第29話:ヒヨリぼっち
――拘置所・独房――
「私はずっと“ヒヨリぼっち”なんだよ……」
そう口にした瞬間、胸の奥で小さなざわめきが生まれた。
……まるで、何か大切な存在を忘れているみたいに。
すぐに首を振る。違う、そんなはずはない。
だって、あのときも私は独りだった。
ハルナちゃんを失った、あのときも――。
胸の奥がきゅっと縮み、彼女の姿が脳裏ににじむ。
◆
彼女には、自分こそが光属性であり、新魔法を生み出せる選ばれし者だという、揺るぎない信念があった。
そして、その力を証明しようとして――“魔女の嫉妬”に呑み込まれた。
そんなハルナちゃんをどうにか救いたくて、私は何度も過去へ戻った。
数え切れないほど、同じ時間を繰り返した。
けれど戻るたびに、なぜか巻き戻せる時間が削られていった。
本来この力には、
“知る人や疑う人が増えるほど、戻せる時間が短くなる”
という欠陥がある。
だけど、この能力のことは誰にも話していないし、見られたはずもなかった。
――なのに、どうして?
原因はパオタロ君だった。
時間を巻き戻すたび、潜伏して私を監視し続けていた彼の視線が、
私の力をじわじわと削り取っていたのだ。
気づいたときには、もう遅かった。
最初は数日分戻れていたはずの力が、半日すら巻き戻せなくなっていた。
このままでは、いつか時間を戻せなくなる――。
ガスポール先生は苦渋の決断を下した。
「このままでは魔女との戦いを迎える前に、
ヒヨリ君の能力を失ってしまうかもしれんからの……
ハルナ君を諦めるほかない」
冷たく響いた。
けれど同時に、それが最も合理的だということも頭ではわかっていた。
感情を切り捨て、目的を優先しなければ、もっと多くの犠牲が出てしまう――
だから私は従うしかなかった。
でも、ただ諦めるわけにはいかない。
私は代わりに、ガスポール先生に提案した。
「ハルナちゃんが消える瞬間を属性検出装置で記録させてください。
この機会を利用して、“魔女の嫉妬”がどうして起きるのか、
その仕組みを解明したいんです」
こうして私は、ハルナちゃんに発生する“魔女の嫉妬”の魔力成分を収集する役を引き受けた。
――それなのに……。
その報いは、すぐに訪れた。
◆
――軍令府近くの森の中――
その姿を一期生の仲間たちに見られてしまったのだ。
新魔法を使おうとするハルナちゃんをなぜ止めなかったのか、
彼女が消えるときに何をやっていたのか――
私の説明は通らず、同期たちの視線は強い疑念となっていた。
「結局、あなたは……私たちを裏切っていた、ってことよね?」
フウコちゃんの思いがけない言葉に、胸の奥から突き放されるような孤独を覚えた。
――私には味方なんて、やっぱりどこにもいない……。
“時間を戻す能力”――光属性を宿す者が背負う宿命。
その重さを改めて突きつけられ、思わず目を伏せた――その時だった。
シシン君が、静かに語り始めた。
「……あれは去年、俺たちが“属性解放の儀”を終えた直後のことだ」
その声音には、どうしようもない痛みが滲んでいるように聞こえた。
私は自然と目を伏せ、耳を傾けるしかなかった。
「俺たち“イチニセン”は、ヒヨリに真実を吐かせようとした。
ヒヨリが隠している矛盾や秘密が、この先、王血部隊にとって致命的な問題になると考えたからだ。
――今のお前たちと同じようにな」
言葉と同時に、場の空気がわずかに張りつめる。
「俺たちは未熟だった。
ヒヨリが一人になるのを狙い、一斉に襲いかかったが、あっけなく返り討ちにされた。
それでも諦めきれず、俺は魔法で拘束しようとした。
だが焦って発動した鉄鎖は、高温で溶けただれた“失敗作”になってしまった」
