す。


「――燃え尽きなさい!」


 紅蓮の炎が咆哮を上げた。

 灼熱の奔流が魔獣を包み込み、黒煙が立ち昇る。

 耳をつんざく悲鳴。巨体がのたうつ。


 ――だが。


 その尾が、稲妻のような速さで横薙ぎに振り払われた。


「しまった……!」


 防御壁を展開する暇もない。


 直撃。

 エミリの身体は激しく吹き飛び、地面を転がり――

 それでも彼女は歯を食いしばりながら体勢を立て直し、魔獣を睨みつけた。


 だが、巨体はすでに目前まで迫っていた。


 黒焦げた皮膚が剥がれ落ち、

 赤黒い肉がむき出しになった異様な姿で――。


 それは、地獄の業火を喰らってなお這い出してくる化け物だった。


 ――そんな、馬鹿な……!?


 鋭い爪が振り下ろされる。

 エミリの視界を光が裂いた、その瞬間――。


 疾風が巻き起こった。


 風に乗るように、フウコの姿が滑り込む。

 間一髪でエミリを抱きかかえ、空中へと離脱した。


「きゃっ――!」


 直後、鋭い衝撃。

 魔獣の爪がフウコの背を裂き、鮮血が宙に散った。


「フウコ……!!」


 エミリの悲鳴が響く。


「……大丈夫よ、傷は浅いわ!」


 荒い息の合間にも、力強い声が返る。

 フウコは痛みに顔を歪めながらも、瞳だけは決して揺れていなかった。


 すぐに息を整え、鋭く指示を飛ばす。


「エミリ、あなたもまだ動けるわね!?」


 その真っ直ぐな視線に、エミリは力強く頷いた。


「……はい!」


 フウコは痛みを押し殺しながらも、わずかに笑みを浮かべた。


「――さぁ、一気に決めるわよ!」


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