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第47話:一番得意な魔法

 エドワード公に連れられ、王血館の裏手の森へ足を踏み入れた。

 木々を抜ける風が、湿り気を帯びて頬を撫でる。


 やがて視界が開け、小さな空き地に出た。


 エドワード公はそこで立ち止まり、ゆるりと振り返った。

 鋭さと落ち着きを併せ持つ眼差しが、まっすぐ俺を射抜く。


「この辺りでよいだろう」


 そう言って手袋を外し、右手を軽く掲げる。

 わずかな風が彼の指先で揺れ、空気が張りつめた。


「さて――ヒカル殿。いや、これからは師弟の間柄だ。

 “ヒカル”と呼ばせてもらおう。まずは、君が最も得意とする属性魔法を見せてくれ」


「……得意な属性魔法、ですか」


 脳裏に浮かぶのは、オッサンのリスト。

 だが――そこに名を連ねるのは、どれも無属性の簡易魔法ばかりだ。


「うむ。強みというのは、弱点の克服からではなく、得意を極めた先にこそ生まれる。

 己の得意を理解し、磨き上げて初めて“武器”となるのだ。

 そのためにも、君自身の特性を把握せねばならん」


 声は静かだが、胸にずしりと響く。


 ――最も得意な属性魔法……。


 しばし考えると、グロリア修道院までモラタと空を飛んだ時の魔法が蘇った。

 風を掴むようにして空へ飛び上がった、あの感覚――。


 深呼吸をし、魔力を集中させる。

 足元の草がわずかに波打ち――


 次の瞬間、突風が巻き上がった。

 身体がふわりと浮き、宙を滑るように前へ出る。


 着地すると、エドワード公は黙って俺を見つめた。

 ひとつ、深く頷く。


「なるほど。加護のない風属性魔法とは思えぬ瞬発力だ」


 だが、ゆっくりと表情を引き締める。


「しかし、それでは“ただの突風”だ。

 本当に“得意”と呼ぶならば、精度と持続が求められる」


「たとえばヒヨリ殿のように、安定して風を操り続ける飛行術。

 あれこそ、真に“得意”と言える技だと私は思うが……どうだ?」


 その言葉に、俺は息を呑み、うなずくしかなかった。


「……なるほど」


 自分の魔法を冷静に分析されるのは、奇妙な気分だった。

 けれど同時に、自分がいかに狭い視野で魔法を見ていたのかを思い知らされる。


 とは言え、エドワード公の言葉に納得はできても、いざ自分自身に置き換えてみると、どの属性魔法が“得意”と言えるのかわからなくなってしまう。


 沈黙の中、エドワード公がふっと視線を細める。


「ガスポール殿から、君は非常に器用な術者だと聞いている。

 先ほども、空気の流れを読んで実に滑らかな着地を見せていたな。――あれは才能だ。

 いいか、ヒカル。強力な魔法である必要はない。

 地味であろうと、自分自身で『これは誰にも負けない』と胸を張れるものが一つあれば、それが君にとっての真の強みになる」


 その言葉は、風よりも静かに、確かに胸に届いた。


「君にはきっと、そんな魔法があるのではないか?」


 ――他の誰にも負けない魔法、か。


 そんな魔法、本当にあっただろうか。

 これまで使ってきた魔法を片っ端から思い返してみるが、特別と言えるようなものは何一つ浮かばない。


 ただ、“器用”という言葉だけが、頭の中で何度も反響する。

 そのうちに、ふと――ある魔法が脳裏をよぎった。


 ……いやいやいや、まさか、な……。


 さすがにあれを得意な魔法だと言って見せるのは気が引ける。

 けれど、モラタが見たときは明らかに驚いていたし、パオタロなんかは完全に引いていたような覚えがある。


 他に思い当たるものもない。

 俺は低く唸りながら逡巡し、やがて意を決して口を開いた。


「……本当に、地味な魔法でもいいんですよね?」


 エドワード公は穏やかに頷き、静かな声で促す。


「構わない。見せてくれ」


「……じゃあ、一応やってみますけど。期待しないでくださいね?」


 そう言いながら、慣れた動きで手を動かす。


 瞬間、空気中の水分が温かな霧となって髪と服を優しく湿らせた。

 それと同時に、心地よい温風が髪を整え、熱風が服の皺を伸ばしていく。

 さらに別の水流と風が口元に回り込み、歯を軽く磨き上げていった。


 数秒後には、身だしなみが完璧に整っていた。


 俺は気まずさを隠すように小さく咳払いをした。


「これは……その、毎朝のルーチンでして。

 ……こういうこと、じゃないですよね? 一応、やってみただけで……」


 恐る恐る視線を上げると――

 エドワード公は驚愕したように目を大きく見開いていた。


「な、なんということだ……!!」


 あまりの反応に思わずのけぞる。


「す、すみません、ふざけてるわけじゃなくて……!」


 慌てて弁解する俺に構わず、

 エドワード公は興奮を隠せない様子で一歩、二歩と近づいてきた。


「ヒカル、その魔法……一体どうやって習得した!?

