第45話:もう一つの光
魔法試打所完成の記念式典が終わり、街には夜の帳が下りていた。
貴族たちは次々と従者の差し出す手を取り、煌びやかな馬車に乗り込んでいく。
蹄の音が遠ざかり、やがて王都は静寂を取り戻した。
ただ一人――その輪の中に加われぬ男がいた。
第一貴族、テックマン家当主エドワード。
かつては王国の礎となる名家の頂点であった。
だが今や、領地を失い、従者もいない。貴族という身でありながら、シングウ王家からの金銭的援助と食料配給だけで、細々と生きる身となっていた。
式典会場の裏口を抜けると、冷たい夜風が頬を撫でた。
街灯の薄明かりが石畳に影を落とす。
華やかな拍手がまだ耳の奥に残っている――その落差が、胸の奥に鈍く響いた。
ようやく屋敷へ辿り着き、軋む扉を押し開ける。
だが、安堵の息を吐く間もなく、奥から足音が近づいてきた。
「父上!」
切迫した声が闇を裂く。
現れたのは、長男アーヴィング――ガブリエウの兄だった。
薄い金髪を乱し、焦りと怒りを宿した瞳で父を射抜く。
「ヒヨリが……未来を見る力を持っていたというのは本当なのですか!?」
唐突な問いに、エドワードは眉間に皺を寄せた。
少しの沈黙のあと、低く問い返す。
「……どこで聞いた?」
「ルドルフです。本日の記念式典で耳にしました」
「第三貴族フリードマン殿のご子息か……」
短く目を閉じ、重く息を吐く。
「――確かに事実だ」
アーヴィングの瞳が大きく揺れる。
興奮とも怒りともつかない感情が、同時に燃え上がる。
「やはり……! すべての理由が、ようやく繋がりました」
声がわずかに震えていた。
「“属性解放の儀”を狙った計画がことごとく潰されたのは、
内部の裏切りなどではなく――
ヒヨリが未来を見て、事前に対処していたからだったのですね。
そして……そのヒヨリは今や、その力を失った……」
拳を握りしめ、父を睨み上げる。
「なぜもっと早く教えてくださらなかったのですか!」
エドワードの表情が険しくなる。
「落ち着け、アーヴ。
そもそも私は“属性解放の儀”で動くこと自体に反対していた。
お前たちが私の制止を振り切り、勝手に突き進んだ結果だということを忘れるな」
「……ですが!」
反論しかけたアーヴィングを、エドワードの冷たい視線が封じた。
氷のような眼光に、言葉が喉で止まる。
「ヒヨリ殿が未来を見て手を打った結果が今の世界だとするなら――
アモン陛下をはじめ、上層の者たちはすでに“テックマン家が謀反を企てていた”ことを承知している、ということだ。
それでもなお、我らを処罰せず、寛容にも見逃してくださっている。
……その意味を、お前は理解しているのか?」
アーヴィングの表情に悔しさが滲んだ。
エドワードは静かに言葉を続ける。
「ガブリエウが突然、王血部隊に加えられた理由もそこにある。
監視下に置き、テックマン家の戦力を削ぐ目的があったはずだ。
……罰せられずに済んでいることに感謝こそすれ、恨むべきではない。
この状況を招いたのはお前たちの短慮だ。二度はないと思え」
その冷たい言葉に、アーヴィングの胸の奥で押し込めていた怒りが弾けた。
「父上は……まだ耐えろとおっしゃるのですか!?」
声が震えていた。
「私は母上のように、無念のまま終わりたくはありません!」
その一言に、エドワードの瞳が鋭く光を帯びる。
「何度言えばわかるのだ、アーヴ!」
エドワードの声が屋敷に響く。
「我らの目的はあくまでも――ダーマンベルクの奪還だ。それを忘れるな!」
「父上こそ、私のことを理解していない!」
アーヴィングは息を荒げ、胸元の鎖を引き出した。
銀のペンダントが、蝋燭の光を受けて淡く輝く。
「私はガブとは違う! この母上の形見が、私に力を与えてくださる!
