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第28話:水音だけが残る倉庫

――拘置所・独房――


 石壁の冷たさが、夜の闇ごと胸に食い込んでくる。ヒヨリはただ、じっと座っていた。

 静寂は水のように重く、呼吸をすると喉の奥が冷たくなる。


 トレイの上のパンは硬く、スープはぬるい。

 味なんて、もうわからない。咀嚼の音だけが、妙に耳に残る。


 それでも、ふと笑いがこみあげる瞬間がある。

 あの猫の顔を思い出すときだ。扉の隙間からひょっこり覗いた、あの自信満々の顔。


『デカいやつな!』


 思い出すだけで頬が緩む。


 馬鹿みたいだ、と自分でも思う。

 期待なんてするべきじゃない。正体も分からないものに心を預けたら、

 また誰かの都合で振り回されるだけだ。


 そう分かっているのに、頭からあいつが消えない。

 廊下の足音にまで耳を澄ませる自分が情けなくて、腹が立った。


 しかも、こういうときに限って来ない。

 いや、もう三日も姿を見せていない。


 あの日の軽い声が、脳裏をよぎる――


『今、君にとって最も信用できる人は誰なのかを知っておきたいと思って』


『ま、心配しなくてもいいさ。――ほら、ボクとかもいるしね!』


 あんなことも言っていたのに、やっぱり嘘だったんだ。

 膝を抱えて、小さく息を吐く。


「信用できる人なんて……最初から、いないんだよぉ……」


 ぽつりとこぼした声が、冷たい独房の壁に反響して消えていく。


 考えたくない。何も思い出したくない。

 目を閉じる。


 けれど、静寂の闇の中に浮かび上がるのは――。


 薄暗く湿った地下倉庫。

 仲間から突きつけられた疑念と不信。

 あの日の光景が、鮮やかすぎるほどに甦ってくる。





――地下倉庫での出来事――


 それは、私が十四歳になり“属性解放の儀”を終えた直後のことだった。


 未来で起こるテロを阻止するために過去へ戻った私は、ガスポール先生の指示で事件の証拠を探していた。

 任務を終えて地下水路を抜け、シングウ城の地下倉庫へと通じる扉を開けたとき――背筋を氷のようなものが這い上がった。


「……えっ!?」


 最低限の灯りしかない倉庫内で、闇を裂くように姿を現したのは、“イチニセン”の三人――シシン君、カイエン君、モンド君。


「悪いが拘束させてもらう」


 三人の目に宿っていたのは、疑念と敵意。

 それは、もはや仲間の眼差しではなかった。


 それでも、私は火・風・土の三属性に加え、時空を操る力を持っている。

 未熟とはいえ、“イチニセン”の三人を圧倒するのは難しくなかった。


 勝負は決した――そう思った矢先だった。


「……そこだ!!」


 シシン君が叫び、鉄鎖を召喚する。

 本来なら敵を絡め取るはずの鎖。だが、それは高温で溶け、形を保てない“失敗作”だった。


 ドロドロに融けた鉄の塊が暴れ回り、火花を散らして宙をのたうつ。

 次の瞬間、その一部がモンド君の体を直撃した。


「モンド!!」


 崩れ落ちる巨体。

 シシン君とカイエン君が駆け寄り、その体を抱きしめる。

 嗚咽と叫び声が、地下倉庫の冷たい空気を切り裂いた。


 私は少し離れた場所で立ち尽くしていた。

 体は震え、視線は床に縫いつけられたように動かない。


 ――あれ……なんで、涙が出てきちゃうかなぁ。


 熱い雫が頬を伝う。

 それが涙だと気づくまでに、少し時間がかかった。


 ――時間を戻せば、モンド君は助けられるのに。


 頭では分かっている。戻れば救える。

 だけど、涙が止まらない。仲間に裏切られた現実が、幼い頃にミロたちから浴びた嘲笑と重なり、胸を締めつけていた。


 ぽたり、ぽたりと――涙が石畳に落ち、冷たい床に染み込んでいく。


 どこかで、私は期待していたのかもしれない。

 いつか誰かが私を信じ、受け入れてくれると。


 だが、“イチニセン”の襲撃はその期待を粉々にした。

 彼らの瞳にあったのは疑念と敵意だけだ。


「私だけが……我慢すればいいんだよぉ……」


 絶望が、じわりと心の奥に沈んでいった。


 それでも、私はモンド君を助けるために戻らねばならない。

 ――仲間であるはずの三人から再び襲われる、過去のトラウマを自分で繰り返すようなものだ。


「私だけが……我慢すればいいんだよぉ……

 私だけが……我慢すれば」


 私が我慢すれば、誰も傷つかない。誰も悲しまない――。

 その言葉は呪文のように繰り返され、虚ろに宙へ溶けていった。

 諦めと悲しみが壊れた独白になり、心を削っていく。


「……私にしか、救えないんだから……」


 かすれた呟きとともに輪郭が薄れ、私は静かにその場から消えた。


 倉庫に残ったのは天井から落ちる水の音だけだった。

 それは消えていった私の涙の残響のように、虚しく続いていた。


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