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第48話:モラタ

 修行を始めてから十日が経った。


 俺は毎日、エドワード先生の厳しい監督のもと、

 “一つの魔力器を、同時に複数の魔法で使う感覚”を掴もうと必死に取り組んでいた。


 だが、その試みは一向に進展しない。


 感覚に触れようとするたび、あの強烈な不快感が頭を締めつける。

 視界は歪み、吐き気が込み上げ、地面に倒れ込む。

 この日だけでもすでに三度目だった。休憩なしでは立つことすらできない。


 魔法競技祭まで、残された時間はあと数か月。

 その祭典では、“新魔法大会”と呼ばれる特別競技が行われる。


『それまでにヒカルの新魔法を完成させ、この国の人々に希望を示さねばならない』


 ――エドワード先生は、そう言っていた。


 先生の説明によれば、

 魔女の侵攻以降、王国の経済は急速に冷え込み、

 昨年には財源確保の名目で貴族特権の一部が剥奪されたのだという。


 その処置が貴族たちの不満を呼び、

 王都には今なお、重く不穏な空気が漂っている――とのことだった。


 だからこそ、誰もが希望を抱ける“目に見える成果”が必要だった。


 にもかかわらず、十日経っても一切の成果は見えない。

 その現状は、エドワード先生の胸中にも、焦りと葛藤を生み始めていた。


 やがて、その沈黙を破るように、先生は静かに言った。


「ヒカル、この修行は――ここまでだ」


 突然の宣告に、胸の奥が一瞬で凍りついた。


「ま、待ってください、エドワード先生! 俺、まだやれます!

 このまま終わりたくありません、どうかお願いします――!」


 自分の声が震えているのがわかった。

 十日間、倒れても立ち上がり続けてきた努力が、今ここで終わる気がした。


 だが、エドワード先生は静かに首を振った。


「心配するな、君を見放すわけではない」


 穏やかな声音。だが、その眼差しには揺らぎがなかった。


「ただ、この十日間を見てきた限り、

 このまま同じ方法を続けても成果は出そうにない。

 一度立ち止まり、視点を変えて別の道を探るべき時だと判断したのだ」


 その言葉に、胸を撫で下ろす。

 だがすぐに、新たな不安が浮かんだ。


 ――視点を変えるって、一体どうやって……?


 エドワード先生は、ゆっくりと俺の目を見据えた。


「これまで君は、“新しい感覚”を掴もうとするたびに、あのモヤモヤとした不快感に阻まれてきた。

 ならば今度はそこに焦点を当てる。

 その“阻む感覚”がどこから湧いてくるのか――それを探るんだ」


 俺は思わず首を傾げた。

 不快感の原因を探ったところで、それが消えるとは思えなかったからだ。


「でも……それを探ったって、不快感が消えるわけじゃないですよね。

 それで本当に、強くなれるんでしょうか?」


 エドワード先生は険しい表情のまま、静かに言葉を返した。


「“阻む感覚”の正体さえ掴めれば、それを抑える魔法が作れるはずだ。

 そうなれば、一つの魔力器を複数の魔法で自在に操ることができるようになる。

 結果的に、君の力は飛躍的に向上するだろう――四属性すべてを同時に複数の魔法で操ることすら可能になるわけだからな」


 エドワード先生の考えは、柔軟で、そして深かった。


 強くなるというのは、力を積み上げることだけじゃない。

 一度立ち止まり、足元を整えること――それもまた成長なのだと、理解した。


 俺は決意を込めて、深く頷いた。


「……なるほど。わかりました、先生。やってみます!」


 そして――何度も“あの感覚”を探るうちに、ある“違和感”が浮かび上がった。


 あのモヤモヤは、内側から湧いているものじゃない。


 ――これ……外から押しつけられてる?


 意識に触れてくる“何か”が、外側にいる。……そんな感覚だった。


 そのことを伝えると、エドワード先生は目を見開いた。


「外部から……? 干渉を受けているというのか……」


 静寂が落ちる。

 先生は数秒、深刻な表情で沈黙した。


 やがて、思考を切り替えるように視線を上げた。


「理由の究明は後回しだ。まずは、その干渉を遮断する新魔法を開発するぞ」


 迷いのない、強い声音。


 胸が熱くなる。

 いま必要なのは、答えよりも――前に進むことだ。


「……はい、やりましょう、先生!」





 翌日から、俺たちは魔法試打所での本格的な修行に入った。


 外部干渉を断つための新魔法を完成させるべく、

 ひたすら思考と実験を繰り返す日々が、こうして始まった。


 しかし――モヤモヤを遮断する魔法の開発は、想像以上に難航した。


 まず、魔法試打所は予約制なのだが、甲種クラスの生徒たちがこぞって新魔法の研究に没頭しており、空き枠を確保するのも至難の業だった。


 毎日ようやく取れた数時間――それが、俺たちに与えられた唯一の実験時間だった。


 さらに、試打所以外での試行は“魔女の嫉妬”を引き起こすリスクがあるため、許されなかった。

 限られた時間の中で、試行錯誤を繰り返すしかなかったのだ。


 それでも、魔法の成功を示す青いランプは点灯しない。

 ただ、時間だけが無情に過ぎていった。


 そして――気がつけば、魔法競技祭は目前に迫っていた。





――魔法競技祭・前日――


 焦りが募っていた。

 このままでは、何の成果も示せないまま終わってしまう。


 失敗すれば、試打所の片隅で計算式を書き直し、魔力の流れを再構築する。

 再構築した方法で再び試し――そして失敗する。

 それを何度も、何度も繰り返した。


 だが――その中で、ふと一つの考えが閃いた。


 いや、閃いたというよりも……追い詰められた精神の奥から、

 “最後の糸”みたいに浮かんできた――直感だった。


 ――あのモヤモヤと、まったく逆の性質を持つモヤモヤを意図的に作り出せば、

   互いが打ち消し合うんじゃないか?


