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第49話-2:魔法競技祭当日――始まり

 そして――ついに俺の名が呼ばれた。


 静まり返った会場に、審判の声が低く響く。


 静かな決意を胸に、“戦闘訓練場・一”の中央へ歩を進める。観客席からの無数の視線を感じるが、不思議と緊張はなかった。


 だが、場の中央に立ち一礼し、貴族たちを前にした瞬間、“属性解放の儀”の光景がフラッシュバックした。あの日、自分の属性が“無属性”だと告げられ、玉座の広間が混乱とざわめきに包まれた――苦い記憶が鮮やかに蘇った。


 ――違う。もう俺は、あの時の俺じゃない。


 一度目を閉じ、大きく深呼吸をする。

 大丈夫だ、モラタがそばにいる。

 俺たちが“最強のコンビ”だってことを、今、ここで証明してやる。


 心に再び静けさが戻った。

 俺は合図役に小さく頷いて、準備が整ったことを伝える。


「はじめ!」


 掛け声と同時に、一気に集中を高めた。

 感覚を呼び覚ます。まず、あの不快なモヤモヤとした感覚を明確にイメージする。続いて、それとは真逆の作用を持つモヤモヤを心の中に形作った。


 確信をもって、その魔法の名を叫ぶ。


「モラタ――!!」


 掌から放たれた魔力の波が静かに広がり、

 ……観客席がざわりと揺れる。


 ――よし、これでいい。成功だ。

   見た目に何の変化もないことこそが、この魔法の特徴なんだ。


 そう思った、その刹那だった。


 空が、――軋んだ。


 直後、夜のように深い黒の光が降り注ぐ。


 まるで闇そのものが形を成して落ちてくるような錯覚――

 その中心から、ひとりの少女が姿を現した。


 息が詰まる。


 黒を基調に、白と紫の光が差し込んだような髪。

 同じ配色の衣装。

 そして、腕の中に抱かれた黒猫。


 見間違えるはずがない。


 ――ラァラだ。


 胸の奥が一気に高鳴り、息をすることさえ忘れた。

 どうしてラァラが……ここに? 


 しかも、よりによって、こんなタイミングで。


 混乱する俺の前で、ラァラは迷いなく駆け寄ってくる。

 小さな体が勢いよくぶつかり、腕の中に飛び込んできた。


 また――同じ展開だ。


「ジュリジュリ……っ! もう探したんだからぁ……!」


 耳元をくすぐる懐かしい声。

 胸の奥が震える。


 だけど――


 ……違う。


 これは、俺が望んだ結果じゃない。

 俺は新魔法“モラタ”を使ったはずだ。

 今ここで“真の転移者”であることを示さなきゃいけないんだ。


 なのに……どうして、ラァラが。


「な……、なんで……ラァラが……」


 俺の言葉に、ラァラの身体がぴたりと止まった。

 細い肩が、ほんのわずかに震える。


 ゆっくりと顔が上がる。


「えっ……!?」


 その瞳が、大きく揺れた。

 驚き――戸惑い――そして、理解。


 理解した瞬間、瞳の奥の色が変わる。


 悲しみと、どうしようもない拒絶が混ざっていく。


「どうしてなの……どうしてまたこうなるのっ!?」 


 ラァラは一歩、二歩と後ずさり――そのまま崩れ落ちた。

 腕の中の黒猫が短く鳴き、彼女の指を舐める。


 だが、ラァラの瞳は焦点を失っていた。

 宙を彷徨い、どこにも行きつかず、ただ“いない誰か”を探すように揺れている。


「……いない……ジュリジュリが、どこにもいないの……っ」


 その声は、折れそうなほど小さかった。

 けれど次の瞬間、嗚咽が堰を切ったようにあふれ出す。


 ラァラは両手で顔を覆い、地面に膝をついた。

 細い肩が震え、涙の音が、広い競技場に静かに落ちていく。


 泣き声だけが響いていた。


 観客席は凍りついたように静まり返り、

 その沈黙は痛いほど冷たかった。


 やがて、ざわめきが波紋のように広がり始める。


 ――新たな召喚魔法か?

 ――いや、ヒカルの失敗か?


 興味と不安、期待と困惑が入り混じる視線の海。

 その中で、ただ一人だけ――まったく異なる眼差しで俺を見つめる者がいた。


 皇太子ソロモンである。


 彼は迷いのない動作で立ち上がると、

 護衛兵の制止を片手で静かに押しとどめ、そのまま舞台中央へ歩み出た。


 観客席のざわめきが一瞬で飲み込まれ、静寂が訪れる。

 その中心で、皇太子はまっすぐに俺を見据えた。


「見事な魔法だ――ヒカル」


 その声に反射的に片膝をつく。

 胸の鼓動が跳ね上がり、視線は思わず地面へ落ちた。


「あ、あ、有難き……幸せにございます」


 皇太子は俺を見下ろしながら、静かに言葉を紡ぐ。


「これがエドワード殿の指導の成果か。

 ……ヒカル、その魔法、私にも教えてもらえないだろうか?」


「と、とんでもありません! 私ごときが殿下に教えるなど……!

