第52話:魔法競技祭当日――ヒヨリ不在のイチイセン
地下牢へと繋がる通路で、ウカクとサカクが鮮やかに真っ二つに切り裂かれる――その少し前のこと。
シングウ城の国王自室は、異様な静けさに包まれていた。
豪奢な調度品が並ぶ室内は、わずかな風すら動かず、空気が止まっている。
「こっち、誰もいないよー!」
「うん、こっちも異常なし!」
イチイセンのユラとサラは、周囲に目を配りながらも軽やかな声を交わしつつ、慎重に室内を移動していた。
しかし、敵の気配も、王族の存在もどこにもない。
その時――作戦本部からの一斉通信が入った。
二人は息を呑み、同時に動きを止める。
ヒヨリ不在のイチイセンには、乙種救護部隊から土属性保有者のシシカが通信担当として臨時配属されていた。
そのシシカの通信機から、緊迫した声が響く。
『イチゴセン、聞こえるか。
地下牢に捕らえられているのが王族なら、敵は相当な実力者だ。無理に仕掛けるな。
可能な限り交戦を避けろ。
モンドとカイエンを救援に向かわせた。それまで持ちこたえてくれ』
ユラとサラは顔を見合わせた。
通信は間を置かず続く。
『イチサンセンを除く甲種各班へ。
目的地に異常がないことを確認次第、地下牢へ急行せよ』
二人は短く頷き合い、ユラが落ち着いた声で言う。
「シシカ君、イチイセンはわかったよーって、本部に伝えてくれる?」
シシカは一瞬だけ戸惑ったが、すぐに意図を理解し、専用通信を起動した。
「こちらイチイセン。
国王自室に異常なし。これより地下牢へ急行します!」
『作戦本部、了解した』
通信を終えると同時に、ユラ・サラ・シシカの三人は中庭を経由して地下牢へ向けて駆け出した。
城の中庭に降り立った、その瞬間だった。
空気を裂くような鋭い音が響く。
視界の端で、巨大な槍が光の筋を残して飛来した。
ユラとサラは瞬時に反応した――。
三人を覆うほど巨大な半透明のスライムを展開する。
槍はスライムの柔らかな膜に突き刺さり、鈍い音を立てて深くめり込んだ。
弾力が限界まで押し潰された瞬間――スライムは強烈な反発力を放つ。
槍は射線をなぞるように反転し、凄まじい勢いで撃ち返された。
次の瞬間、スライムもその反動を利用するように跳ね上がり、飛来した方向へ一直線に突っ込む。
射線上に潜んでいた二つの影と、撃ち返された槍をそのまま呑み込んだ。
粘性の膜が獲物を包み込むように絡みつき、二人の動きを完全に封じる。
「今のサラちゃんの反応、早かったね! たすかったよ〜!」
「ううんううん、ユラちゃんが“ぷよぷよ”にしてくれたおかげだよー」
軽口を交わしながらも動きは流れるように無駄がない。
敵がスライムに囚われている隙に、ユラとサラはシシカを連れて素早く城内へと退く。
「シシカ君、危ないからここに隠れててね」
「は、はいっ!」
その間もサラは中庭から目を離さない。
スライムの中で暴れる二つの影が、徐々に輪郭を浮かび上がらせる。
「……あっ! あれって第五貴族のフリッツ公だよ〜。
もう一人は……あの有名な人だー、名前はわからないけどすごく有名な人!!」
シシカが慌てて口を挟む。
「あ、あの方はリョゼツです! フリッツ公の腹心の……!」
「ふーん、そういう名前なんだー、さすがシシカ君、詳しいね!
