第36話:泥に咲く魔法陣
第39話まで毎日二話ずつ公開します。
パチッ――。
白亜の石畳に火花が散り、すぐに消えた。
魔法計測器の針は、気まずそうにゼロを指したままだ。
「……もう一回。深く息を吸って、意識は“器”の底。焦らなくていいからの」
背中越しに響くガスポール先生の声。
言われた通りに息を整えながら、俺は掌をじっと見つめた。
ふと、エミリの言葉が脳裏をよぎる。
『魔法器が三つ以上あれば、一つは加護がつくはずなんです』
俺には“魔法器”が四つある。
なのに、魔法計測器の針はどの属性にも反応しない。
あのオッサンが言っていた“期待外れ”って――まさかこのことだったのか。
◇
ミロ襲撃の日から一か月が過ぎた。
俺――ヒカルは、王血部隊の乙種に配属されていた。
魔法器を四つも持ってるのに、“属性解放の儀”で一つも加護がつかなかったからだ。
ガスポール先生が何度も検証してくれたけど、解放手順のミスはなし。
『天文学的に運が悪かった』。
あれだけ期待されて祭り上げられたのに、オチがこれってわけだ。
で、そんな俺に、ガスポール先生が言ってきたのがこれ。
『王血部隊・乙種として学ぶのはどうじゃ』
乙種――魔法器が二つ以下のやつを集めたクラス。
戦闘部隊である甲種を支えるのが乙種の役割らしい。
中には属性加護を持ってるやつもいるが、結局は「少ない魔法器でいかに工夫するか」なんて話ばっかりだ。
魔法器を四つ持つ俺には、どれも無意味にしか思えなかった。
とはいえ、ラァラの手がかりも相変わらず見つからない。
彼女は無事でやっているだろうか。
どうしてこの世界からラァラの記憶が消えたのか。
彼女はどうやってこの世界に来て、どうやって消えたのか。
いったい何者なのか――ラァラに聞きたいことは山ほどある。
だけど、考えたところで答えは出ない。
それに、元の世界に戻る方法もわからない。
今は、先生が用意してくれた“居場所”に、しばらく甘えておくしかなさそうだ。
それに、乙種の一員として、王血館で暮らす生活にも少しだけ慣れてきた。
授業の合間に声をかけてくる双子――カイトとミヤコとは、いつの間にか昼を一緒に食べる間柄だ。
……いわゆる“友達”ってやつだ。
こんなふうに笑って過ごせるなら、乙種としてこの世界でゆっくり生きるのも悪くないのかもしれない。
というわけで、俺は今、王血部隊・乙種として、シングウ城から少し離れた“王血館”で生活しながら魔法を学んでいる――これでも一応、普通にやってる。
◆
今日も乙種の教室では、魔法理論の授業が行われていた。
前列の生徒たちは真面目にノートを取り、先生の言葉に頷いている。
俺も一応、話を聞いてはいるけど……正直、頭にはあまり入ってこない。
ペンの音だけがやけに響く。
ふと、そんな静けさの中で、息をひそめるような緊張を感じた。
……最近、教室の空気が妙にピリついてる気がする。
原因は……まあ、言わなくてもわかる。
ミロ襲撃事件のあとから、みんな妙にピリピリしているのだ。
中庭を見ると、やっぱりあの定位置にいる。
あれは“ニイチセン”―― 今日はパオタロたちか。
“乙種が狙われてる”なんて噂が出たのもその頃だ。
最初は冗談半分に聞き流していたけど、甲種の生徒たちが巡回し始めてからは、もう誰もその話を冗談にしなくなった。
実際、ダイタ、ミロと、乙種部隊員の命が立て続けに狙われた。
いつ襲われるかわからない。次は自分かもしれない――そんな不安が、俺の中にも確かにあった。
授業が終わると、俺は行き場もなく、なんとなく外へ出る。
昼の光が差し込む石畳の上を、あてもなく歩いていたそのとき――
「雑魚のくせに生意気なんだよ!」
突然、向こうのほうで怒鳴り声が響いた。
見ると、背を丸めてうずくまっている生徒を、何人もが取り囲み、蹴りつけていた。
緑の制服に白の二本線――全員、乙種・二期生の生徒だ。
――マジかよ、こんな所で勘弁してくれよ。
俺がため息を吐いた次の瞬間、うずくまっていた生徒が顔を上げ――。
「えっ、何だよこれ!」
「足が動かねぇ!」
突然悲鳴が響き、取り囲んでいた生徒たちが次々とバランスを崩して倒れ込んだ。
足元の地面がいつの間にか泥状に変化し、彼らを捉えている。その中心には、小さな魔法陣が微かに光っていた。
――あいつ……うずくまってただけじゃなくて、地面に魔法陣を隠してたのか。
意外とやるな。
予想外の抵抗に驚いたが、顔を上げたその生徒を見て、思わず息をのんだ。
「モラタ……?」
その名前を口にした瞬間、記憶が一気に蘇った。
高瀬モラタ。
あいつが施設に来たのは、俺がそこに入って間もない頃だった。
親の虐待で預けられたって話だった。最初のうちは人を避けてばかりいたけど、いつの間にか施設で一番明るくて元気なキャラになっていた。
俺にとっても、あいつは“友達”って呼べる数少ない存在だった。
けど、小学校の高学年になる頃、モラタの親が迎えに来て、施設を出ていった。
それきり――音沙汰がなくなった。
――まさか、お前もこっち(異世界)に来てたなんて。
相手を転倒させることに成功したモラタだったが、それは所詮時間稼ぎにすぎなかった。泥の拘束から解放された生徒たちが怒りを爆発させ、再びモラタに襲いかかろうとしている。
――チッ、何やってんだよ……!
