第51話:魔法競技祭当日――イチゴの葛藤
壁内に最初に侵入したのは、イチサンセンだった。
フウコがシスイとエミリの分まで風を操ることで、三人は滑らかに上空を進んでいく。
壁を越えた瞬間、エミリはすぐに違和感を覚えた。
市街地の様子がおかしい。人々がまるで正気を失ったかのように、無秩序に街を彷徨っている。
普段なら行商の声が飛び交う市場も、誰もが無意味に歩き回るだけで、街そのものが“空洞化”しているように見えた。
――これは一体……?
エミリが戸惑いを隠せず周囲を見回していると、フウコが口を開いた。
「精神操作されているのかもしれないわね……。
あの巨大な魔法陣は、二重陣だったってことかしら?」
シスイが軽く鼻を鳴らし、どこか楽しげに応じる。
「あらフウコ、あなたにしては賢明な推理ね。
二重陣――つまり、壁内への侵入を阻んでいたほうの陣が囮なのだとしたら、本命の精神操作陣は、簡単には解除できない構築になっている……そう考えるべきじゃなくて?」
フウコは苛立ちを隠さず言い返した。
「シスイ、その厭味ったらしい言い方、いい加減なんとかしなさいよ。
エミリ、本部に連絡を」
エミリはすぐに専用通信を起動し、短く息を整えてから報告を始めた。
「こちらイチサンセン――。
壁内市街地で住民の異常行動を確認。精神操作が疑われます。
魔法陣に二重構造の可能性あり。現在の魔法陣の状態を確認願います」
エミリが報告する間にも、フウコは思考を巡らせていた。
――あれだけ巨大な魔法陣、その紋様を維持するには……。
フウコは鋭く目を細め、シングウ城の尖塔を見上げる。
そのとき、作戦本部から一斉通信が入った。
「巨大魔法陣は二重構造と判明。
一方は消失したが、もう一方は現在も維持されているようだ」
フウコはシスイに視線を送る。
シスイは短く頷き、唇をわずかに吊り上げた。
「イチサンセン、尖塔に向かうわよ。
エミリ、作戦本部に行動許可を急いで要請して」
許可が下りると同時に、三人は尖塔へと突入した。
だが――そこに敵の姿はなかった。
フウコは窓際まで進み、外に浮遊して周囲を見回す。
尖塔より高い場所は存在せず、見下ろせば街全体が淡く霞んで見えた。
沈黙が落ちたその時、シスイが冷静に口を開いた。
「あらフウコ、どうして魔法陣を“上から見下ろすもの”と決めつけているのかしら?
逆に、魔法陣を下から見上げている可能性だってあるでしょう?」
フウコは一瞬目を見開いたが、すぐにその意図に気づいた。
「……シスイ、あんたの説明は本当にわかりにくいのよ!」
苛立ちを隠さず吐き捨てつつも、フウコは即座に指示を切り替える。
「エミリ、地下深くへと潜れるトンネルを生成して。
敵は地中から巨大魔法陣を管理している可能性が高いわ!」
「了解です!」
エミリは素早く魔法を発動し、地面へと手をかざした。
地中から低く唸るような音が響き、三人を地下深くへと導くトンネルが口を開く。
「こちらイチサンセン。
尖塔では敵影を確認できず。巨大魔法陣を地下から管理している可能性あり。
これより地下深部への潜入を開始します」
エミリが通信を終えると同時に、三人は迷いなくトンネルへ飛び込み――
闇の底へと姿を消した。
◇
一方その頃――
他の班も続々と壁内への侵入を果たし、それぞれの目的地へと急行していた。
市街地では精神操作を受けた民衆が暴れ回っていたが、
乙種諜報部隊が巧みに敵の注意を引きつけてくれたおかげで、
各班はほとんど混乱もなく任務を遂行できていた。
そして最初に敵と遭遇したのは――
地下牢へ急行したイチゴセンだった。
「待て……地下牢のほうから、人の声がする」
レオが鋭く制止すると、イオとテオも緊張を走らせながら足を止めた。
確かに、誰かの声が微かに聞こえる。
「……もしかすると、俺たち……大当たりを引いちまったのかもな」
その瞬間――風の刃がレオの横をかすめた。
三人は即座に小部屋へ飛び込み、壁に身を寄せて息を潜める。
「あの連中……誰かを地下牢に閉じ込めて、それを守ってるってことだろ。
テオ、本部に報告を」
「りょ、了解っ!」
テオは慌てて専用通信を起動し、息を詰めながら報告を始めた。
「こ、こちらイチゴセン!