「その“失敗作”は、よりによってモンドの頭上……わずか十センチの位置に現れた。
恐怖で体が凍りつき、俺たちは誰一人動けなかった」
シシン君の指先がわずかに震えているように見えた。
「――だが、ヒヨリだけは違った。
顔面蒼白のまま迷いもなく駆け出し、巨体のモンドを突き飛ばしたんだ。
二人はかろうじて避けたが、床に落ちた“失敗作”の一部が跳ね返り、ヒヨリの首に付着してしまった」
シシン君は言葉を一瞬失い、呼吸を整えるように唇を噛んだ。
「そのときの悲鳴は、今でも耳から離れない。
俺は慌てて魔法を解き、水で冷やしたが……皮膚はもう焼けただれていた。
震えるヒヨリを前に、後悔と自責が胸を締め付けた。
そして叫ばずにはいられなかった――」
『死にたいのか!! お前を襲った俺たちを……モンドを、なぜ助けた!?』
重苦しい沈黙のあと、シシン君は続けた。
「その問いに、ヒヨリは震える体を必死に支えながら……それでもはっきり答えたんだ」
『シシン君、モンド君、カイエン君……
イチニセンの三人は、これから絶対に強くなると思うから……。
本当にごめんね……私、一人でも欠けたら……魔女さんに勝てる自信がないんだよぉ……』
「その瞬間、俺たちは悟った。
仲間の信頼を裏切っていたのは、他ならぬ俺たち自身だったと。
ヒヨリの心に、首の傷よりも深い傷を刻んでしまったのだと」
「だからこそ誓った。
ヒヨリを守れるだけの力をつけると。
そして、何があってもヒヨリを信じ抜くと」
「あの日、ヒヨリは命を懸けて俺たちを助けた。
裏切った相手にまで手を伸ばしたんだ。
抱えているものをヒヨリが見せたくないのなら、俺はそれで構わない」
「見えていないだけで、ヒヨリは今も俺たちのために戦っている。
俺は、そう信じている。
だから皆も――もう少しだけヒヨリを見守ってやってくれないか」
その言葉のせいか、同期たちの硬い表情がほんの少し和らいだように見えた。
誰も声を出さないが、否定ではなく戸惑いが空気に混じるのがわかった。
でも私はもう関係ない。
独りで進むしかないのだから――と、そう言い聞かせる。
それに、これもきっと皆を納得させるための方便だ。
こんな言葉を信じてしまえば、また裏切られたときに立ち直れなくなる。
それが……怖くてたまらない。
「だがな、ヒヨリ……これだけは言わせてくれ」
――もう、やめて。聞きたくない。
私には、誰にも打ち明けられない役割がある。
結局、独りで背負い続けるしかないのだ。
「お前が何を抱えて戦っているのか、俺にはわからない。
だが、お前は独りではない」
嘘だ。そんなことあるはずがない。
胸が早鐘を打ち、体が震える。
拒絶されてきた心が必死に抵抗していた。
それでもシシン君はためらいなく言った。
「俺たち“イチニセン”は、何があってもお前の味方だ」
その瞬間、世界の音が遠のいた。
鼓動だけが鮮やかに響く。
ドクン……ドクン……ドクン……。
私は顔を上げ、震える手でチョーカーに触れる。
まっすぐに向けられたシシン君の瞳。淡い光に照らされたその決意は、静かに揺らぎなく浮かび上がっていた。
――私……本当は……もう独りぼっちはいやだよぉ……。
幼い頃から奥底に押し殺してきた泣き声が、ようやく言葉になって零れ落ちた。
シシン君の言葉が、凍りついていた心の奥に静かに染み込んでいく。
必死に拒もうとしても、その温かさはじわじわと広がっていった。
私は小さく頷いた。
「……ありがとう、シシン君」
かすれた声がこぼれる。
涙は止まらない。だけど、気づけば口元がわずかに緩んでいた。
風が髪を揺らし、頬を伝う涙を撫でていった。




