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第42話:最強のコンビ

 気づけば、残る風穴は――ただ一つ。

 その穴の吸引の唸りが、まるで獣の咆哮のように空気を裂いていた。


「くそっ……なんなんだよこれ! 俺たち以外、全員――」


 怒鳴る声さえ、風に奪われる。


 モラタが肩越しに叫んだ。


「落ち着け、ヒカル!

 残る穴は一つだ――止める方法を考えるぞ!」


 モラタは片腕で柱にしがみつきながら、もう片方の手で懐から紙を引き抜いた。

 紙が風をはらみ、たちまち淡く光を帯びる。


「――飛べっ!」


 その言葉とともに、紙から魔鳩が弾けるように舞い上がった。

 しかし、その魔鳩は羽ばたく間もなく強烈な吸引に呑まれ、悲鳴のような音を残して風穴に吸い込まれていく。


 爆音。


 だが、風穴の唸りが止まる気配は全くない。


「魔鳩じゃダメか……なら、別の方法だ!」


「いや、単純に魔鳩の数が足らないだけかも!」


 俺は魔力を集中させ、手を広げる。

 空中に魔鳩が次々と形成され、黒い群れとなって一斉に風穴へ突っ込んだ。


 ――が、結果は同じだった。


 どれだけ数を増やしても、穴の吸引は弱まらない。


 モラタが唇を噛み、紙をもう一枚取り出す。


「じゃあ、これでどうだ!」


 爆符が宙を走り、風穴へと叩きつけられた。

 爆音。閃光。衝撃波。


 ――無反応。


 風穴は、ただ飢えたように唸り続けるだけだった。


「なら……力ずくで塞ぐ!」


 俺は魔力を練り、掌に石礫を無数に浮かべると、風穴へ次々と射出する。

 だが石礫は、風穴に触れた瞬間に呑まれ、跡形もなく消えていく。


 まるで――“触れたもの全てを喰う生き物”の胃の中に投げ込んでいるようだった。


 だがそのとき――。


 床の紋様が、一瞬、生き物みたいに脈打って見えた。


「……っ、そうか……!

 “床の魔法陣”そのものが本体なんだ!

 モラタ、魔法陣を狙ってみ――」


 言い終える前に、床の光が一段強く脈打つ。

 俺は反射的に目を細めた、その瞬間――手が汗で滑り、柱から離れた。


 強烈な吸引が、体を引きちぎる勢いで襲いかかる。

 必死に腕を伸ばすが、指先は柱に届かない。


「うわああああっ!」


 体が宙へ引き剝がされ、視界がひっくり返る。

 風圧が肌を裂くように叩きつけ、呼吸が奪われた。


「ヒカルっ!」


 咄嗟にモラタが片手を伸ばし、間一髪で俺の腕を掴む。

 だが俺の体は空中に浮き、強烈な力で穴へ引きずられる。

 モラタの腕が、千切れそうなほど引っ張られた。


「離すな、ヒカル! 絶対に離すんじゃねえぞ!」


 轟音の中でも、モラタの声だけははっきり届いた。

 柱を片手で掴み、もう片方で俺を引き戻そうとする。


 だがその指先が、汗と血で――ほんの少し滑った。


「くっ……!」


 モラタの歯が軋む。

 骨がきしむ音が、互いの腕から伝わってくる。

 それでもモラタは離さない。


 その腕は震え、柱を掴む指先は白くなり、爪が石に食い込むほど力が入っていた。


 ……だが、確実に限界が迫っていた。


「モラタ! もういい、離せっ!

 お前まで巻き込まれる!!」


 必死に叫ぶ。

 だが、モラタは首を横に振った。

 顔は青ざめ、唇も震えているのに――瞳だけは、真っ直ぐ俺を捉えていた。


「……俺は、絶対にお前を助ける」


 静かな声が、風の唸りを断ち切った。

 胸の奥が、痛いほど締めつけられる。


「モラタ、冷静になれ! これは俺のミスなんだ!

 俺のせいでお前まで犠牲になる必要なんてないだろ!」


 だが、モラタの目に迷いはなかった。


「これが俺の“冷静な判断”だ」


「な、何言ってんだよ、モラタ!」


「ヒカル、お前には可能性がある。お前自身の手で魔女を倒し、この国を救える可能性があるんだ!」


「あれは俺が見栄を張ってただけだ!

 実際は『天文学的に運が悪かった』って言われてんだよ!

 俺にはもう、可能性なんて――!」


 俺は叫んだ。

 喉が張り裂けるほどの声だった。


「ハハ、やっぱりお前はすげえ奴だよ……」


 モラタは笑った。

 だが、その笑みには――かすかに覚悟の影が差していた。


「天文学的に運が悪かった?

 そんなもん『原因はわかりませんでした』って言ってるのと同じじゃねえか」


 モラタの声には、不思議な強さが宿っていた。


「……だったら俺はその“天文学的な運の悪さ”の逆に賭けるぜ。

 本来、お前には加護が付いて当然だったんだ。……そうだろ?