 それは突拍子もない発想だった。

 だが、他に道はない。


 俺はすぐに魔力を集中させ、想像した“逆モヤモヤ”を練り上げる。


 空気がわずかに震えた。

 試打所の床に、淡い光の紋が――じわりと、浮かび上がる。


 ――カチリ。


 青いランプが点いた。


 一瞬、時間が止まったように感じた。

 次の瞬間、胸の奥で何かが弾けた。


 赤いランプは……点いていない。


 “魔女の嫉妬”の発動なし。


 それはつまり――この魔法は、安全に使用できるということだ。


「……やった」


 呟きが震えた。

 気づけば、視界が滲んでいた。

 長い間押し込めていた焦りと不安が、一気に溢れ出す。


「やった……、俺やったぞ!」


 叫びながら、俺はエドワード先生のほうを見た。

 その姿が視界に入った瞬間、胸の奥の何かが決壊した。


 勢いのまま先生の胸に飛び込むと、

 いつもは厳しいその腕が、そっと俺の背を支えてくれた。


 胸の奥が熱くなり、涙が止まらなかった。


「先生……! ついに……できました!」


 エドワード先生は目を細め、ゆっくりと微笑む。

 そして俺の肩を強く叩いた。


「よくやった、ヒカル。

 この数か月、君の努力と諦めない心が、この結果をもたらしたんだ。

 私は君を――心から誇りに思う」


 その言葉に、また胸が熱くなった。

 魔法試打所の青い光が、静かに二人を包み込んでいた。


 俺たちはそのまま試打所の外へ出て、実際に新魔法の効果を試してみることにした。

 夜風が頬を撫で、遠くの街灯が淡く揺らめいている。


「じゃあ、やってみますね――エドワード先生」


 力強く言うと、エドワード先生は静かに頷いた。

 その眼差しには、厳しさと期待が入り混じっている。


 俺は深呼吸し、魔力を解き放った。


 だが……特に何の変化も感じない。


 一瞬戸惑いを覚えたが、慎重に『一つの魔力器を、同時に複数の魔法で使う感覚』を探ってみる。


 ……あの圧迫感が、ない。


 代わりに、全身の神経が研ぎ澄まされるような快感が広がっていく。


 ――なんだこれ……すごい……。


 俺は片手を掲げた。

 掌の上で熱風が渦を巻き、その中心から水滴が弾け、細かな光の粒が踊る。


 ――これが……俺の、本当の力……。


 軽く跳ねると、地面が弾け、反動で身体がふわりと宙に浮く。

 熱風が追い風となり、背中を押した。


 熱、地面の反動、風圧――すべてが滑らかに一体化していく。


 ――……そういうことだったのか。

   四つの属性をバラバラに使うというより、

   境界が消えて、自由自在に操れる感覚……それに――。


 試すように右手を突き出す。


 次の瞬間――

 熱風が膨れ上がり、轟音とともに巨大な熱嵐が夜空へ吹き上がった。

 風が赤く光り、空気そのものが低くうなる。


 思わず息を呑む。


 ――……やっぱり威力も上がってる。

   “属性解放”とまではいかないけど……これなら戦える――!


 エドワード先生は、その光景を黙って見つめていた。

 唇がわずかに震え、瞳の奥に光が宿る。


「これが……もう一つの光か」


 その声は、驚愕でも感嘆でもなく――確信と誇りの響きを帯びていた。


 俺はゆっくりと地上へ降り立つ。

 エドワード先生の表情は、どこか誇らしげで、穏やかだった。


「ヒカル。

 明日の新魔法大会には、国王陛下と皇太子殿下をはじめ、貴族の多くが来場される。

 その場で、この新しい力を披露してくれ。

 君の魔法が、この国に――新たな希望をもたらすことになるだろう」


 真摯な眼差しを受け止め、俺は力強く頷いた。


「……わかりました、先生」


 エドワード先生は少し間を置き、静かに言葉を続ける。


「最後に一つだけ、大切なことがある。

 ――新魔法には、名が必要だ」


 俺は穏やかな笑みを浮かべ、どこか懐かしさと覚悟を感じさせる口調で答えた。


「この魔法は、俺の新たなスタートだから……。

 名前はもう、決めてあります」


 エドワード先生が少し驚いたように眉を上げる。

 そして、穏やかに頷いた。


 俺は空を見上げ、夜風を吸い込んだ。

 胸の奥から自然と、言葉がこぼれる。


「――“モラタ”」


 その名が夜空に溶けていく。

 風が静かに吹き抜け、木々の葉がやさしく揺れた。




第3章終了です!


ついにここから物語は「大きな戦い」に突入します。

もし気に入っていただけたら、ブックマークや評価など頂けると励みになります。


引き続きよろしくお願いします。

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