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第37話:変わらぬ想い

「ここは、ヒヨリさんが襲撃したグロリア修道院の跡地だ」


 モラタの言葉に、息が詰まった。

 視線の先では、慰霊碑のまわりに人が集まっている。


 ヒヨリによって破壊された修道院は、もはや見る影もない。

 壊れた壁の一部を残して瓦礫はきれいに撤去され、今ではただの広場のようになっていた。


「実は俺、襲撃から少し経った頃に、一度だけここへ来たんだ」


 モラタが口元を緩め、俺のほうを見る。


「ヒヨリさんを助ける手がかりがないかと思ってな。……でも、何も見つからなかった」


「なんでお前がそんなことしてんだよ。ガスポール先生と憲兵隊に任せれば――」


「俺がやりたかったんだ」


 迷いのないその一言が胸に刺さった。


「なんだよ、それ……」


 俺の声は思ったより小さかった。

 モラタはわずかに笑い、けれど目の奥は真剣だった。


「ヒカル、お前、ほんとダサくなったよな。

 今のお前って、何を理由に動くのか、ちゃんと自分で決めてんのか?」


 ――俺が動く理由。


 その言葉が頭の奥で響く。


 考えてみれば、最近の俺には明確な目的なんてなかった。

 乙種にいるのは、ガスポール先生に勧められたから。

 命の危険から遠ざかれると思ったから。


 楽で安全な場所にいたかっただけだ。


 でも――。

 本当はどうしたいのか。

 何を目指して生きていくのか。


 その答えを掴めずにいる自分が、どこか遠くに感じた。


 胸の奥のぐちゃぐちゃは何ひとつ言葉にならない。


 モラタが静かな口調で問いかける。


「お前、このまま無意味な日々を送って……その先に、何があるんだよ?」


 胸の奥を抉られたような痛みが走る。

 図星すぎて、呼吸がうまくできなかった。


 胸が焼けるみたいに熱くなり、手のひらがじっとり汗ばむ。


 何も言い返せない。


 だから怒鳴るしかなかった。


「さっきから何なんだよ!

 お前に、俺の何がわかんだよ!」


 だが――モラタは眉ひとつ動かさない。

 まっすぐなその視線が、さらに俺の中の感情をかき乱す。


「じゃあ聞くけど、お前は何がしたいんだよ!」


 焦りが言葉ににじむ。

 怒りに隠していたはずの弱ささえ、モラタには見透かされている気がして――

 もう、苦し紛れに問いただすしかなかった。


 モラタが、ゆっくりと口を開く。


「俺は――」


 その答えを聞く前に、目を射るような閃光が広場を包んだ。


 反射的に腕で目を覆う。

 同時に耳をつんざく悲鳴。


「キャー!!」


 慰霊碑のほうからだ。

 光の中心で、何かが弾けたように見えた。


「行くぞ!」


 俺たちは同時に走り出した。


 群衆のざわめきをかき分け、視界の先を見上げる。

 慰霊碑の台座の上――そこに、異様な老婆が立っていた。


 骨のように痩せた腕を広げ、乱れた白髪が陽光を反射して銀色にきらめく。

 皮膚は土のように乾き、指先は枯れ枝のように細い。

 背後には、配下らしき影が一人、無言で控えている。


「ふふふ……あの女に出し抜かれ、一度は倒されたが――」


 老婆は、ゆっくりと顔を上げた。


 皺だらけの頬が引きつり、

 笑みとも痙攣ともつかない歪んだ表情が広がる。


「こうして再び、蘇ったぞ」


 広場に張りつめた緊張が走る。

 老婆の声は、まるで耳の奥に直接響くような不快な音だった。


「皆の鎮魂の祈り、そしてこの慰霊碑……ふふ、まさかワシを目覚めさせる儀になろうとはの。礼を言うぞ――愚かな者どもよ」


 群衆は誰一人動けず、沈黙が重く圧し掛かる。


 沈黙を裂くように、一人の男が震える声を上げた。


「お、お前はいったい何者だ!」


 老婆の目がぎらりと光った。

 その眼差しは蛇のように鋭く、男を射抜く。


「ワシか?」


 一拍の間。


 そして――口元にゆっくりと笑みが刻まれる。


「ワシは――魔女様の使徒よ」


 次の瞬間、老婆の喉から

 金属をひっかくような、耳を裂く笑い声が噴き出した。


 張りつめていた空気が、その音で一気に弾けた。

 人々は我に返り、恐慌が爆発した。


 悲鳴と怒号が入り混じる。倒れる者、叫びながら逃げ出す者――。

 広場は、瞬く間に地獄のような混乱に変わった。


 混乱の中、一人の男が俺たちを見つけて駆け寄ってきた。

 血走った目で、必死に叫ぶ。


「あ、あなた方は王血部隊の方ですよね!? どうか、早く助けてください……!」


 制服を見て、そう判断したのだろう。

 だが俺たちが着ているのは、非戦闘部隊を示す“緑”の制服――乙種だ。


「いや、俺たちは乙種なので――」


 言いかけた瞬間、モラタが俺の前に出た。


「大丈夫です! ここは僕たちに任せてください! 皆さんはすぐに避難を!」


 その声はよく通り、混乱の中でもはっきりと響いた。

 男は何度も頷きながら背を向け、群衆に紛れていった。


 俺は思わずモラタの肩を掴む。


「おい、カッコつけてんじゃねぇよ!