 誰の指導を受けた? どれほどの訓練を積んだのだ!?」


「え、えっと……特に誰かに教わったとかじゃなくて……。

 寝坊したときに、時短のために色々まとめてやってるだけというか……」


 その答えを聞き、エドワード公は再び目を見開く。


「寝坊、だと……!?」


 森の静寂に、公爵の声が響き渡った。


「……まったく意識せずにこれができるようになっていたのか?」


「は、はい……」


 エドワード公は大きく息を吐き、

 静かに落ち着きを取り戻すと、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「いいか、ヒカル。

 君が使った魔法の一つひとつは、確かにごくありふれたものだ。

 だが、君の凄さは――一つの魔力器を、複数の魔法に同時展開させている点にある」


「……同時展開?」


 意味がつかめず、思わず首を傾げる。

 エドワード公はわずかに頷き、続けた。


「四つの魔力器を持つ君なら、四属性を同時に操ること自体は理論上可能だ。

 だが、通常“一つの魔力器”を、複数の魔法で同時に使うことはできない。

 たとえば空気中の水分を温かな霧にするために火の魔力器を使えば、その魔力器はそこで使用済みとなり、同時に温風を起こすことは不可能になる。

 ――ところが君は、それを当然のようにやってのけている」


 その説明を聞き、思考が一瞬止まった。


「え……そんなこと、考えたことも……」


 自分が何をしていたのか、ようやく理解が追いついていく。

 ただの“便利な日常魔法”だと思っていたものが、実は誰にも真似できない特別な能力だった――。


 エドワード公は腕を組み、ゆっくりと頷いた。


「この力は、従来の理論では説明がつかん。

 四つの魔力器を持ちながら、加護が一つも得られなかったという特異性……そこに何らかの因果があるのかもしれない。

 いずれにせよ――それが君の“強さの鍵”となり、さらには強力な新魔法にも繋がる可能性がある」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが弾けた。

 “無属性”と告げられたあの日から、ずっと閉ざされていた心の霧が、少しずつ晴れていくようだった。


 これまで重くのしかかっていた不安や劣等感が、静かにほどけていく。


 ――モラタ。

   ……お前が届かなかった“戦う力”、俺が絶対に手に入れてみせるからな。


「ありがとうございます……!!」


 思わず声が震えた。


「俺、エドワード先生についていきます!」


 エドワード先生はわずかに笑みを浮かべたが、すぐに厳しい表情へ戻った。


「ありがたい言葉だが、まだ何も成し遂げていない。

 まずは、君が“無意識に行っていること”を自覚しろ。

 その感覚を意識的に掴み、自分の意志で操れるようになる必要がある」


 ――自分の意志で、操る……。


 戸惑いながらも、ゆっくりと目を閉じ、意識を深く沈める。


「……やってみます!」


 だがその瞬間――

 頭の奥で、固く閉じられた扉を無理やりこじ開けようとしたような痛みが走った。


 『一つの魔力器を、同時に複数の魔法で使う感覚』


 それに触れようとしただけで、脳の内側で金属がこすれ合うようなノイズが響き、

 視界がぐらりと歪んだ。


 モヤモヤと濁った波が意識を侵食し、呼吸がうまくできない。

 膝が勝手に折れ、地面に崩れ落ちる。


「うっ……なんだ、これ……気持ち悪……」


 肩で息をしながら、ようやく声を絞り出した。


「意識の中で……その力に触れようとしただけで……

 頭が締めつけられるみたいに……気持ち悪くて……。

 せっかく、自分の道が……見えかけてきたのに……」


 言葉が途切れ、視界が暗くなる。


「ヒカル!」


 エドワード先生がすぐに駆け寄り、崩れた身体を抱え起こした。

 その目には一瞬だけ、驚愕と……何かを見極めようとする強い光が宿っていた。


「焦るな、ヒカル」


 その声は低く、けれど確固としていた。


「新しい道を進もうというのに、最初から平坦であるはずがない。

 今日はここまでにしておこう。続きは明日だ」


 俺は小さく頷き、荒い呼吸を整えながら答えた。


「……わかりました、先生。ありがとうございます……」


 エドワード先生は俺の肩を軽く叩き、少し考え込むように視線を遠くへ向けた。


「だが、目標が漠然としていてはよくないな……。

 よし、数か月後に開催される“魔法競技祭”を目指そう」


「魔法競技祭……?」


 思わず顔を上げる。

 エドワード先生はしっかりと頷いた。


「ああ。この国で最も注目される魔法の祭典だ。

 その舞台で君の新しい力を示すことができれば――この国に“新たな光”を示すことにもなるだろう」


 その言葉に、胸の奥で何かが熱を帯びた。

 新しい目的が、はっきりと形を持ちはじめる。


「……わかりました。

 競技祭までには必ず、この力を自分のものにしてみせます!」


 エドワード先生は満足げに頷き、穏やかに微笑んだ。


「うむ、その覚悟を忘れるな」


 夕闇が森を包みはじめ、風のざわめきが遠くで揺れた。

 空は群青から夜へと移ろい――その変化が、どこか心地よかった。


 胸の奥で、長く沈んでいた不安がゆっくりと薄れていくのを感じた。

 その代わりに――厳しくも確かな“覚悟”の灯が、静かに燃えはじめていた。


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