 そんなの俺に言わせれば、“可能性ありまくりの勝ち確”だぜ」


 俺は眉をひそめるしかなかった。


「……なんだよ……なんなんだよ。

 なんでお前はいつもそんなに前向きでいられるんだよ」


 モラタの腕は限界まで震えている。

 柱を掴む指先は白く変色し、今にも剥がれそうだった。


 それでも――笑った。


「……俺はな、“可能性がゼロの男”なんだ」


 その言葉は、風の轟きの中でもはっきりと届いた。


「ガキの頃はさ、親に殴られて蹴られて……

 何もできないまま、大人になるのを待つしかなかった。

 ようやくこっちの世界に来て、“自由”を掴んだと思ったんだ。

 なのに――魔法器が一つもないって言われたときは、本当にショックだったよ」


 モラタは一瞬、遠くを見るように視線を揺らした。


「ああ――

 神様は、こっちの世界でも俺にチャンスを与えてくれないのかって」


 その声は小さいのに、妙に胸が締めつけられた。


「何かを成し遂げるために、どんなに頑張りたくても――

 いつも俺には可能性がなかった。

 “努力する”って行為そのものが、許されなかった。

 ……ずっと、そういう人生だった」


 言い返そうと口を開いた瞬間――


「黙って聞け、ヒカル!!」


 怒鳴るような声が、風穴の咆哮さえ押し返した。

 その一瞬で、世界から音が消えたように感じた。


 モラタは歯を食いしばり、柱にしがみつく腕が震えている。


「もう限界が近いんだ。

 ……だから、最後まで俺の話を聞いてくれ」


 その直後、モラタが口の中で“何か”を噛み切る小さな音がした。

 温かい飛沫が、俺の頬に弾けてかかる。


 次の瞬間――身体が、急速に動かなくなった。

 全身が痺れ、指先すら動かない。声も出ない。


「すまない、ヒカル。

 ……でもな、今のお前の気持ちは痛いほどわかるんだ。

 魔法器が一つもないって言われた、あの頃の俺と似てるからな……」


 モラタの声は、風に削られながらも優しかった。


「でも、お前は俺とは違う。お前には可能性がある。

 だったら絶対に、最後まで諦めるなんて言うな。

 最初から諦めるしかなかった俺の前で……そんなこと言うんじゃねえよ」


 痺れていく腕を、モラタがさらに強く握り直す。

 その指先は血で濡れ、震えているのに……離そうとしない。


「“チャンスがある”ってだけで、生きる理由としては十分なんだからな」


 風穴の光を反射したその瞳は、痛いほど真っ直ぐだった。


「そして、俺にもようやくチャンスが巡ってきたんだ。

 自分の意志で掴める……人生で初めてのチャンスが。

 ――お前を助けるっていう、最高のチャンスがな」


 一瞬だけ、モラタの目が揺れた。

 光と風が入り混じる中で、モラタはただ俺だけを見ている。


「……も、やめて……くれ」


 かすれた声を絞り出す。

 だが、モラタは静かに首を振った。


「いいか、ヒカル。よく聞け。

 俺は、お前に“俺の全部”をベットするって言ってんだ」


 その声には迷いも恐怖もない。

 ただ静かな、決然とした響きだけがあった。


「お前がこれから成し遂げることは、全部俺のおかげだ。

 全て実質俺がやったことだからな。絶対に忘れるなよ。

 お前が魔女を倒せば、その時は実質俺が倒したってことだ」


 何かを言おうとしても、もう声にならなかった。

 視界が滲み、頬を伝う熱いものが風に散った。


 モラタは、そんな俺を見て、いつものように優しく笑った。


「だから俺たちは、これからもずっと――

 “ひたすら前に進み続ける最強のコンビ”なんだ」


 その瞬間、モラタは柱に掴んでいた手を放し、

 残った力のすべてを振り絞って俺の腕を引き寄せた。


 次の刹那、体が入れ替わる。


 そしてモラタの足が、俺を――突き飛ばした。

 突風の届かない柱の影へ、全力で。


「悪いな……俺はここまでだ」


 その声が、轟音の中で確かに聞こえた。

 身体が動かない俺には成す術もない。


「……モ……ラ」


 俺が絞り出した声は、風に飲まれた。

 モラタは自分の身体の向きを変え、風穴へと身を投げるように飛び込んでいった。


 目の前の全ての光景がスローモーションのように見えた。

 ゆっくりと、ただひたすらにゆっくりと、モラタが風穴へと近づいていく。


 俺の目には、モラタが微かに微笑んでいるようにさえ見えた。


 モラタが吸い込まれると、瞬間、鮮血が舞った。


 ――バシュッ。


 その血さえも、すぐに吸い込まれて消えた。

 

 役目を終えた最後の風穴は、彼を喰らい尽くしたことを満足げに告げるように、静かに閉じた。


 床の魔法陣も淡く消え去っていった。


 ――静寂。


 風の音も、叫びも、すべてが消えた。

 残ったのは、俺の震える息だけだった。


 まるで最初から何もなかったかのように、その場には、ただ静寂だけが残った。


「……モ……ラ……」


 俺は動かない身体で、

 かすれた声を絞り出すように、何度も何度もモラタの名前を呼んだ。


 何度呼んでも、返事は返ってこない。

 まるで、この世界ごと沈黙してしまったみたいだった。


 涙が溢れ、視界はぼやけ、声は次第に嗚咽へと変わっていく。


 それでも、ただ名前を呼ぶことしか許されない。

 その圧倒的な無力さと絶望が、俺の心を容赦なく押し潰していった。


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