舌打ちして、勢いよく両手を叩き合わせた。
乙種で学んだ魔法の応用――手を叩くのと同時に風魔法を発動させ、その衝撃音を何十倍にも増幅させる。
「パンッ!」
突然の轟音に取り囲んだ生徒たちが一瞬怯んだ。
その隙に迷わず駆け出し、モラタの腕を強引に引き寄せた。
「飛ばすぞっ!」
モラタが戸惑う暇もなく、二人は強烈な突風に吹き上げられ、一瞬で空中に舞い上がった。
「くそ、待て!」
背後から怒号が届いたが、もう関係ない。
突風が二人を包み込み、王血館の屋根がみるみる小さくなっていく。
「お前、モラタだよな……?」
「えっ? どうしてその名前を?」
モラタが驚いたように顔を上げ、こっちを見た。
「……え!? お前、もしかしてヒカルか!?」
一瞬、言葉を失ったように俺を見つめ――次の瞬間、モラタは笑った。
「久しぶりだな、ヒカル!!」
◆
モラタは、施設を出てからのことを話してくれた。
親が迎えに来たとき、怯えていたモラタ。
結局、施設を出たあとに待っていたのは、また同じ虐待の日々だった。
だが、地獄が再び始まると思った矢先、モラタはこの世界に召喚され、“あいつ”に出会ったのだという。
ベイグレッド――王血部隊に所属していた人間らしい。
モラタを見て、ベイグレッドは言葉を失っていたという。
無理もない。モラタと瓜二つだったのだ。
そして、こう告げた。
『今日からお前がベイグレッドとして生きろ』
それきり、本物のベイグレッドは姿を消した。
どこへ行き、何をしているのか――モラタ自身にもわからない。
以降、モラタはベイグレッドとして生きている。
だが、王血館での生活は思っていたほど順調ではなかったらしい。
クラス選抜の際に行われた魔力器測定で、モラタには一つの魔法器も検出されなかった。それは、魔法陣を描かなければ魔法を使うことすらできないことを意味していた。
だが――。
「こっちの世界に来て、初めて“自由”を手に入れたんだ」
モラタは穏やかに笑った。
「親の呪縛から完全に解き放たれたんだ。あっちの世界に未練なんてない。
だから、俺は今、幸せなんだよ」
モラタの明るい声に、思わず苦笑が漏れた。
……ほんと、昔から変わらねぇな。
呆れながらも、少しだけ口元が緩んでしまう。
俺も、こっちに召喚されてから乙種に入るまでのことを簡単に話してやった。
強烈だった突風は次第に落ち着いて、風が二人を包み込む。
王血館が遠ざかっていく。まるで、離れていた時間をやさしく吹き飛ばすような、穏やかな風だった。
「いやでも、お前さ、あの後、あいつらをどうするつもりだったんだよ!」
「ハハ、考えてねえよ。……あ、ヒカル。あっちに行ってみようぜ」
気づけば、もう城壁の外に出ていた。
街が見下ろせる高さまで上がっていて、モラタが指差す方向に、俺は進路を変える。
「あのなぁ……勝てないならもっと上手く立ち回れよ。またイジメられるだけだろ?」
「それはねえだろ。……お前、変わっちまったな」
「は? ちょっと待て、とりあえず着地するから」
街外れに広がる広場を見つけて、風の勢いを調整する。
足元で空気が渦を巻き、衝撃を吸収して、ふわりと着地した。
「無属性でもそんなに器用にコントロールできるもんなんだな」
「コントロールできても威力が弱けりゃ意味ねえよ……」
俺の言葉に、モラタが少し間を置いてから、どこかつまらなそうに言った。
「やっぱダサくなっちまったな、ヒカル」
「は? さっきからお前、何なんだよ」
モラタは何も言わずに、先へ歩き出した。
苛立ちながらその背中を追っていたら、ふとモラタの足が止まった。
「……やっぱり、そうか」
その言葉につられて視線を向ける。
大勢の人が集まっていた。
新しく建てられた慰霊碑の前で、人々が静かな表情で花を手向け、祈りを捧げていた。
――ここって、まさか……。
「ここは、ヒヨリさんが襲撃したグロリア修道院の跡地だ」




