第34話:御前会議
――鳳凰の間――
シングウ城の奥深く、“鳳凰の間”と呼ばれる大広間。
王国の最重要事項を決める“御前会議”が開かれる場所だ。
出席者は国王アモン、皇太子ソロモン、筆頭宮廷顧問ガスポール、そして“五家”と呼ばれる五大貴族家の当主たち――合計八名。王国の命運を握る者たちが、重々しく円卓を囲んでいた。
本日の議題はただ一つ。
拘置所に収監されているヒヨリを解放すべきか否か。
会場の隅では、護衛の“イチニセン”――シシン、モンド、カイエンが鋭い眼差しで控えている。張り詰めた空気が肌を刺すようだった。
王座に腰掛けるアモン国王が、低く響く声を放った。
「……ガスポールよ。今日の議題は、ヒヨリの処遇についてであったな?」
促され、ガスポールがすっと立ち上がる。
小柄な体躯ながら、その眼光は鋭く燃えていた。
「陛下。ご存知の通り、ヒヨリは現在、グロリア修道院襲撃の罪にて拘置所に拘置されておりまする」
広間の空気がわずかに揺れる。
「じゃがあれは、ヒヨリがテロ犯たちの動きを事前に察知し、『緊急事態条項』を発動してやむなく取った措置に過ぎませぬ。ゆえに、一刻も早くヒヨリを解放くださいますよう、お願い申し上げる次第ですじゃ」
堂々とした声が鳳凰の間に響き渡る。
アモン国王は無言で頷き、円卓に座る貴族たちへと視線を巡らせた。
「……ガスポールはそう申しておる。他の者の意見を聞こう」
静寂を破ったのは、第三貴族フリードマン家の当主ルードヴィヒだった。
「ふむ……しかしガスポール殿、その議論は先日もなされたはず。
その際、“テロを示す証拠がない以上、緊急事態条項は無効”と結論が出たはずですが?」
皮肉混じりの口調。
ガスポールは間髪入れずに反論した。
「もちろん承知しておりまする。
じゃがの、ヒヨリの件は証拠の有無、言い換えれば法的に有罪か無罪かの問題ではない、というのが今回の主張なのですじゃ」
その強引な物言いに、ルードヴィヒの口元に冷ややかな笑みが浮かぶ。
反論の言葉を紡ごうとした、その瞬間――
「――最後まで聞けぃ……!!」
ガスポールの杖が床を叩く乾いた音が、鳳凰の間に鋭く響き渡った。
普段は穏やかな老顧問から放たれた怒声に、広間の空気が一瞬で凍りつく。
細い瞳が、氷の刃のような光を宿してルードヴィヒを射抜いた。
視線を受けたルードヴィヒは、思わず背筋を強張らせる。
……だがその迫力は、ほんの刹那のことだった。
ガスポールは低く息を吐くと、ゆるやかに瞼を閉じ、深々と頭を下げる。
「……声を荒げました非礼、お詫び申し上げまする」
顔を上げたときには、先ほどの鋭さは影を潜め、再び温厚な老人の面差しへと戻っていた。
「じゃがの、現実を見るべきと言うておるのじゃ。
我が国には魔女の脅威が迫っておりまする。
その圧倒的な脅威に立ち向かうため、陛下ご自身が創設なされたのが王血部隊であろう。違いますかな?」
杖をトンと床に打ちつける音が、静まり返った広間に響く。
「ここで諸卿に問いたい」
細い瞳が光を宿し、会議の場を鋭く貫く。
「ヒヨリを処刑した場合、我が国が魔女に打ち勝つ確率――
つまり我が国が滅亡を免れる確率はどう変わるかの。その確率が下がるとしても、なお“法の順守”を優先すべきと申されるのか。
ぜひとも聞かせていただきたい」
言葉は淡々としていたが、その重みは広間の空気を押し潰すようだった。
さきほどまで余裕を見せていたフリードマン家のルードヴィヒでさえ、視線を落とし返す言葉を失っていた。他の貴族たちも同様に沈黙を守るしかない。
その様子を確認し、王座にあるアモン国王が静かに口を開いた。
「ふむ……ガスポールの申すこと、確かに理がある。
これは法の是非を超えた問題――超法規的措置として考えるべきであろう。
異存ある者はおらぬな?」
国王の言葉を受け、慎重な声が響いた。
「……魔女に対抗するためにヒヨリ殿を処刑すべきでないという先生のご意見には、私も賛成いたします」
第二貴族ゼーマン家の当主、ヴィルヘルムである。
穏やかな声音の奥に、底意地の悪い光がわずかに混じっている。
「国が滅んでしまえば、そもそも法の意味などなくなりますからね。しかし……」
ヴィルヘルムは静かな目でガスポールを射抜き、わずかに口元を歪める。
