第32話:メモリア・ロード
――魔法書室――
シングウ城には、多種多様な魔法書を収めた“魔法書室”がある。
そこには、簡易階段がなければ届かないほどの背丈の本棚がずらりと並び、一歩足を踏み入れれば、まるで本の森に迷い込んだかのような気分になる。
本棚を埋め尽くすのは、属性魔法の基本書から高度な魔法理論、魔法史、古代魔法――その内容は実に多岐にわたる。
◆
シシンは魔法書室を訪れていた。
数日前、ヒヨリを拘束しようと鉄鎖を生成した際、
温度制御を誤り、モンドを危険に晒し、ヒヨリにも怪我を負わせてしまった。
二度と同じ過ちは繰り返せない。
生成物の温度をより早く、正確に制御する方法を学ぶ必要があった。
だが、これほどの蔵書の中から目的の一冊を探し出すのは容易ではない。
本棚の間を歩き回っていたシシンは、ふと足を止めた。
禁忌魔法の棚の前で、一冊の本を真剣な眼差しで読み込む人物が目に留まったのだ。
――緑の制服に白の一本線……。
乙種・一期生が、なぜ禁忌の魔法などを。
シルバーの短髪に眼鏡をかけたその人物は、
シシンがじっと見ているのに気づくと、静かに振り返った。
「……やぁ、シシンじゃないか。久しぶりだね」
聞き覚えのある声だ。思わず表情が緩む。
「ミロか。久しぶりだな。
……そんな本を読んで、何か特別な探し物でもあるのか?」
ミロは手元の本に目を落とし、小さく笑った。
「お前と違って、俺には加護が付かなかったからな」
肩をすくめ、本を少し持ち上げて見せる。
「無属性で何ができるのかを知りたいんだよ。
禁忌のような強力な魔法の中にも、無属性で使えるものがある。
ほら、例えばこれだ」
示された箇所に目を走らせる。
「“メモリア・ロード”。
なるほど、自分の記憶を他人にコピーしたり、他人の記憶を自分にコピーしたりできる魔法か。禁忌指定だが、諜報部に配属されたお前にはピッタリの魔法だな」
ミロは小さく溜息を漏らし、複雑な苦笑を浮かべた。
「まぁね。ただ、禁忌魔法そのものは使えないよ。
俺も死にたくはないからね」
そう言って、彼は視線を上げ、まっすぐシシンを見た。
瞳からは穏やかさが消え、強い決意が宿っている。
「でも、この仕組みを応用して新魔法を試したいんだ。
乙種は甲種と違って、新魔法の開発が推奨されているだろ」
ミロはページを軽くめくり、ある記述に目を凝らす。
「ちなみに数年前、この魔法を考案した術者は“魔女の嫉妬”で消されたそうだ」
“魔女の嫉妬”――その言葉が出た瞬間、胸の奥がわずかに冷える。
だがミロは淡々と続けた。
「その術者が消えるまでの記憶が、この魔法自身の効果で別の者にコピーされたことで、それまで謎に包まれていた“魔女の嫉妬”の正体が初めて明らかになったんだ。
いわくつきの魔法ってところかな」
シシンの顔色を盗み見ると、ミロは肩を揺らして笑った。
「おいおい、まさか甲種部隊長シシン様が“魔女の嫉妬” なんかにびびってるのか?
お前が動揺すると、部隊全体の士気に関わるんだぜ。頼むよ」
「馬鹿な。
お前も“魔女の嫉妬”でハルナが消えた事件のことは知っているだろう。
今はただ、その言葉に少し敏感になっているだけだ」
ミロは小さく頷き、真顔に戻った。
「その後、ヒヨリは拘置所に収監された。
そして昨日、行方不明だったダイタが遺体で見つかった。
……ハルナの件も含めてだが、最近の出来事は、王血部隊――ひいてはシングウ王国そのものが何者かによって狙われていることを示していると思わないか?」
シシンは頷き、口を開こうとした――
しかし、ミロの言葉はまるで機械仕掛けのように止まらなかった。
「ヒヨリと話して確信した。
これまで大きな事件が起きなかったのは、ヒヨリが“未来”を見て事前に対処してくれていたからだ」
――ヒヨリが“未来”を見て、事前に対処していた?
「ミロ、お前……今、なんて……」
その瞬間、背筋が凍るような違和感が走った。
確かに“魔法書室でミロと禁忌魔法について話した”ことがある。
だが、それはもう一年も前のことだ。
当然、あの時点ではハルナが消える事件など起きていなかったし、ヒヨリが拘束されるなどありえない。
――これは夢か……?
いや違う。何かがおかしい。
次の瞬間、頭蓋の内側を荒々しくかき回されるような激痛が襲った。
視界が白くはじけ、シシンの意識に――ミロの膨大な記憶が、洪水のように流れ込んできた。
知識。経験。収集した情報。……そして、彼の感情までも。
すべてが怒涛となって襲い掛かり、思考を押し潰していった。
記憶の奔流の中から、ミロの声が鮮明に響いた。
『シングウ王国は狙われている。
最悪の場合、それは“魔女”の手によるものかもしれない』
『この攻撃は今後も続くはずだ。
それを阻止するには抑止力を取り戻すしかない。
王血部隊を動かすのは当然だが――ヒヨリを拘置所から解放し、自由に動けるようにするべきだ』
『俺はあの禁忌魔法の仕組みを応用して、新魔法を完成させた。
哺乳類なら、どんな姿にも自在に変身できる魔法だ。……これをお前に預ける。
ヒヨリが本当に信じているのは、シシン――お前だけだからな』
『だから悔しいが……後のことは全て、お前に託す』
ミロの悲痛な想いが真っ直ぐに突き刺さる。
『俺、甲種にはなれなかったけどさ……これは甲種級の働きだろ?
……俺を許してくれ、ヒヨリ』
そこから先は、ミロが何者かに襲撃され、
“メモリア・ロード”を発動し、“魔女の嫉妬”に呑み込まれるまでの光景だった。
はっと目を開ける。
気づけばシシンは、自室のベッドに横たわっていた。
窓の外には、まだ薄闇が残っている。
押し寄せてくるのは、ミロが最後に抱いていた絶望と悔しさ。
そして、託された重み。
――ミロ……まさか、お前、禁忌を使ったのかっ!?
シシンは身を起こした。
頬を伝った雫が、握った右拳にぽたりと落ちる。
その冷たさに触れた瞬間、張りつめていた感情が決壊した。
「……っく……!」
静まり返る部屋に、荒い息遣いだけが響く。
だが――
――……部隊長の俺が、ここで立ち止まるわけにはいかない。
拳を握りしめ、胸の奥に燃え上がる決意を押し固める。
――シングウ王国では今、確実に“何か”が起きている。
これ以上、犠牲を出させはしない。
「モンド! カイエン!」
勢いよく立ち上がり、仲間の名を全身の力で叫んだ。