 そ、それに、この魔法は決してあの少女を召喚するような類のものではないのです!」


 皇太子の眉がわずかに動く。

 だが、次に浮かんだのは驚きではなく――どこか温かな笑みだった。


「安心したまえ、ヒカル。私もそれは理解している。

 私が求めているのは、“君の魔法が君自身にもたらした変化”だ」


 一拍の沈黙が落ちる。

 皇太子は視線を逸らさず、ゆっくりと続けた。


「皇太子としては少々情けないことだが……

 実を言えば、私も君と同じく“無属性”なのだ」


 空気が――一瞬止まった。


 ――殿下が、無属性……?


 あまりにも意外な告白に、喉が固まり、言葉が出ない。


 皇太子は小さく息を吐き、しかし誇り高く続けた。


「だからこそ、君の魔法は――私にも“まだ見ぬ道”を示してくれるかもしれないのだ」


 その瞬間、護衛兵が慌てて前へ出る。


「殿下! 新魔法を使用すれば“魔女の嫉妬” を呼び起こす危険があります!

 どうかご再考を……!」


 だが皇太子は、静かに片手を上げただけで制した。

 その仕草一つで、護衛の言葉が喉の奥で止まる。


「もうよい。ヒカルに“魔女の嫉妬”が現れなかった――

 この事実こそが、この魔法の安全性を示している。

 これ以上の口出しは無用だ」


 落ち着きと威厳を帯びた殿下の声が響き、

 観客席のざわめきは徐々に静かになっていく。

 護衛たちは戸惑いながらも、殿下の意志に逆らえず後退した。


 その中でも――ラァラの泣き声だけは、なお場を震わせていた。


「……ヒカル。教えてもらえないだろうか?」


 穏やかさの中に確固たる意志を感じ、

 俺は胸の奥にわずかな迷いを抱えつつも、深く頷いた。


「かしこまりました。では――“モラタ”の基礎から説明します」


 俺は新魔法“モラタ”の構造を、一つずつ丁寧に伝えていく。


 まず魔力の流れを整え、

 次に各属性の魔力配分を微調整しながら、

 殿下の右手へと魔力をゆっくり導いた。


 会場全体が息を飲んで見守っている。

 “次に何が起こるのか”――

 その期待が空気を張り詰めさせていた。


「その配分を維持してください……そうです。

 あとは魔力を込めれば――“モラタ”が発動します」


 殿下は小さく口元を緩めると、

 わずかに緊張した面持ちで、魔法の名を告げた。


「――モラタ」


 その声が響いた瞬間、空気がねじれた。


 まるで、時が止まったかのような沈黙――

 いや、それよりも“世界が何かを失った”ような感覚だった。


 胸の奥で、何かが欠け落ちる。


 ゆっくりと視線を巡らせる。


 ――いない。


 ほんの数秒前まで確かに隣にいたはずの殿下が、

 どこにもいない。


 息が詰まる。

 鼓動が耳の奥で暴れ、視界が波打つ。


 理解が追いつかないまま、全身から血の気が引いていく。


 その時――


「ジュリジュリーーーーーーー!!!」


 張りつめた沈黙を切り裂くように、ラァラの悲痛な叫びが突き刺さる。

 絶望がそのまま形を持ったような声に、観客は一斉に肩を震わせた。


 何が起きたのか――誰も判断できない。

 観客席の誰もが息を呑み、互いに顔を見合わせる。


 短い沈黙。

 その沈黙が、かえって恐怖を増幅させていく。


 ザワリ、と低い波紋のようにざわめきが広がり、

 観客席の視線が一斉に、言葉を探すように俺へと向かった。


 疑念と恐怖――そのどちらもが混じった色だった。


 そのざわめきを断ち切るように、鋭い声が会場に響く。


「ヒカル殿が、ソロモン殿下を討ったぞ!!」


 鼓膜が拒絶する。

 その声を脳が受け入れようとしない。


 聞き覚えがある声。

 ここ最近、毎日のようにそばで叱咤し、導いてくれた――あの声。


 ゆっくりと振り返る。


 そこには険しい表情でこちらを睨みつけながら駆け寄ってくる、エドワード先生の姿があった。


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