地下牢付近で敵と接触。加えて、人の声を確認。
これより交戦態勢に入ります!」
通信の間にも、レオは小部屋の陰から通路を覗き込む。
敵は三人――だが、どいつも並の実力ではない。
――三人か。上等だ……やってやる。
そのとき、作戦本部から一斉通信が入った。
『イチゴセン、聞こえるか。
地下牢に捕らえられているのが王族なら、敵は相当な実力者だ。無理に仕掛けるな。
可能な限り交戦を避けろ。
モンドとカイエンを救援に向かわせた。それまで持ちこたえてくれ』
「イ、イチゴセン、了解――!」
『イチサンセンを除く甲種各班へ。
目的地に異常がないことを確認次第、地下牢へ急行せよ』
通信が切れ、場に静寂が戻る。
イオが慎重な声で口を開いた。
「レオ……ここは本部の指示に従って救援を待つべきだ」
だがレオは鋭い目で通路の奥を睨みつけたまま、小さく首を振った。
「いや、敵にはもう気付かれてる。
それに本当に王族が人質にされてるってんなら、呑気に待ってる余裕なんてねぇ。
もし人質に手を出す気配があったら、多少強引にでも突入する。
それまでは遠距離中心で仕掛け続けて、俺たちで時間を稼ぐ。いいな?」
レオの強い言葉にイオとテオは互いに視線を交わし、小さく頷く。
その頷きを見届け、レオは唾を飲み込んだ。
「イオ、準備はいいな?」
「ああ、いつでもいける!」
レオは小部屋の陰から素早く手を伸ばし、通路一帯に薄い霧を展開した。
「イオ、今だ!」
その合図と同時に、イオが右手をかざす。
霧は瞬時に高温の蒸気へと変わり、通路全体が灼熱の奔流へと変貌した。
「やったか――!?」
だが次の瞬間。
灼熱の中を“何か”が突っ切った。
炎を裂く轟音とともに、黒い影が一直線に迫る。
直後、レオは鋭い剣撃に襲われた。
「――っ!」
直撃を覚悟したその刹那――
テオが咄嗟に防壁を展開し、攻撃を受け止める。
防壁はそのまま小部屋の入口を塞いだ。
イチゴセンの三人は小部屋に追い詰められ、一瞬で逃げ場を失うかたちとなった。
――こいつ……かなりやべぇ……!!
通路には、悠然と立つ敵の男。
その存在感だけで、空気が一段重くなる。
「君たちは三つ子だと聞いていたが……連携は随分お粗末だな。
さっきの攻撃も二人だけの連携だっただろう?
せっかくの一卵性ボーナスも二人分しか活かせていないようだ」
男の挑発に、レオは苦々しく吐き捨てた。
「うるせぇ、こっちの作戦に口出しすんじゃねえ!」
――……ちくしょう、言い返したいが実際こいつの言う通りだ。
一卵性ボーナスは、双子なら魔力値がせいぜい20~40%しか上がらない。
レオとイオの魔力値は元々70。双子だけでは魔力値98が限界だった。
モンドやカイエン、フウコ、シスイのように魔力値100を誇る者たちがいる以上、
それを超えなければ“特別な武器”はなり得ない。
しかし現実問題として、イチゴセンの三人目――テオは普段からマイペースすぎて連携が取れない。
本来レオたちは、この課題を今日の午後に開催される予定だった“チーム対抗戦”までに克服し、“レイテセン”への名称変更を勝ち取るつもりだった。
だが結局、間に合わせることができなかった。
そのとき、作戦本部から一斉通信が飛び込んできた。
『イチイセン、イチヨンセンは遭遇した敵を速やかに撃破せよ!
それとカイエン、聞こえるか!? そちらに乙種救護部隊を向かわせた!
これより総指揮権はカエイに移譲し、俺が救援に向かう! それまでモンドを頼む!』
続いて、苦痛に耐えるようなモンドの声が通信に乗った。
『……イチニセン……モンドだ。すまない、専用通信を使う余力がなく……
一斉通信を使わせてもらった……』
すかさずカイエンが遮るように叫ぶ。
『もう喋るな、モンド!
こちらイチニのカイエンだ!
相手は第一貴族テックマン家のアーヴィング!
ここは属性的に俺のほうが有利だ、一人でなんとかしてみせる!
シシン、貴様は王家の方々の安全確保を優先しろ!
すなわちイチゴセンの救援に向かってくれ!!
……すまない、モンドの容態が深刻だ。イチニセンは通信から離脱する!』
一斉通信が途切れ、イチゴセンの三人は驚愕の表情で顔を見合わせた。
通路側に立っていた男は、それを聞いて余裕の声色で口を開く。
「王血部隊の柱石と謳われたモンドもこの程度とはな……。
だがシシンが来るのはさすがに面倒だ。
手早く国王を始末させてもらうとしよう」
言葉を終えると、その男は水音を立てながら地下牢の方へと去っていった。
レオは鋭い眼差しでイオとテオに目配せを送る。
二人は無言のまま小さく頷いた。
「イチゴセン、今から地下牢へと向かう敵を叩くぞ。
いいか、三人で息を合わせて進むんだ!」
テオが防壁を消失させると同時に、レオが霧の立ち込める通路へと躍り出た。
敵の姿は見えない。だが奥からは、水を踏むような不気味な足音だけが響いてくる。
レオはその足音を追った。
イオとテオも後に続く――が、やはり発動したのは二人分のボーナスだけで、
徐々にテオが遅れ始めていた。
その瞬間だった。
背後から鋭い痛みが走り、レオは激痛に膝を折って通路に崩れ落ちた。
振り向くと、イオもテオも同じように倒れている。
――後ろからだと……!?
馬鹿な、強すぎる……!
必死に視線を上げると、そこには無感情な瞳で見下ろす
第一貴族テックマン家当主・エドワード公が立っていた。
エドワード公は僅かに目を細め、静かに告げる。
「勘違いするな。私が強いのではない。お前たちが弱すぎるのだ。
一体これまで何をしてきた? 君たちの実力なら、“イチゴ”という名が相応しかろう」
そして彼は背を向け、ゆっくりと歩き出す。
「ウカク、サカク。――止めを任せる。
少年たちの命を奪う趣味は私にはない」
「はっ」
「はっ」
返事をした二人の男が無慈悲な表情で剣を振りかぶった。
――ちくしょう、結局何もできないまま死ぬのかよ……!
その刹那、レオの全身に生暖かい液体が飛び散った。
顔を上げると、ウカクとサカクが鮮血を吹き出しながら、
真っ二つに裂けて崩れ落ちていた。
――何が起こった……!?
その奥で、背を向けたはずのエドワード公が振り返っていた。
その瞳は――氷よりも冷たく、炎よりも鋭かった。