……あ、攻撃されたこと、本部に報告しておいてくれる〜?」
シシカはユラとサラの強さに圧倒されながらも、慌てて専用通信を起動した。
「こちらイチイセン。
シングウ城中庭にて奇襲を受け、敵を一時拘束中。
敵は第五貴族ワイズマン家当主フリッツ公と、その腹心リョゼツ。
本部、指示をお願いします!」
リョゼツ――その名を知らぬ者は国内にいない。
一介の地方貴族に過ぎなかったワイズマン家を、圧倒的な武力で最高位“五家”へと押し上げた男。
その存在は、まさに“強さ”そのものの象徴だった。
だが今、そのリョゼツも、そして主であるフリッツ公も、ユラとサラのスライムから抜け出せずにいた。
フリッツ公は魔法を駆使してスライムを溶かそうとするが――
表面がわずかに溶けるだけで、その粘膜は瞬く間に再生する。
リョゼツは怪力で裂こうとするが――
スライムの弾性は衰えず、逆に腕が粘りの奥へと沈んでいくばかりだった。
シシカが報告を終えた後、しばらく経っても作戦本部からの返答はなかった。
時間だけが静かに過ぎていく。
「本部からの返事、遅いねー」
サラが待ちきれずに声を漏らす。
シシカは不安げに通信機を握り直し、ユラは周囲に気配を探るように視線を巡らせた。
その時――ようやく作戦本部からの一斉通信が飛び込んできた。
『イチイセン、イチヨンセンは遭遇した敵を速やかに撃破せよ!
それとカイエン、聞こえるか!? そちらに乙種救護部隊を向かわせた!
これより総指揮権はカエイに移譲し、俺が救援に向かう! それまでモンドを頼む!』
続いて、苦痛に耐えるような声が通信に乗った。
『……イチニセン……モンドだ。すまない、専用通信を使う余力がなく……
一斉通信を使わせてもらった……』
直後、カイエンの怒声がそれを遮る。
『もう喋るな、モンド!
こちらイチニのカイエンだ!
相手は第一貴族テックマン家のアーヴィング!
ここは属性的に俺のほうが有利だ、一人でなんとかしてみせる!
シシン、貴様は王家の方々の安全確保を優先しろ!
すなわちイチゴセンの救援に向かってくれ!!
……すまない、モンドの容態が深刻だ。イチニセンは通信から離脱する!』
通信が途絶え、ユラとサラは驚きの表情で顔を見合わせた。
「モンド君、大丈夫かなぁ……」
ユラが不安げに呟いた。
その言葉のあと、わずかな沈黙が落ちたが――
「サラちゃん!」
「ユラちゃん!」
二人は同時に顔を見合わせ、同じ言葉を口にした。
「早く倒して、みんなを助けに行きたい!」
一瞬の静寂ののち、ふたりは同時に笑みを浮かべた。
その笑顔には、恐れも迷いも一切なかった。
「うん、いいよ、行こう行こう」
「そうだね、じゃあ早く倒さないとだね」
軽やかな声が交錯する。
シシカは、そのやり取りに息を呑んだまま、ただ見守ることしかできなかった。
一方その頃――
中庭ではようやくスライムから抜け出したフリッツ公と、その腹心リョゼツが戦闘態勢を整えていた。
「リョゼツよ、油断するな。
あの双子は王血部隊最強と名高いイチイセンのユラとサラだ。
だがスライムの構造はすでに見切った。もはや我らに同じ手は通じぬ。
――存分に力を振るうがよい!」
「御意。“ゲイル・ストライク”」
リョゼツが地を蹴った瞬間、空気が爆ぜた。
稲妻のような速度で空気を切り裂き、ユラとサラへと突き進む。
二人も即座に反応し、再びスライムを生成する。
しかし――リョゼツの突進はあまりにも速かった。
衝撃波が先に襲いかかり、
未完成のスライムは耐え切れず爆ぜた。
透明な飛沫が雨のように散り、ふたりの体を弾き飛ばす。
スライムの残滓が陽光を反射して、虹色の光を放った。
「もはやそんなスライムなど、リョゼツには通じぬわ!」
フリッツ公は満足げに笑みを浮かべた。
だが、リョゼツの眼だけが獰猛に光る。
リョゼツは剣を抜き、倒れ伏したユラとサラへととどめを刺そうとする。
「……悪く思うなよ。“ゲイル・ストライク”――」
だが次の瞬間――
リョゼツの身体は、まったく動かなかった。
「リョゼツ? 一体どうした、早く仕留めよ!」
フリッツ公が苛立ちを隠さず声を荒げる。
リョゼツは驚愕の表情で自分の足元を見下ろした。
そこには――先ほど破裂して飛び散ったスライムの残滓が、まるで意志を持つかのように蠢いていた。
それは静かに絡みつき、いつの間にか足元を覆って結晶化を始めていたのだ。
リョゼツが全力で足に力を込めても、ピクリとも動かない。
「フリッツ様……こ、これは……!」
声には焦りと恐怖が滲んでいた。
フリッツ公もその異様な光景に気づき、慌てて足元を見下ろす。
すでに自身の足も、結晶化したスライムに絡め取られていた。
青白い結晶が、まるで嘲笑うように淡く光り、拘束をさらに強めていく。
「ば、馬鹿な……! こんなはずでは……!」
スライムはさらに勢いを増して膨張し、二人の下半身を完全に呑み込んだ。
硬質化した結晶が軋む音を立て、全身の動きを奪っていく。
「くっ……! 浄化が……間に合わぬ!!」
フリッツ公は顔を歪め、全身の魔力を集中して浄化を試みる。
だがスライムの増殖速度はそれを嘲るように速く、
青白い光が逆流して、彼の魔力を丸ごと飲み込んでいった。
「フリッツ様っ……もはや、我が武運もここまで……」
リョゼツは苦しげに呟き――ゆっくりと天を仰いだ。
「リョゼツ、諦めるな! 私はそなたを信じておる!