「テロを示す証拠がない以上、ヒヨリ殿が理由もなく街を襲った極悪人である可能性も否定できぬはずです。……むしろその恐ろしさこそ、もっとも真剣に考えるべきではありませんかな?」
その問いを待っていたかのように、第五貴族ワイズマン家の当主フリッツが口を開く。
調子は滑らかで、まるで事前に打ち合わせていたかのように淀みがない。
「まことに仰る通り。
魔女の脅威はヒヨリ殿を処刑すべきでない理由にはなり得ましょう。
しかし、だからといって彼女を解放すべき理由には直結いたしませぬ」
ヴィルヘルムは満足げに頷き、さらにガスポールへ向き直る。
「まさにフリッツ殿の申される通り。
ガスポール先生、あなたは先ほど“一刻も早くヒヨリ殿を解放すべき”と力強く申されましたな。
ですが――こうした懸念に、どのようにお答えになりますか?」
二人の貴族が交互に仕掛ける。
その笑みの奥に透けて見えるのは、老顧問を追い詰めようとする計算高い打算。
だが――ガスポールは怯まなかった。
「……よろしい。ならば答えましょうぞ」
低く静かな声が響く。
鳳凰の間の空気がわずかに震えた。
「ヴィルヘルム殿が申した『極悪人の可能性』……それは明確に否定できまする。
ヒヨリはこれまで幾多の事件を解決し、陛下から勲章を授けられた者。
身を削り、国を守ってきた英雄よ。もし理由もなく街を襲う輩であれば――その歩みそのものが、最初から成り立つはずがなかろう。違いますかな?」
広間を見渡す眼差しは、静かに、しかし力強く列席者を射抜いていた。
「現実を直視すべきじゃ。昨日、乙種のダイタが変死体で発見された。
あれこそ、ヒヨリ不在が招いた治安の空白の証左ではござらぬか。
一刻も早く彼女を解放せねば、さらなる混乱は必至。
治安を立て直す唯一の手立ては、彼女を戻すことなのですじゃ!」
言葉に合わせ、杖が床をトンと鳴らす。
その重みは場の誰もが感じざるを得なかった。
その時、大きく頷いたのは皇太子ソロモンだった。
「……先生の言は正しい」
若き皇子の声は、年老いた顧問の迫力を受け継ぐように、さらに場を揺らす。
「我が国がこれまでヒヨリに幾度救われてきたか、皆も知っていよう。
彼女が極悪人であるなどあり得ぬ。彼女に欠けているのは証拠だけだ。
そして、その証拠すら超法規的措置によって不要とされるのなら――この議論は、すでに意味を失っている。そうは思わないか?」
若き皇子の言葉が鳳凰の間を満たすと、空気は大きく揺れ動いた。
その雰囲気を捉え、ソロモンはさらに言葉を重ねる。
「……だが、唯一の懸念がある」
落ち着いた声色の奥に、わずかな憂いを滲ませる。
「いくら我らが理を尽くそうとも、
証拠なくヒヨリを解放すれば、民は必ず混乱する。
王家の判断そのものが揺らぎかねん。
民なくして王家は成り立たぬのだからな……」
静かな一言に、場の空気が再び張りつめる。
そこへ第二貴族、ゼーマン家のヴィルヘルムが乗った。
「まことに皇太子殿下の仰る通りでございます」
穏やかな声ながら、その目は計算高く細められている。
「修道院を襲撃したヒヨリ殿の姿は、民の目に確かに映っております。
その者を証拠もなく解放すれば――民の怒りは頂点に達し、王家そのものに牙を向くことになるでしょう」
場がざわめきかけたが、ソロモンがすぐに抑え込むように続けた。
「……なるほど。たしかに道理だ。
民を納得させる材料が揃っていない以上、残念だが、慎重に時を計らねばならない」
静寂が広間を覆う。
誰もが次の一手を探りあぐねている、その時――王座のアモン国王が低く重みのある声を放った。
「議論は尽きたようじゃな。……ガスポールよ、汝はどう見る」
名を呼ばれた老顧問は、深く一度頷くと、ゆっくりと立ち上がった。
目を伏せ、長い沈黙を作った後、鋭い光を宿した瞳で一同を見渡す。
「――『民を納得させる材料がない』。
問題は、まさにその一点に絞られましたな」
間を置き、口元にふっと笑みを浮かべる。
「ならば――その材料を作ればよい」
張り詰めた空気を切り裂くように響く声。
老顧問の瞳は静かに、しかし確かな確信を宿していた。
「実は今朝、乙種のミロが――そのための妙案を私に持ち込んでおりましてな」
ガスポールの口元には、不敵さと同時に――老獅子の揺るぎぬ自信が宿っていた。