私は、母上の果たせなかった意志を継いでいるのです!」
手は震え、激情が全身を支配していた。
その姿を見つめながら、エドワードは深く息を吐いた。
「……では問う。
仮に魔女側へ寝返ったとして、ダーマンベルクの統治権が我らに与えられる保証があるのか?」
アーヴィングの肩がわずかに揺れる。
「その可能性は――限りなく低い。
シングウ王国の転覆など、魔女に勝てぬと確信したときに取る“最後の手段”に過ぎぬ。
その愚を、ゼーマン家が証明したばかりだろう」
アーヴィングは唇を噛み、視線を逸らした。
悔しさが喉の奥を焼くように広がる。
エドワードはしばし沈黙し、低い声で続けた。
「……もしヒヨリ殿が本当に“光属性”を失ったのなら――王国を動かす均衡は崩れよう。
そのときが来れば、我らも動かねばならぬのかもしれぬ……。
だが――今ではない。不確かな情報で動くことは絶対に許さぬ」
重く響くその声に、アーヴィングの呼吸が止まる。
「――それに、動くとなれば必ず勝たねばならぬ。
そのためには徹底した準備と、緻密な情勢分析が欠かせん。
それが整うまでは耐え忍べ。……お前はいつも、血が先に走る」
言葉の鋭さとは裏腹に、声音には父としての哀しみが滲んでいた。
エドワードは目を細め、さらに声を落とす。
「念のため確認しておくが、ゼーマン家が企て、失敗に終わったあの一連の反逆騒動――
本当に、お前たちは一切関与していないのだな?」
アーヴィングは驚いたように目を見開き、すぐにきっぱりと答えた。
「……しておりません。我々とは無関係です」
エドワードは息子の瞳をしばらく見つめ、沈黙ののちに小さく頷いた。
「そうか、ならばよい。――それからガブには伝えておけ。
『我らが動くまでは、決して勝手な行動を取るな』とな。
あれはお前以上に手綱が利かぬ。暴走されてはかなわん」
アーヴィングは小さく息を吐き、渋々と答えた。
「……承知いたしました」
それだけ告げると、彼は苛立ちを胸に秘めたまま踵を返し、部屋を後にした。
胸元で揺れる銀のペンダントが、彼の焦りを映すように小さく光を跳ね返す。
残されたエドワードは、重い息をひとつ漏らしながら椅子に腰を下ろした。
月明かりが白く差し込み、夜風が薄くカーテンを揺らしている。
その静けさの中――ふと、御前会議でのガスポールの言葉が鮮やかに甦った。
『実は、未だ解明されぬ“異能”を宿す者が、もう一人おりまする。
その者を――エドワード殿、貴殿に託したい。
果たしてその力が、この国の新たな希望となり得るのか……どうか見極めていただきたいのですじゃ』
あのとき、ガスポールの瞳には、老いを超えた確かな光が宿っていた。
『エドワード殿も“属性解放の儀”にご列席なされておったゆえ、名はご存じでしょう。
――ヒカル。魔法器を四つも持ちながら、いかなる加護も得られなかった少年ですじゃ。理論上ではその確率はほぼ零、常識では説明がつきませぬ。
ゆえにこそ、彼こそがこの国に残された、もう一つの光となるやもしれませぬ……』
あの時、エドワードは静かに頷き、こう答えた。
『……それは、願ってもない話だ。近いうちに、ぜひとも直接会わせていただこう』
あれは、単なる社交辞令ではなかった。
テックマン家が決断を下すまでの猶予は、すでに限界に近い。
その少年、ヒカルとやらに本当に希望を託せるのか。
あるいは……もう、その道しか残されていないのかもしれぬ。
エドワードは、ゆっくりと顔を上げた。
蝋燭の炎が揺れ、瞳の奥に、微かな決意の光が宿る。
「……もう一つの光、か」
呟きは夜風に吸い込まれ、消えていった。
窓辺の炎が一度だけ瞬き、そして静かに揺らぐ。
エドワードは立ち上がり、扉へ向かう。
その足取りに、もはや迷いの影はない。
――王国の静寂の奥で、止まっていた歯車が再び動き出そうとしていた。