最強の武人リョゼツが、こんなところで倒れるわけがなかろう!」
だが、その叫びも虚しかった。
すでにリョゼツの口は結晶に塞がれ、声はもはや響かない。
動きを封じられたリョゼツからは何の応答もない。
ただ、その瞳から一筋の涙が零れ落ちる。
涙が結晶化したスライムに触れた瞬間――
かすかな音を立て、涙さえも冷たく固まった。
やがてリョゼツの全身は静かにスライムへと呑まれ、
その姿は青白い結晶の底に、永遠へと封じられた。
その光景を見届けていたフリッツ公にも、結晶の波は迫っていた。
肩へ、首元へ、そして頭部へと這い上がりながら、冷たい輝きを放つ。
ふと視線を横に向ける。
そこには――ユラとサラが城内の廊下を、何事もなかったかのように歩いていく姿。
まるで散歩にでも出かけるかのように、楽しげに笑いながら。
「馬鹿な……我らが……我らが、こんな小娘たちに……!」
フリッツ公は呻き声を上げ、最後の抵抗を試みる。
だが喉元を這い上がったスライムが、無情にもその口を塞いだ。
声は途切れ、視界は結晶の輝きに覆われ、
やがて――すべてが静寂に沈んでいく。
――そして、時間が過ぎた。
“かつて中庭だった場所”は、今や青白い結晶の光に包まれ、
地面も壁も天井さえも、凍りついたように輝いていた。
風すら通わず、ただ静寂だけが支配するその光景は――地獄そのものだった。
スライムはすでに形を失い、残されたのは無数の結晶柱と、
その奥に沈んだ第五貴族フリッツ公と腹心リョゼツの影。
生と死の境目さえ凍りついたかのように、
二人は永遠の沈黙に閉ざされていた。
その顛末を目撃していたシシカは、ただ息を呑むだけだった。
目の前の現実を受け入れられず、双子の圧倒的な力に震えが走るほどだった。
「ねー、あのスライムかっこいいよねー!」
「うんうん、ムキムキーって筋肉みたいに硬くなるところがいいよね!」
「あ、じゃあ今度はもっとムキムキさせちゃおうかー?」
「いいねいいね、それ絶対かっこいい!」
当のユラとサラは楽しそうに話しながら戻ってくる。
シシカはその落差に言葉を失い、恐る恐る尋ねた。
「あの……お二人は、どうしてそんなに強いんですか?」
二人は顔を見合わせ、同時に笑みをこぼす。
「だってさー、サラちゃんが強いんだもん」
「あ、嘘付いてる。ユラちゃんが強いんだよー?」
「えっ、ホントだよ? いつもサラちゃんのおかげだもん」
「ううん、違うよ~。ユラちゃんがいつも助けてくれてるから強いんだよー」
二人は「えへへ」と笑い合い、さらに楽しげに会話を続ける。
シシカは困惑したまましばらく見つめていたが、
やがて諦めたようにため息をつき、通信機を手に取る。
「……こちらイチイセン。
シングウ城中庭にて敵――第五貴族フリッツ公および腹心リョゼツを完全に撃破。
――本部、次の指示をお願いします」