 あんなの、どうやって俺たちだけで対処すんだよ!」


 だがモラタは振り返らず、静かに言った。


「ヒカル……お前は、逃げる理由をつくるために乙種に入ったのか?」


 その一言が、喉の奥に突き刺さった。


「……は?」


 モラタがこちらを振り返る。

 瞳には、昔と同じまっすぐな光があった。


「それがお前のやりたいことなのか?」


 声に怒気はなかった。ただ、真剣な問いだった。

 ラァラのことが一瞬、頭をよぎった。

 俺は言葉を失い、何も返せなかった。


 モラタは息を吸い、低く、だがはっきりと言う。


「俺はな、まだガキだった頃――

 お前と一緒にいたあの時から、やりたいことは何も変わってない。

 ――いいぜ? 逃げたきゃ逃げろよ」


 言い終えると同時に、モラタは駆け出した。


 ――ガキだった頃とやりたいことは変わってないって……なんなんだよ!


 胸の奥がぐっと詰まり、息が止まった。


 一直線に慰霊碑の台座へ向かっていくモラタ。


 その背中を見た瞬間、

 土の匂いのする公園、夕日の中で笑っていたあの頃のモラタが――ふっと脳裏をかすめた。


 モラタは制服の内ポケットから一枚の札を抜き取り、鋭く振りかぶって投げた。


 札は風を切り、老婆の肩に突き刺さる。


 一瞬、時が止まったように静まり返り――


 次の瞬間、爆発。


 轟音と衝撃波が広場を貫く。

 老婆の姿は、炎と煙の渦に呑まれて消えた。


 ――まさかお前……魔女を倒すつもりでいるのか!?


 モラタとは幼い頃、悪者を倒すヒーローごっこをしてよく遊んでいた。


 正義のために悪を倒す――。

 モラタは本気で、それを現実にしようとしているのだと感じた。


 ――けど、お前には魔法器が一つもないんだぞ……!!


 無茶だ。どう考えても、そんな子供騙しの攻撃じゃあいつには通用しない……!


 だが――モラタは止まらなかった。


 もう一枚の札を取り出すと、地面に叩きつける。

 紙面が光を帯び、そこから一羽の魔鳩が生まれた。


 ……そうか、モラタの狙いは――。

 仕込んでおいた紙の魔法陣でまず爆風を起こす。

 それによって老婆の注意を自分に引きつけ、民衆を避難させている間に、その爆風の死角を利用してさらに次の札を展開する――。


 ただの無鉄砲ではない。

 強大な相手に勢い任せに挑む蛮勇でもない。

 戦力差を冷静に認めたうえで、緻密な戦略を実現している。


 俺は思わず息を呑んだ。


 あれだけの戦術と動き、そして積み重ねた準備。

 一朝一夕でできることじゃない。

 魔法器がなくても戦える方法を探し、そのために鍛錬を重ねてきた――。

 その努力が、今この一瞬に凝縮されている。


 ――あいつ、本気で魔女を倒すつもりなんだ。


 だが、その刹那。

 魔法陣を展開しなければならない分、どうしても動きがわずかに遅れてしまう。


 ……その一瞬の遅れが、致命的な弱点に思えた。


 老婆が腕を払った。


 魔鳩の動きが、ぴたりと止まる。

 次の瞬間――全身が網目状に凍りつき、粉々に砕け散った。


 粉々になった氷片が陽光を弾き、白い光の雨のように散った。

 その中で――モラタの口元がわずかに笑った。


 視線の先――上空には、無数の光が舞い上がっていた。


 魔鳩たちだ。


 俺が放った。


 ――モラタの動きを囮にすれば……!


 考えるよりも早く、体が動いていた。

 というより、体が覚えていた。

 ヒーローごっこの時に二人で編み出した時間差攻撃の流れそのものだった。


 気づいたときには、もう空へと大量の魔鳩を解き放っていた。

 体が勝手に動いた――あの頃と同じように。


 老婆が両腕を広げる。

 水の魔力が空気を震わせ、冷たい風が一帯を包み込む。

 老婆は、俺の魔鳩たちを一斉に撃ち落とそうとしていた。


 ――まじかよ……。

   でも待て、あの氷の魔法には見覚えが……。


 一瞬、森の奥で見た光景が脳裏をかすめた。


 ――それに、もう一人の配下っぽいやつ。

   あいつ、いちいち大袈裟に動いてるだけで、さっきから何もしてない。


 ……妙だ。


 空を見上げる。

 俺が放った魔鳩たちが、次々と翼を凍らせて墜ちていく。

 氷の破片が散り、光を受けて空一面がきらめいた。


 だが――その向こう。

 蒼い空の中で、ピンクの長い髪を風になびかせながら、一人の人影がゆらりと浮かんでいた。


「もぉ、せっかく倒したのに~。

 復活しちゃうなんてダメなんだよぉ? プンプンなんだからねっ!!」


 その声を聞いた瞬間、胸の奥が凍りついた。


 ――ヒヨリさん……!?


 けれど、そんなはずはない。

 彼女は今も拘置所にいる。ここに現れるはずがない――。


 混乱する思考の奥で、ひとつの可能性が閃いた。


「モラタ! あいつはヒヨリさんに任せて、俺たちは民衆の救出に移るぞ!」


「……わかった!!」


 二人が駆け出す。


 老婆は追わなかった。ただ静かに、その背中を見送っていた。


 氷の粉が舞う光の中――

 その口元に、ほんのわずかに笑みが浮かんだ。


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